アインシュタインはなぜ宇宙項を導入したか?
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1917年に発表した論文で、アインシュタインは、この宇宙が4次元球面状の
閉じた世界であることを主張し、この世界を理解する新しい視座を導入した。当
時はまだ、望遠鏡を通じておぼろげに見える星雲が、銀河系に属するものか否か
もわかっておらず、宇宙には、その中心に相当する位置に、ただ1つの巨大な銀
河系が存在するという学説も有力だった。それだけに、この世界には「中心」も
「果て」もなく、宇宙のどの部分もほぼ均質で、われわれがその中に住む恒星集
団の他にも多数の集団(ただし、アインシュタインは、星雲=銀河系外島宇宙と
いう説に与していたわけではない)が存在する――という斬新なアイデアが、一
般相対論を理解する科学者に衝撃を与えたことは想像に難くない。
ところが、この論文で、アインシュタインは、のちに「わが生涯最大のヘマ」
と口にすることになる失敗をしている。いわゆる「宇宙項」の導入である。1980
年代に起こった「現代的な」宇宙論では、この宇宙項はきわめて重要な役割を有
することが知られているが、ビッグバン・モデルが受容され、相対論的な宇宙論
が支配的な学説となった1960年代までは、なくもがなの余計なおまけとされたも
のである。簡略化した式で表すと、次のようになる。すなわち、宇宙の幾何学的
な形状を決めるアインシュタイン・テンソルをG、物質や電磁場の分布によって
定まるエネルギー・運動量テンソルをTとすると、もともとの重力の方程式が、
- G=κT (添え字は省略、式の形はGとTの定義によって若干異なる)
だったのをわざわざ改めて、
- G=κT−λg (gは計量テンソル、符号は定義に依存する)
としたのである。ここで、付け加えたのが宇宙項、λが宇宙定数である。物理
的には、全宇宙空間に微少な「反重力効果」が生じて、(もともとは万有引力で
引き合うだけの)天体を互いに引き離そうとすることになる。
アインシュタインが宇宙項を導入した理由は、しばしば、宇宙を静止させた
かったためと言われる。実際、この宇宙項がなければ、後にフリードマンやル・
メートルが示したように、宇宙はじっとしていることができずに、膨張や収縮を
するダイナミックなものになる。プラトン的な宇宙の秩序を信じていたアインシ
ュタインは、そうした変動する宇宙像を好まないはずだ。だから、あえて宇宙項
を付け加えて、天体間の万有引力と宇宙項による「反重力」が釣り合って静止す
る宇宙を考案した。そうした「解釈」が、かなり一般的になっているように見え
る。
ところが、1917年の原論文を読むと、この解釈は、かなり疑わしく思えてく
る。宇宙模型に関するアインシュタインの発想の源は、「銀河系のような物質が
存在する領域からどんどん遠ざかっていった場合、空間はどのようなものになる
か」という問いかけだった。1916年の暮れ頃まで、「遠方には一種の重力バリヤ
が形成されて、そもそも無限の彼方まで遠ざかることはできない」という(現在
の科学的知識からするとかなりトンチンカンに見える)仮説をいじくり回した後、
突然、「地球の表面が3次元球の表面として閉じているように、宇宙もまた、4
次元球の表面として閉じている」と思い至る。これは、まさに天才的な飛躍であ
る。だが、その次のステップとして彼が試みたのは、(x,y,z)座標で表された3次
元球の式を(x,y,z,w)座標に拡張し、そこから、4次元球の表面と解される
宇宙の式を導く作業であった。この作業自体、すでに、宇宙を静的な模型で表す
ことを意味する。おそらく、アインシュタインは、この式を使ってワクワクしな
がらGを計算してみたことだろう。だが、期待に反して、G=κTとはならず、
お釣りの項:−λgが出てきてしまった。そこで彼は、やむなく宇宙項を含む新
たな方程式を提唱せざるを得なくなったのではないか。
現在では、(xyzw)座標などという厄介なものを使わずとも、ロバートソンら
が行ったように、中心対称の座標を用いてはるかに簡単に計算することができる
。しかも、中心対称座標を使えば、宇宙全体のダイナミックな振る舞いを調べる
のも容易である。なぜ、アインシュタインはそうしなかったか。それは、単純に
、数学的な知識の不足に起因すると思われる。
学部時代に徹底的に物理数学を叩き込まれる現在の物理学専攻の学生とは異
なり、当時の科学者は、必ずしも充分な数学的トレーニングを受けていない。特
に、一般相対論で数学的な道具となる微分幾何学は、多くの物理学者にとって未
知の分野であった。アインシュタインにしたところで、はじめのうちは、友人の
数学者グロスマンに教えを乞いながら一歩一歩勉強していったようである(つい
でに言えば、一般相対論というきわめて数学的な理論を完成させた件についての
論功行賞で、グロスマンは、少なくともアインシュタインの半分程度には評価さ
れるべきである――私見――)。論文内容から推察するに、アインシュタインの
数学的知識は、現在で言えば、理論物理学専攻の学部4年生〜修士1年生程度の
水準である。このレベルでは、時間的に変動する重力場の式を解くのは、かなり
困難である。電磁気理論を学ぶ初学者が、まず静電気の教科書を手に、学簡単な
境界条件でのポアッソンの方程式を解くところから始めるのと同様に、アインシ
ュタインも、とりあえずは、静重力場の解を調べてみたのだろう。
アインシュタイン自身は、宇宙を静止させるために宇宙項が必要だと積極的
に考えていたわけではない。1917年の論文は、「上述の付加項(=宇宙項)は、
恒星の速さが小さいという事実に対応するように、物質を準静的に分布させるの
に必要であったにすぎない」(『アインシュタイン全集2』共立出版、p.144)
と結ばれており、むしろ言い訳めいている。また、膨張宇宙論を提唱したフリー
ドマンの1922年の論文に対してアインシュタインが行った批判の鉾先も、主とし
て、計算上のミスに向けられていて(もっとも、後になって、実はアインシュタ
インの方が間違っていたことが判明するのだが)、宇宙が静的でないことを直接
に指弾するものではない。こうしたことからしても、アインシュタインにとって
、静止宇宙の考えが、宇宙論を展開する上での大前提ではなかったと言えよう。
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©Nobuo YOSHIDA