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B.一般相対論の境界条件設定に及ぼす認知的方略の影響




 このセクションでは、人間の認知操作の方略が科学的世界像に影響を与えてい る実例を与える。具体的には、次のような議論を行う。まず、心理学的な表象空 間における計量が、実は、後天的に形成されたニューロン系によって経験から抽 出された分析的な特徴をもとに、感覚/運動データの処理系の連合という形で操 作的に定義されていることを指摘する。きらに、計量が定義された多様体の概念 を援用して一般相対論的な時空のモデルを構築する際にも、。このような心理的計 量のもつ特性のために、物理系が本来備えているはずのスケール変換の自由度が しばしば失念されることを議論する。

1.計量をもつ表象空間の心理的構成


 こんにちの心理学の知見によれば、人間が抱く視覚的イメージほ、知覚情報が 入力された時点で、その情報をもとに構成されるものではない。このことは、知 覚入力を欠いていても、「円や正方形を思い浮かべて下きい」という要望に応じ て、(完全ではないにせよ)幾何学的図形を表象できることからも明らかである。 しかも、このように視覚的イメージとして想起される図形は、外延量の保存(図 形の大きさは、意識的に調整しない限リ、並進・回転に対して変化しない)や位 相幾何学的妥当性(直観的に思い描く図形は、オイラーの関係式などが成リ立た ない「不可能図形」でほない)などの種々の物理的特性を備えたオプジェクトと 見なされる〔11〕。
fig  表象された図形がこのような性質をもつことほ、決して自明ではない。実際、 現在の人工知能で視覚情報処理を行う靖合は、まず各線分の接続点と線分によっ て分割される領域を特定し、それらの相互関係を表す特徴値の集合を求めた上で、 与えられた画像が(あらかじめ、または学習によって)定められているクラスの いずれに適合するかを決定するのが、一般的である〔12〕。従って、人工知能の保 有する情報が(エッシャーの作品に現れるような)不可能図形を表すものでない かを調べるには、特徴値を一定のアルゴリズムに則って解析する必要がある。逆 に、こうしたアルゴリズムを備えていないソフトウェアでは、不可能図形も、現実に 可能なものよリも広いクラスの図形データとして受け入れられることになる。このこ とは、不可能図形が常に直観的に拒絶される人間の:表象とは、著しく異なっている。 例えば、右の(3次元的には不可能な)図形を認知しようとするとき、人間はエッジ とその交点を検出して、その近傍から3次元的な位置関係を把握しようとする。こう した方略のため、人間はこの不可能図 形全体を統一的なデータとして取り扱うことができず、同一時刻にはたかだか2 箇所の「曲がリ角」を立体的に表象するのみとなり、必然的にデータの処理に非 対称性が生じる。ところが、不可能図形を弁別するアルゴリズムを持たない人工 知能では、図形全体のデータをメモリーに格納し、必要に応じて処理に回すこと が可能である。
 このように、人間によって表象されるイメージがさまざまな物理的特質を兼ね 備えたオプジェクトである以上、そのイメージが表象される「空間」も、単に心 理的な《図像》を投影するスクリーンにとどまらず、より積極的にいくつかの機 能を担っていることが要請される。すなわち、人間の認知的情報処理に利用され る心理的空間とは、 (少なくとも暫定的に)確定した大きさや形状を備えたオプ ジェクトをその内部に定位し、これに移動や変形などの操作を施すことが可能な 機能的な「場」であると考えられる。こうした空間を、仮に表象空間と呼ぶこと にしよう。当然予想されるように、人間の認識は、この表象空間の性質に心理的 に制約されることになる。


 本節では、表象空間が担う諸性質の中で、オプジェクトの(絶対的/相対的) 位置関係を規定する「計量」に着目し、これがアプリオリな形式として与えられ ているのではなく、操作的に構成されていることを明らかにする。ただし、ここ で謂う操作とは、一般に、経験によって獲得された学習記憶を場面に応じて適用 することを意味し、外延を具体的に画定できる行為(距離の測定や視座の変更な ど}に限定されるものではない。こうした方針に基づき、以下では、現代心理学 の知識を援用しつつ、主として視知覚に由来する表象空間の構造を議論する。特 に視知覚を取口上げるのは、視覚的経験が表象空間の主要な構成要素であると考 えられるからである。もちろん、現実には運動知覚が空間認知に大きく関与して いることほ明らかであり、表象空間に関する完全な理諭を樹立するためには、他 の知覚も考察の対象にしなければならない。


 本論に入る前に、 「計量」なる概念を明確にするために、科学理論に現れる計 量の定義とその階層性について触れ、表象空間での計量との比較に供しよう。
 数学的な意味で、抽象空間R内部に計量(距離)が与えられているとは、R内 部の任意の2点(x,y)の組に、距離関数ρ(x,y)が対応していることを指す。

ただし、

ρ《x,y》は次の公理を満たすものとする
(1)x≠yのとき ρ(x,y)>0 ; ρ《x,x)=0
(2)ρ(x,y)=ρ(y,x)
(3〕ρ(x,y)+ρ(y,z》≧ρ(x,z)


以上の距離概念には、数学的な空間論が含意するいくつかの前提がある。ここで、 認識論的に見て重要なのは、抽象空間内部の2点が自己同一性をもち、他の点と 厳密に識別できるという性質である。人間の認知能力には、有限の識別閾がある (すなわち、余リ近接した2点は区別できない)ため、この性質は特殊な条件と 考えられる。一方、上に示した数学的な距離の定義は、ユークリッド計量などよ りも包括的・―般的であリ、その点では人間の表象空間での計量より広範な概念 である。
 また、現代物理学では、より限定的に、座標系{x}に応じて微小間隔dsを 決定する基本計量テンソルgijが与えられた距離空間を想定している。 ただし、
ds2=Σgijdxidxj

特に、一般相対輸は、ds2を不変に保つように計量テンソルが 座標変換に対して共変であると主張している。
 以上の「科学的」な定義に対して、表象空間の計量が示すいくつかの特色を思 いつくままに列挙しよう。(1)表象空間の計量は、空間内部の任意の2点に対し てではなく、オプジェクトが与えられたときのオプジェクト同士の間隔として定 義される。(2)表象空間では、既に述べた識別閾の存在のため、計量概念を微小 な領域へどこまでも外挿することはできない。(3)表象上の「誤差」のため、計 量は確定した値を持つとは限らず、状況に応じた不定性を示す。(4)計量の値に は数学的な任意性はなく、物理学に現れるユークリッド計量に類似したものとな っている。ただし、鉛直/水平のような方向差、および、近景/遠景という身体 からの距離による差が存在するため、完全にユークリッド的ではない。以後の議 論では、こうした人間固有の計量概念がどのようにして形成されるかを、心理学 の知見をもとに見ていく。

(i)神経生理学的議論

はじめに、視知覚による距離の認知がどのように行われるかを最も基礎的なレ ベルから明らかにするため、視知覚を構成する神経系の諸特性を議論する。
 近年の脳神経科学の進歩は、視覚系を構成する多数のサプシステムの存在を明 らかにしつつある〔l3〕。以下、その概略を述べよう。光刺激は、まず、網膜上の 光受容細胞で電気的な信号に変換され、視神経を通じて外側膝状体に送られたの ち、きらに後頭葉にある視覚中枢に伝達される。この過程を通じて、ある受容細 胞が光を受信したか否かについての一次的なデータの集合は、段階的に非線型な 変換を施すいくつかの階層を経て〔14〕、図形成分の諸特徴(方位・位相的性質な ど)や大域的な状況(両眼視差の検出など)についての分析的な情報に組み換え られる。こうしたデータ変換は視覚系に限られるものではなく、聴知覚における ホルマント分析など、それぞれの感覚種に応じて観察されており、特徴の抽出に よる情報のコード化と考えることができる。コード化された情報は、連合野で他 の感覚特異的な情報と結びつけられて、はじめて、空間内部での自己の定位や運 動の知覚のような高次の認知を形成するに到る。
 ここで重要なのば、後頭葉の視覚中枢で行われた特徴抽出の結果が、それぞれ 独立なニューロンによって個別的に伝えられると考えられる点である。このこと は、微小電極を実験動物の脳に刺入して単一二ューロンの興奮を測定した場合、 実験的に制限された刺激に対して、特定のニューロンが選択的に興奮するという 実験事実によって示される。具体的には、サルの上側頭溝で、顔や眼の画像に選 択的に反応する細胞が発見されている。もちろん、このような「認識」ニューロ ンほ、脳のある部位に誘起された興奮のパターンを他の部位に伝達するためもの で、ニューロンの興奮がすなわち特徴の認識そのものという訳ではない。しかし、 分析的な特徴に関する抽象度の高いデータは、それを軸にした思考の展開を促す という形で心理的な慣性を方向づける役割をも果たしており、認識論的な意義は 深甚である。やや誇張して言えば、都市生活を営む人間において、自然の形状よ りも幾何学的なパターンを分析する神経系が発達した結果として、その世界観に 人為的な対象の占める比重が増す可能性もある。


 特定の神経系を活用して特徴分析を遂行するという生理学的特徴は、人間の思 考様式を大きく制約するものである。特に、次の点を指摘しておこう。すなわち、 知覚された世界に備わっている諸性質は、必ずしも外部世界に実在する性質を表 す訳ではなく、よリ直接的に、その特徴を与えるニューロンの存在を示すものと 見なされる。しかも、神経系の発達には、遺伝的な規定のみならず環境的な要因 も大きく関与しておリ、分析対象となる特徴の選別が偶然に委ねられているとい う側面も看過しがたい。従って、直観的に妥当性が開示されると感じられる性質 についても、それがどのような過程を経て抽出されていくのか、生理学的な背景 を解明しておく必要がある。
 ここでは、後頭投射野における特徴分析の例として、計量の認知において主要 な役割を果たす「立体視」を取り上げてみよう。立体視をもたらす視覚情報には、 水晶体の調節レベル(眼のレンズの度が強いか否か)に関する一次知覚から、幾 何学的遠近法のように統合野で処理される経験的要素までいくつかの種類がある が、最も重要なのは、両眼視の際に各眼球に映じる図像のずれ(視差)の情報で ある。両眼視差の認知は、左右の受容野に示された図像の対応する部分を検出し、 網膜における位置の差の分析する過程から成る〔15〕。この過程が特定のニューロ ンに支配されていることは、次のような実験から明らかである。すなわち、脳に 微小電極を刺入した実験動物に、立体視が可能なステレオグラムと、これと外見 上は似ているが無意味な点の集まりにすぎないランダム・ドットとをそれぞれ提 示すると、前者にのみ選択的に興奮するニューロンの存在が観察される。また、 視認される図像を前後に動かすことにより、これらとほ別個に、奥行き運動の向 きに選択的に反応するニューロンが存在することもわかる。このニューロンは、 両眼での運動状態の差を検出することによって奥行き方向の運動の有無を判定す るものだが、同時に物体の大きさの変化に関する情報も加味して,興奮のレベル を調節している〔16〕。
 このように、立体的な視知覚は、あたかも空間の拡がりとそこに在る3次元的 な物体を直観的に把握しているように感じられるにもかかわらず、実際には、分 析的な特徴の抽出が視覚的認知の前提になっており、その過程を支配するのは生 理的な神経系であると想定される。しかも、こうした状況ほ立体視に限られるも のではなく、(個々に例証していく余裕はないが)投射野レベルのあらゆる空間 (およびその他の)認知過程に共通している。
 もちろん、後頭投射野の特徴分析のみで空間的認知が完成する訳ではなく、き らに頭頂連合野において各感覚からのデータを連合し、より高次の情報処理を実 行しなければならない。しかし、その場合でも、階層的な神経系によって段階的 に特徴が抽出され、これが特定のニューロンによって伝達されるという基本的な 構図は維持されているものと考えられる。実際、頭頂野には、網膜像の運動に関 する視知覚と眼球運動に関する運動知覚を結びつけて、真の運動を検出したとき にのみ興奮するニューロンが存在しており、この推測を裏付けている〔17〕。以上 の議論を総括すると、人間の認知過程は、特定のニューロンに対応する分析的な 特徴の抽出を積み重ねることによって成立していると主張できる。
 もっとも、幾何学的遠近法の理解ように、きわめて複雑な文化的影響の下にあ る心理過程については、如上の単純な解釈は妥当しないか。もしれない。こうした 過程では、分析的に特徴を抽出することはせず、神経系の興奮が一定のパターン を構成したときに遠近感が得られるという様式が採用されている可能性もある。 ただし、本論では、このようなアポリアは敬遠して近寄らないことにする。その 理由は、現在の生理学・心理学の知見では確固たる議論が展開できないこともあ るが、それ以上に、絵画の長い歴史を通覧しても遠近法を採用しているのが14世 紀以降のヨーロッパ文明圏に限られるという事実が如実に示すように、文化的コ ンテクストに従属する認知の様式は謂わば「底が浅い」ものであり、人間の思考 の本質を洗い直す作業においては先送りすることが許されると考えたからである。


 上に述べたようなニューロンを通じての特徴分析と並んで、視覚的な空間認知 の重要な性質は、その非生得性にある。もちろん、脳の高次認知機能が、その基 本的構成において遺伝による規制を受けていることは明らかである。しかし、具 体的にいかなる特徴を抽出し、それをどのような優先度でもって処理するかは、 後天的な環境因に支配されている証拠がある。
 開知過程での特徴分析に対する環境からの影響は、方向特異性をもつネコの視 覚野ニューロンの研究を通じて解明されてきた〔18〕。ネコの大脳皮質における光 受容野には、特定の方位をもつエッジに選択的に反応するニューロンが集合して コラム状の構造を形成している。このような「方位コラム」は視体験をもたない 新生児の脳にも{一部未成熟ながら)観察されており、特徴分析の基本的枠組み は遺伝的に決定されていることがわかる。しかし、この枠組みは固定されたもの ではなく、環境的な要因によって大きく変化きせることが可能である。実際、正 常な視体験を経たネコの方位特異性には特別な偏りはないが、覗きメガネを通じ て縦または横縞模様を1日8時間ほど見せた仔ネコでは、大部分の視覚野ニュー ロンの方位特異性がそれぞれの縞の方位に対して±10°以内に集束することが知 られている。このようなネコが認知する世界については想像で語るしかないが、 おそらく、特定の方位をもつ図形が「日に飛び込んでくる」という形で強調され、 逆の方位が(よく見えないというよりも)余り意識されなくなるものと考えられ る〔19〕。環境要因によって認知の形式が後天的に規定されるという脳の可塑性は、 脳の他の部位、あるいは他の動物にも見られる一般的なものである。
 こうした可塑性を保証する生理的過程は、目標となる機構を前進的に構成して いくというよりも、不用な部分を淘汰していくものと考えられる。両性類による 網膜視蓋投射系での損傷実験では、再生された視神経線維が標的に到達するまで には、ランダムに側枝が発芽した後に、正しい投射部位に向いている枝だけが生 き残ってきらに分岐するという過程を積み重ねていくことが判明している〔20〕。 局所的に見た場合、このようにランダムな発生と余剰部分の淘汰を通じて行われ る神経系の編成の機構は、高等動物における可塑的な学習にも妥当する。事実、 ネコの視覚野における神経細胞の密度ほ、出生の約10日前にピークに達し、出生 前後から急激に減少することが報告されている。こうした観祭事実は、視知覚を 体験する以前に遺伝的なプログラムに従って基本的な配線を完了し、開眼後は入 力されたデータをもとに余剰ニューロンを淘汰するという生理レベルでの学習機 構を示唆する。この観点に立てば、方位などの諸特徴を分析する能力は、当初ラ ンダムに結合していたニューロンの中から、視覚情報を処理する上で有効な部分 を残す過程を通じて獲得されたことになる。
 以上の知見をもとに、認知過程で抽出される特徴ほ、遺伝的に与えられている 選択肢の中から知覚情報に合致するものを採用するという単純な形式で規定され ているのではなく、結合定数が可変的な神経回路で観察されるような自己組織化 によって定められたものと主張できる。このような組織化は、頻繁に提示される パターン、ないし、フィードバック機構によって効率的に伝達されるパターンに 対して成立する。従って、人間が優先的に認知する特徴も、人間が日常的に遭遇 する、あるいは、それを利用することによって認識展開が促進するという性質を 有するものと考えられる。

(ii)神経心理学的議論


 次に、前項で示した神経生理の実態が、現実の認知活動にどのように反映して いるかを議論する。ここでは、認知能力に障害がある臨床例をもとに健常者がも つ能力を推察するという、神経心理学の方法論を用いる〔21〕。


 既に述べたように、視知覚は、はじめ大脳後頭葉でいくつかの特徴成分に分解 され、視覚的記憶との照合などを経て、より高次の認知を構成する連合野へ送ら れる。従って、後頭葉の病変によりこの伝導路が破壊されると、視覚像を分析的 に掌握することが困難になり、物体失認や画像失認などの認知障害を生じやすい 〔22〕。特に、連合型と呼ぱれる物体失認では、対象物の命名や意味的説明の能力 が侵される反面、視覚によって他の物体と弁別したり口頭で形態を記述したりす ることは可能で、物体が置かれている方位や距離に関する空間認知も一般に障害 されない。このような視覚障害は、他の感覚種による認知や知的思考とは独立に 発現し得るもので、視覚的に認知できない物体も手で触れることでそれど知るこ ともある。こうした症状は、日常的には統一的な直観として現れる表象空間のオ プジェクトが、実は、いくつもの特徴に分解された上で、再び連合されて一個の まとまった対象として把握されていることを示す。


 障害がより高次の機能に及ぶ場合は、症状の解釈には複眼的な視座が必要にな るが、認知の基礎に分析的な過程が存するという構図は不変である。
 特に、空間認知に関しては、種々の感覚データの連合が正常に実行されない場 合に障害が生じ、その責任病巣は頭頂連合野に求められる。空間認知の病症は、 必ずしもその区別が明確ではないいくつかのカテゴリーに分類されるが、本節の 議論との関係で重要なのは、視覚性失見当と呼ばれる空間知覚の障害である(他 には、地誌的記憶の喪失や半側空間失認などがある)。その臨床的な症状として は、対象物が空間のどこにあるかを定位する能力や、複数の物体の間で大きさを 比較したり相互の位置関係を定める能力の喪失が見られる〔23〕。具体的には、紙 にランダムに描かれた複数のドットを写し取る作業で、近接している/隔たって いるドットの間隔を実際以上に大きい/小さいと感じたり、自由に動かせる棒を 手本と同じ方向に向けるのが困難になったりする。
 ここで興味深いことは、こうした視覚性失見当に、しばしば、眼球運動や感覚 フィードバックのような低次の視覚操作の機能障害が合併しているという事実で ある。症例から考えて、こうした知覚段階での障害が、(水晶体の傷が歪んだ網 膜像を生み出すように)知覚される像を直接的に歪めているとは考えがたい。む しろ、知覚と運動を連動きせることが困難になり、正常な随伴発射が行われてい ないことを示すものである。実際、二つの物体の間隔は、一方から他方へ視線を 移動させる間に眼球が回転した角度を測定すれば、自己の身体から物体までの距 離のデータをもとに導き出すことができる。ところが、もし、眼球がこの間に不 随意な運動をして回転角のデータに誤差が生じれば、当然、物体の間隔は誤って 認知されることになる。感覚フィードバック系が侵された場合も、同様にして空 間認知に誤りが生じる。このように、視覚性失見当が視覚操作の障害に(部分的 に)由来しているという臨床的事実は、逆に考えると、距離や方位にっいての正 常な空間認知が、低次の視覚的な操作に関する感覚/運動データを連合した上に 成立していることを意味する。


 以上の知見は、認知過程が機能的に階層分化しており、従来、知覚に内在する 特徴として直観的に把握されるものと見なされてきた性質の多くが、実は、種々 の感覚/運動データを連合させて初めて獲得される複合的な概念であることを、 明らかにしている。特に、表象空間に計量が定められるためには、具体的な操作 についてのデータが取リ込まれることが必要である。

(iii)発達心理学的議論


 最後に、表象空間における計量概念の獲得を、時間的発達の面から考察しよう。 以下では、幼児における空間認知の形成と、開眼手術を受けた先天性盲人の認知 の変化を取り上げる。


 幼児の発達に関しては、ピアジェの議論を援用する。幼児における空間認知の 発達過程は、次々に現れる視覚像を受動的に知覚するのみの最初期を別にすれば、

大きく3つに分けられる〔24〕。第1期(3−4才)では、幼児は抽象化された図 形の概念をもち、位相関係に基づいて形の再認を行うが、射影や計量の概念は発 達していない。第2期に(4−6才)に入ると、角のような手がかりをもとに直 線と曲線を区別することが可能になり、さらに第3期(6−8才)に到って、大 ききが変化しない物体を基準として長さを測定することを覚え、(ユークリッド 的な)計量空間の概念を獲得する。
 ここで重要なのは、幼児が計量をもつ空間を認知するためには、発達段階で基 準となる物体を繰り返し移動きせるという具体的な操作を行うことが前提になる という観察結果である。このような操作では、物体の大ききという感覚データと これを移動きせる過程での運動データが明示的に連合されている。従って、基準 物体を利用した測定操作ば、頭頂連合野で空間認知を司るニューロン系の組織化 を促す行為と想定される。
 論理的には、移動しても物体の大きさが不変に保たれるためには、空間的に計 量がほぼ一様であることが必要になるので、操作的に計量を定義しようとすると 循環論法に陥る。しかし、発達心理学的に見ると、幼児は、計量空間の概念に先 だって、その内部でオプジェクトの位相的な関係が定義され、これを移動したり 変形したリすることが可能な位相的表象空間を獲得していると見なされる。こう した位相空間における操作体験を積み重ねれば、たとえ移動・変形に対する量の 保存という観念を欠いていても、ある種の操作が量的関係に関与しないことを察 卸するのは容易である。例えば、A,Bという2つの物体の大小関係(A<Bま たはA>B)が測定の位置や時刻に依存しないことは、計量概念を獲得する以前 の幼児にも理解される。きらに、移動に対する物体の大きさの恒常性は、(両眼 視差などによって知られる)身体からの距離と物体の見かけの大ききという2種 類の感覚データを連合することによって、観念化することができる。このような 道具立てを利用すれば、基準物体を移動させながら次々に占める位置を(表象空 間内部に)マークし、その個数を数えることによって、不変な距離という基礎概 念を操作的に構成することになる。ただし、ここで謂う所の不変性とほ、同一の (あるいは測定順序の反転や並べ替えを行った)操作を操り返せば、同じ結果を 得るという意味である。
 表象空間の計量が操作的に構成されていることの痕跡は、注意深い内省によ て見いだすことができる。表象空間内部に近接した2点を思い抽き、その間隔を 直観的に認知することを試みられたい。おそらく、手に持った物体を2点問で移 動させる、あるいは視線を動かすときの運動知覚に類似したかすかな感じを覚え ることだろう(ちょうど言語による思考の際に舌や顎の筋肉の運動知覚を僅かに 感じるように)。それは、計量を定義するに当たって幼児期に利用した《操作》 の名残りなのである。成人の場合、こうした操作は、定位すべき物体についての 感覚データを処理する際に、身体運動のフィードフォワード制御系を利用すると いう方略の中に組み込まれているため、明瞭に意識されることは稀だが、必ずし も認識不可能な形式に還元されてしまった訳ではない。
 計量の認知の根底に具体的な操作が存することは、人間の空間認知をさまざま に規定しているが、その中で特に注目すべきは、物体と空間の分離である。人間 は、表象空間の内部に計量を直接に刻み込んでいるのではなく、物体の移動を前 提にして、操作的に計量を定義している。このため、(運動/感覚データの連合 という)認知的な操作を行う前の段階での《原》空間は、物体を動かす「余地」 としての消極的な意味しか持っていない。物体を移動しても空間ほ変化しないと いう我々の素朴な直観は、この消極性に由来する。実際、もし、物体の位置を定 めるのに物体を除いた部分の形状を利用するという認知の方略を採用するなら、 物体の移動と共に回りの「空間」は刻々と変化していくはずである。こうして、 全ての物体を貫通しこれを定位する絶対空間が、人類共通の概念として成立する ことになる。


 上述の発達心理学の議識を補足するものとして、生まれつき目の不自由な人が 視覚を得た場合、認知の形式にどのような変化が生じるかを見ていこう。
 網膜や視神経に病変がないにもかかわらず、先天性白内症などによって生まれ つき視知覚(形態・色彩の識別)を持たない先天性盲人が開眼手術を受けた場合 には、既に運動知覚を通じて表象空間の観念は獲得しているので、新しく得た視 知覚のデータを、それまで利用してきた表象の諸特徴に結びつけることが問題と なる。こうした患者の中で、手術前にある程度の残存視覚を有していた者は、開 眼直後の眩しさを克服すると、かなり早くから明暗・色彩の識別が可能となリ、 きらに、比較的短期間で平面図形の同定・識別もできるようになる。しかし、奥 行き方向の知覚の回復はこれより相当に遅れ、立体図形の識別や目標物までの距 離の目測が可能になるには、一般に数年の期間が必要になる〔25〕。こうした臨床 的事実は、たとえ計量を備えた表象空間が運動知覚を通じて既得のものであって も、新しく得られた視覚データをその中に埋め込むのは(晴眼者にほ即座に理解 できないほど)容易でないことを示している。この結果は、次のようにして説明 されよう。すなわち、平面図形については、頭部を動かしながら対象となる図形 の各辺を目で辿っていくことにより、運動知覚のみを利用して識別することが可 能となる(盲人の場合も身体図式は成立していると考えられる)。ところが、立 体図形を把握するには、両眼視差などの視覚的データを連合する機構が必須なた め、物体が「立体的に見える」ようになるには、連合野での神経系の再組織化に 要する期間がかかるのである。
 上の事例は、表象空間の拡がりが決して直観的なものではなく、具体的な神経 系に裏付けられた各種データの連合の上に成立しているという先の結論を、再び 確認するものである。


 ここで、これまでの議論を総括しよう。
 表象空間の計量(および他の物理的諸性質)は、次のような性質を持つと主張 できる。(i)計量概念の構成要素は、全体的な直観ではなく、特定の神経系に担わ れる分析的特徴である。(ii)個々の分析的特徴は、両眼視差の利用など最も基本的 な部分では生得的プログラムに規定されるが、処理内容の具体的な定式化や優先 順位は生後体験を通じて形成されるものである。(iii)計量の概念は、このような特 徴を与える低次の認知を、特定の神経機構を通じて連合することによって得られ る。(v)このような連合の(神経系レベルでの)プログラミングは、幼児期におけ る具体的行動をもとに操作的に遂行される。
 次節では、ここに記した計量概念の諸特質が、科学的議論を制約するものであ るかを見ていくことにする。

2.一般相対論の境界条件に対する心理的拘束


 科学が客観的な真理の体系と考えられたのは、前世紀の楽観的な近代合理主義 の枠内であり、現在では、科学は有効な記述の集成と見なされるのが一般的であ る。従って、旧来の科学理論の中に、人間が置かれている物理的・心理的環境か らの拘束を発見することはそれほど困難ではない。だが、まきに現在進行形で語 られるべき現代科学に関しては、その複雑かつ膨大な体系が、科学哲学的考察を 阻んでいるのが事実である。しかも、現代科学は、科学的概念が常に「但し書」 にょって修正される可能性を亭んでいることを自覚しておリ、観念的な欠陥を指 摘しても直ちに理論を作リ直して哲学的議論に足をすくわれる失態は演じない。 実際、(特にアメリカの)科学者の大半は、哲学の議論は時間の無駄に過ぎない と見なしている。しかし、人間の認識能力がどこまで及ぶかという科学的認識論 の最前線を検討するためには、現代科学における物理的・心理的諸拘束の問題を 避けて通ることは許されない。とは言え、具体的な理論の内容に触れない一般論 では、現代科学が本来もっている柔軟性を理解していないとの譲りを免れないだ ろう。こうした観点から、本節では、議論を一般相対論の境界条件というきわめ て限定された範囲に絞り、そこに、人間が利用する計量概念の特質がどのような 影響を及ぼしているかを考察することにする。ただし、議論の性質上、建設的な 結論を与えることはできない。


 一般相対性とは、計量場(=重力場)gijが定義された可微分多様体上 で、任意のテンソル、およびこのようなテンソルによって表される物理法則が、一般座 標変換に対して共変になることを意味する。特に、微小な世界間隔dsはスカラ ーとなるので、定義より座標変換に対して不変である。一般相対性を定義する条 件のうち、物理的に計量場が実在することは、単に、距離や経過時間が測定でき るという経験的事実からだけでなく、素粒子の寿命が速度に依存するという厳密 な測定結果からも支持される。また、理論の共変性に関しては、それを実証する 観測結果は重力による光の屈曲など僅かしか得られていないが、方程式の数学的 な単純さから多くの物理学者に支持されている。特に、一般相対性を理論の柱と するアインシュタインの重力理論は、(i)理論の数学的な形式が完全かつ無矛盾で あること、(ii)物質に関する運動方程式で重力場を形式的にミンコウスキー計量に 置き換えると特殊相対論に帰着すること、(iii)弱い重力場の極限でニュートンの重 力理輪を与えること、及び、(iv)弱い等価原理(自由落下の加速度が質量に依存し ないこと)を自然に満たすことなどから、高度な有効性を持つ理論と考えられて いる〔26〕。


 このように一般相対性を認める物理学者は多いが、実は、これだけでは理論を 一意的に決定することはできない。その理由は二つある。第一に、一般相対性は、 運動方程式は共変に表されるべしという制約を課すだけで、具体的な方程式形ま で定めるものではない。実際、アインシュタインの重力理論は、計量場の運動方 程式を与えるラグランジアンがスカラー曲率の1次関数になると仮定しており、 一般相対論の中では最も簡単な部類に属する。第二に、方程式形を決定した場合 でも、計量場の境界条件を与えるのに充分な情報は、―般相対性の概念の中には 含まれていない。このことは、―般相対論がいわゆる「マッハの原理」を満たし ていないことを意味する。ただし、「マッハの原理」とは、局所的な相互作用の 形式が、物質分布などの大域的な物理状態に応じて定まることを主張する。境界 条件は明らかに相互作用を規定するものだが、現在の理論では、物理状態とは別 に漸近値を形式的に導入しなければ決定できないため、マッハの原理とは相入れ ないのである。
 本節では、ここに述べた二つの不定性のうち、前者の方程式形の不定性は取リ 上げない。何となれば、この問題は、実験を通じてその有効性を判定すべきモデ ルの建設にかかわリ、科学哲学的議論の領域を逸脱するからである。以下では、 むしろ第二の不定性に着目して、境界条件の設定に対して一般に科学者はどのよ うな方法論をとるか、また、その方法論は人間が採用している認知の方略に影響 されているかを、一般相対諭という具体的な科学理諸の枠内で議論していく。

【以下省略】

©Nobuo YOSHIDA