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注と文献





〔1〕井上健:「十九世紀の科学思想」;『世界の名著65現代の科学I』(中央公論社、1973)56ページ。
〔2〕ポルツマン:「理論物理学の方法の輓近における発展について」; 前掲書〔1〕に収録。
〔3〕こうした科学観を科学哲学の形式で展開して見せた最初の思想家は、おそらくマッハではないかと思われる。例えば、「物理学の命題や概念というものは、いずれも縮約きれた指針であり、それ自体しばしば他の指針を包括している経済的に秩序づけられた、いつでも使える形になっている経験」であるという言説を見られたい。E.マッハ:『認識の分析』(廣松渉・加藤尚武編訳、法政大学出版局、1971)46ページ。ただし、本節は、あくまで科学の実状に目を向けるものであるため、思想史の領域にはあえて入り込まない。
〔4〕現代物理における質量の概念は、理論の階層に応じて異なった取り扱いを受けている。こんにち物理学体系の最も基礎にあり、従って原理的には全自然現象を記述できると見なされている場の量子論によれば、理論的な質量が場の変数を定めるラグランジアンに現れる2次の自己結合の結合定数として定義され、観測される粒子運動動学的質量は、これと散乱理論における漸近条件を通じて結びついているとされる。ただし、場の理論は完全には無矛盾でないため、上の質量の定義も暫定的なものと考えられる。これよリ階層が高く応用のために特殊化された理論は、一般に公理論的に構成することが可能なので、質量の定義もそれぞれの公理に従属することになる。
〔5〕J.モノー:『偶然と必然』(渡辺格・村上光彦訳、みすず書房、1972)。モノーの議論は、アロステリック作用をもっ調節酵素の機能を、論理的連関の不明確なまま日常的観念である生物の合目的性の概念と結びつけようとしているため、深刻な論争を惹き起こした。
〔6〕この見解は各研究者の著作に常に明示されている訳ではないが、確率過程の理論に基づく進化についての数学的取り扱いは今世紀の進化学の常套手段になっているので、立場の異なる進化学者の間にも共通認識として認められていると思われる。例えば、木村資生:『分子進化の中立説』(紀伊国屋書店、1986)134ページ;E.ウィルソン:『社会生物学1』(伊藤嘉昭監訳、思索社、1983)119ページ。ただし、パラメーター変動の原因や生存確率の絶対値などについては、研究者間で大きな見解の相違がある。
〔7〕一部には混合状態が真の状態であるとする解釈もあるが、大多数の物理学者は批判的である。"THE MANY-WORLDS INTERPRETATI0N OF QUANTUM MECHANICS,"(edited by D.S.DeWitt and N.Graham, Princeton University Press,1973)参照。
〔8〕公理論的量子力学の教科書は、既にいくっか出版されている。例えば、A.Glimm and A.Jaffe "QUANTUM PHYSICS," (Springer-Verlag,1981)参照。
〔9〕R.Levi-Montalcini:'The Nerve Growth Factor 35 Years Later,' Science,237(l987)ll54.
〔10〕G.S.ステント:『分子遺伝学』(長野敬訳、岩波書店、1983)第20章
〔11〕山本長三郎:「長期増強の発生機構」;『脳科学の新しい展開』(伊藤正男。酒田英夫編、岩波書店、1986)に収録。
〔12〕『物理学論文選集212 素粒子の統一理論』(小林誠・吉村太彦編集、日本物理学会、1981)188ページ。
〔13〕科学における記述困難な要素が、こうした認知方略の領域に限らず、より上層の概念に含まれているのも事実である。しかし、ここでは、そうした「暗黙知の次元」に属する知識は、科学理論の運営に重要な役割を果していないと考える。この点では、筆者は、M.ポラニーと見解を異にする。M.ポラニー:『暗黙知の次元』(佐藤敬三訳、紀伊国屋書店、1980)参照。
〔14〕J.へロン:『左きき学 その脳と心のメカニズム』(近藤喜代太郎・杉下守弘監訳、西村書店、1983)164ページ。この文は、左ききの遺伝的のような日常的な話題に対して、科学者がどのように問題画定するかを示す例として選んだ。もちろん、本文の内容とは直接の関係はない。
〔15〕この節の用語法は、いたずらな混同を避けるために、科学哲学の領域で比較的使用されていない語を選ぶようにしており、情報科学で用いられる際の意味を特に意識している訳ではない。本節で述べる「バケット」は、その意味内容さえ誤解しなければ、「理論的命題」と読み換えても一向にかまわない。
〔16〕この点については反論があるかもしれないが、筆者は、大部な哲学や心理学の著作を念頭に置いて結論している。科学論文には長文のレヴュ―も含まれるが、これも解説を詳しくしているだけで、内容量に対する命題の提示率は通常の論文と同程度である。
〔17〕典型的な例として、アメリカの代表的な科学雑誌である"Science"最新巻第1号に掲載された論文で調べると、平均3ページに満たない10のレポート(小論文)の平均引用文献数は20である。
〔18〕N.M.Schneider et al.: 'Eclipse Measurements of Io's Sodium Atmosphere,'Science 238(l987)55. ここでは中立性を期すため、〔17〕の第1論文を選んだ。括弧内部の数字は当該論文の引用文献を指す。
〔19〕『岩波講座 免疫科学5 免疫応答の調節』(多田富雄・浜岡利之編、岩波書店、1984)
〔20〕T.ク―ン:『科学革命の構造』(中山茂訳、みすず書房、1971)。クーンのパラダイム概念は定義が明確でないという批判があるが、これを特定の理論クラスターで採用している理論応用上の技法の集合と解釈しさえすれば、クーンがこの語を用いている全ての場面に適合すると考えられる。なお、「パラダイム」は、本節で謂う所の基本前提とほとんど一致する概念だが、無用の誤解を避けるため、あえてこの用語は採用しなかった。
〔21〕グリヨ・ド・ジヴリ『妖術師・秘術師・錬金術師の博物館』(林瑞枝訳、法政大学出版局、1986)267ページ。例えばルイ14世のホロスコープでは、「火星が財産と利益との第二の家にあり、その治世が好戦的でかつ富に恵まれる」ことが予測されるという。
〔22〕フレーバ―(香り)もカラー(色)も、ハイゼンベルグの案出したアイソスピン空間と同じく内部自由度を表す概念である。もちろん、この命名法は科学者の「洒落」であって、日常的な意味との関係はない。
〔23〕電気素量を基準とした電荷の値は、世代によらず共通で、次の関係を満たしている:
  (カラーによる電荷の差)=0
  (アップの電荷)−(ダウンの電荷)= 1
  (クォークの電荷)−(フレーバーが共通のレプトンの電荷)=+2/3

〔24〕それぞれの理論にはさまざまなヴァリエーションがあるため、これと若干異なる仮定を置く場合もあるが、本質的な差ではない。
〔25〕この表現は余り厳密ではない。この間の歴史的状況は、例えば、『素粒子の統一理論』(前掲書〔12〕)の解説参照。なお、より小さな内部自由度を用いる理論もあるが、基本粒子を二つにして複雑な相互作用を仮定しなければならない。
〔26〕Physics Briefs該当号のSubject lndexに基づく。例えば、1979年の時点では、「大統一理論」、「サブ・クォーク理論」の項目はなく、前者は、電磁相互作用と弱い相互作用との統一を含む広い意味での'Unified gauge models'の項に、後者はバリオンの構造などと並んで'Composite models'の項に登場する。タイトルからの推測なので厳密な数 ではないが、この年は、「大統一理論」の論文数52に対して「サプ・クォーク理論」の論文は僅か5篇である。さらに、1982年には大統一理論を示す'Grand unified Theory'の項目が登場するが、サプ・クォーク理論は項目として独立せず、他の理論との同居を余儀なくされている。1986年のデータでは、大統一理論の論文数236篇(ただし、この中には、大統一理論の枠組みを援用したサプ・クォーク模型の論文が51篇含まれる)、これに対して('Composite models'の項目中に現れる)サプ・クォーク理論の論文数は29篇となっている。
〔27〕もちろん、バケット生成能力の大きい理論ほど論文を書きやすいので、(教授に昇進するためなどの)業績をあげるのに利用しているという生臭い側面が存することも事実である。
〔28〕例えば、コウモリがkatydid(キリギリスの一種)のオスの鳴き声を捕食の際の手がかりとして利用しているか否かを調べる目的で、この鳴き声の録音テープと(鳴かない)メスとをそれぞれ備え付けた二つのカスミ網を使ってコウモリを捕獲したところ、前者には24羽のコウモリが掛かったのに対して後者には1羽も捕まらなかったというデータがある。一般の人はこれだけで仮説が実証きれたと見なすだろうが、科学的には、χ22‐検定法を用いて、「χ22=24,P<0.001となり上の仮説は妥当である」と主張されるのである。
〔29〕観測データを得るのに高度の専門技術が要求される領域で見られる実験家と理論家の明確な役割分担は、こうした状況を反映していると考えられる。ただし、多くの実験家は理論的な素養も備えているので、その論文は、実験データと理論的検証が複雑に入り交じったものになっている。
〔30〕三浦謹一郎:「遺伝情報の変換様式とその起源」;『続 分子進化学入門』(今堀宏三・他編、培風館、1986)に収録。
〔31〕筆者はここで、「黒いスワンが発見された場合」という古典的帰納法の初等教科書に記されている滑稽な例を念頭に置いている。
〔32〕発表きれる論文の中で、学問の進歩に建設的な役割を果しているものが全体の何パーセント程度であるかを示す統計はない。しかし、経験的には、代表的な科学雑誌に掲載される論文でも、十年後になお引用されるものは、基礎科学の領域に限れば5パーセント以下であろう。膨大な科学論文全体('Physics Brief'や'Chemical Abstracts'などの要旨を収めた抄録誌だけでも1年分で数十cmの厚さになる)を考えれば、その割合はさらに低下するはずである。この数字は、私企業の付設研究所で行われている研究が「ものになる」率が60〜70%といわれているのに比して、著しく小さい。
〔33〕例えば、不確定性原理の意義を明らかにするためにハイゼンべルグが行った有名な思考実験(光子を使って電子の位置と運動量を測定する)は、形式的には不確定性を導くものだが、その哲学的解釈は妥当性を欠くものである。
〔34〕ここでの議論はステレオ・タイプ化されていて、歴史的発展に必ずしも忠実ではない。実際、コンピューターに詳しい数理科学者が、同時に物理学の特定分野に籍を置いていることは稀ではなく、乱流の研究を担ったのも多くはその手の数理物理学者であった。しかし、外見上はともかく、研究の手法が分業化されているという事実に変わリはない。
〔35〕このような科学の「失敗史」は教科書などに記されることが稀なため、科学の専門家以外にほその実態が掴みにくいに相違ない。ここに掲げた2例も、筆者の個人的な研究経験に依拠するものである。
〔36〕N.チョムスキー:『文法理論の諸相』(安井稔訳、研究社、1970)第1章 §3. ただし、本文に記した各条項は、チョムスキーが自説の方法論を展開している論述をもとに、筆者が再構成したものである。
〔37〕チョムスキー自身、後になって、基底から変形操作によって得られる文を、それまで現実の発話と一致すると見なされてきた表層構造から区別する意味で、《S構造》と呼ぶようにしたこのような理論の修正は、自然科学では珍しいことではない。例えば、大脳の機能局在論の立場からすれば、純粋な聴覚性伝導失語は読字理解を正常に保つはずだが、実際には長い単語や未知の単語は錯読を伴うことが多い。こうした症例は、モデルの妥当性を否定するものではなく、無声の音読によるフィードバック機構を「但し書」として付記するだけで、従前のままのモデルに基づいて解釈できるのである。
〔38〕N.チヨムスキー/M.ハレ:『現代言語学の基礎』(橋本萬太郎・原田信一訳、大修館書店、1972)、解説 196ページ。
〔39〕筆者の見るところ、停滞の原因は、一次資料に対する説明力を増すために、痕跡理論やα移動の規則など、必然性の乏しい規則を次々に導入して理論の見通しが悪くなったことにある。換言すれば、科学的方法論に則った対抗理論間の競争による理論運営がなされなかったのである
〔40〕認知言語学という呼称は必ずしも一般的でないが、ここでは、認知科学の手法に基づいて言語を論じる学問の意味で用いることにする。
〔41〕現時点では、知識ベースを仮想的に扱い、意味ネットからの切リ出しは他言語の表現で代用する、いわゆる「機械翻訳」の研究が中心的である。この研究は、ある変形規則が有効なものか否かを実際の翻訳の是非によって直ちに検証できるという実用的な利点があるが、反面、表現を整えるためのアド・ホックな規則を優先する余り根本的な制約が見逃される危険がある。機械翻訳については、例えば、田中幸吉編:『知識工学』(朝倉書店、1984)、第II部第3章参照。
〔42〕梶田優:「変形文法」;『英語学大系第4巻 文法論II』(大修館、1974)に収録。この論文では、"also"や"even"の付与変形が問題にされているが、基本的には日本語の「も」と同じである。
〔43〕認知心理学の教科書は、近年になって相次いで刊行されている。例えば、J.R.アンダーソン:『認知心理学概論』(富田達彦・他訳、誠信書房、1982)参照。
〔44〕J.ピアジェ:『知能の誕生』(谷村覚・浜田寿美男訳、ミネルヴァ書房、1978)
〔45〕認識論哲学の主要な著作が認知科学の領域で執筆されていることに気がつかないのは、哲学者だけである。実際、筆者が読んだ範囲で、最近十年間に現れた最もすぐれた「認識論」の論文は、情報科学者のニューウェルによるものである。A.ニューウェル:「物理記号系」;D.A.ノーマン編:『認知科学の展望』(佐伯眸監訳、産業図書、1984)に収録。
〔46〕C.レヴィ=ストロース:『親族の基本構造』(馬渕東一・田島節夫監訳、番町書房、1977)
〔47〕本節で示した科学的方法論を用いる人文・社会科学は、「構造主義」と呼ばれる思想潮流と密接に関連している。ただし、この呼称は、しばしば「ポスト構造主義者」によって、60年代以降にフランスで流行した思想を一括するのに用いられる(フーコーやラカンのようなレヴィ=ストロースと正反対の思想家が、構造主義の名の下にまとめられている)ため、本文では採用しなかった。

©Nobuo YOSHIDA