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は じ め に



 バイオテクノロジーは、原子力とともに、20世紀の科学・技術文明が人類に与えた巨大なパワーの源である。これを適切にコントロールするだけの叡智があれば豊かな富を生み出すことができるが、愚かな使い方をすると、子々孫々にまで禍根を残すことになる。たとえ科学・技術に直接携わっていなくとも、現代社会に生きる人間として、われわれは、バイオテクノロジーとはいかなる技術であり、これを使って何が行われようとしているかを知っておかなければならない。
 「バイオテクノロジー」という用語は、直訳すると「生物/生命(に対する)技術/工学」となり、広義に解釈すると、人類が有史以来行ってきた農作物や家畜の品種改良も含まれてしまうが、ここでは、20世紀後半に実用化された生命操作の技術に限定し、「生物の器官/組織/細胞/細胞内器官/遺伝子/生化学物質に対して工学的な操作を加えることによって、自然界に存在しない状態を実現する技術」と定義しておこう。特に強調したいことは、こうした操作が、自然の中ではなく、実験室環境下で行われている点である。農作物の品種改良の場合、20世紀半ばまでは、農業試験場に用意された土壌生態系において実際に作物を生育させながら、優良品種の系統を選別していった。しかし、20世紀末に実現された遺伝子組み換え作物は、"in vitro"(試験管内部)で遺伝子組み換えと組織培養を行って作り出されたものであり、複雑きわまりない自然の生態系から切り離された人工的な産物である。この「不自然さ」が、現代的なバイオテクノロジーに対する不信感の起源となっている。
 なお、一般的な用語法では、人間に対する「メディカルテクノロジー」と人間以外の動植物に対する「バイオテクノロジー」は区別されるが、ここでは、「実験室環境における工学的操作」という点で共通するという理由から、両者を併せて扱うことにする。

 バイオテクノロジーの使用において、最も議論の対象になるのが、安全面と倫理面の問題である。安全性に関しては、バイオテクノロジー製品の使用が人間の健康に悪影響をもたらさないか、受精卵や遺伝子を操作する医療技術に有害な副作用はないか、遺伝子組み換え作物のような人工的な生物が自然の生態系を破壊しないか──といった論点が考えられる。また、倫理的な問題としては、人間の都合で異形の生命体を生み出すことに対する根元的な疑問に始まり、産業のために生命を利用することの是非、さらには、人間にバイオテクノロジーを適用するときに依拠すべき指針などが、考察の対象となる。
 人類が、生命の発生をもコントロールする能力を手中に収めつつあることは、科学の勝利として歓迎すべきかもしれない。現に、現代に生きる人は、知っていると否とにかかわらず、医学や農学の分野に応用されたバイオテクノロジーの成果を享受しているのだ。しかし、かつては、人智の及ぶべくもない神の領域として、宗教的な畏怖の念をもたらしてきた生命の神秘が、冷徹な科学によって白日の下にさらされているという事態は、人類の行動に倫理的な歯止めがかからなくなっているのではないかという懸念を呼び起こす。傲岸な人類は、核エネルギーに続いて、性懲りもなく新たなパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。
 こうした不安は、科学・技術が持つ現代的な役割を考えれば、ますます募ってくる。アカデミックな興味に基づく貴族的な学問として科学が享受されていた19世紀以前とは異なり、20世紀の科学・技術は、経済的(ときに政治的)目的を実現するために組織化されている。組織の中で目的指向的に研究・開発を行っている科学者・技術者は、与えられた職分に自足してしまい、自分の研究対象が倫理的・宗教的にどのような意味を持つか、あまり深く考える機会が少ないように思われる。そうでなければ、どうして、胚移植により異形の生物を作り上げたり、中絶された人間の胎児を素材に研究することができるのだろうか。
 特に注目したいのは、アメリカがバイオテクノロジーを21世紀の産業を支える基幹技術として位置づけ、政策的にその振興を図ろうとしている点である。アメリカ政府がバイオ関連事業に支出する年間予算は約2兆円(1997年度)であり、英・仏・独の数百億円、日本の5千億円を大きく上回る。これは、バイオテクノロジーによって先端産業を活性化させ、21世紀においてもアメリカの経済的優位を維持しようとする国家戦略の現れと考えられる。1990年代にアメリカは未曾有の好景気を謳歌することができたが、その契機となったのが1980年代に行った情報技術(IT)への先行投資であり、ビジネスに直結する技術開発によって、電子商取引やデジタルTVなどの情報産業の分野で他国の追随を許さない地位を確保し得た結果である。バイオテクノロジーが21世紀初頭に情報技術と並ぶジェネリック・テクノロジーになるという見通しは衆目の一致するところであり、この分野への投資はバイオ産業の隆盛として結実すると期待されている。それだけに、アメリカでは政府が多額の予算を計上して技術開発を後押しし、多くのベンチャー企業がその時流を捉えて飛躍する機会を伺っている。1990年代半ばからアメリカ国内で作付け面積が拡大している遺伝子組み換え作物は、こうしたバイオ産業の一つの成果であり、その輸入を渋るEUに対して政府が非難の矛先を向けているのも、頷ける事態である。ただし、生命に対する操作を産業活性化の起爆剤として利用すること自体、安全面と倫理面から懸念を覚えずにはいられない。
 この章では、現代の科学・技術が、生命に対してどのような操作を行っているかを見ていきながら、安全と倫理の問題について、改めて考えてみたい。

生命活動に関する基礎知識


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 地球上に棲息するほぼすべての生物は、細胞という単位から構成されている。多細胞生物の場合、たった1個の受精卵から始まって、分裂を繰り返しながら身体が形成されることになる。このとき、個々の細胞は、置かれている状況(特定の化学物質の濃度や隣接する細胞の性質など)に応じて、形態や機能を変化させる。例えば、心臓に組み込まれている細胞は、周期的に自律的な脈動を繰り返す心筋細胞となる。このように、細胞が体組織の各部位で独自の性質を示すことを「分化」と呼ぶ。1個の受精卵が分裂して生まれた細胞が適切に分化していくことが、正常な個体の発生には必要不可欠である。こうした分化がどのようなメカニズムで実現されているかは、かつては人類に解き明かしがたい謎であり、生命の神秘の基本であった。
 しかし、20世紀の生命科学は、この謎を、かなりの程度まで解明している。
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 個々の細胞は、遺伝情報を蔵した染色体を保有している。真核細胞の場合、染色体は膜で区切られた核の内部に存在し、DNAでできた“ひも”が巻かれた状態になっている(染色体の形状は、細胞の状態によって変化する)。人間には46本(22対+性染色体2本)の染色体がある。 L17_fig34.gif DNA(デオキシリボ核酸)は、4種類のヌクレオチド(A,T,G,C)がつながったひも状の高分子が二重らせんを形成したもので(右図)、細胞分裂の際には同じDNAが複製される。染色体において一定のDNA配列に挟まれた領域は、タンパク質のアミノ酸配列をコードしており、遺伝子と呼称される(下図)。人間には、約10万の遺伝子が存在する。染色体の特定部位に化学物質が結合して遺伝子が活性化されると、RNAの助けを借りてタンパク質が合成される。遺伝子は、言うなれば、生命の設計図であり、生命機能の大部分は、この遺伝子の活性化や不活化によって実現されている。
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 遺伝子の活性化によって特定の生命機能が実現されるプロセスはきわめて複雑であるが、最も代表的なケースに限って単純化して説明しよう。細胞内部および細胞間での情報伝達は、主として、化学物質の交換という形で行われている。ある機能(例えば、タンパク質を産生する)を実現すべしという情報は、外部から特定の化学物質が細胞内に送り込まれることによって伝えられる。細胞内に入ってきた化学物質は、一連の化学反応を通じて、DNAと結合できるような“調節タンパク質”に変換される。この“調節タンパク質”が、DNAの特定の部位に結合することによって、産生すべきタンパク質の化学構造がコードされている遺伝子が活性化される。この遺伝子がコードしている情報は、RNAにいったん“転写”され、このRNAが、細胞内器官の一種であるリボソームと結合し、そこで目的のタンパク質が、コードされた情報通りに合成されるのである。こうして作り出されたタンパク質は、細胞膜に結合してその形態や機能を変化させたり、細胞外に放出されて別の細胞に作用したりする。
 以上をまとめると、遺伝情報が発現されるに当たっては、3つの要素が絡んでくることがわかる。すなわち、(1)当該情報をコードする遺伝子そのもの;(2)その時点における遺伝子の状態(調節タンパク質の結合の有無、化学的修飾の度合い、染色体末端の構造など);(3)遺伝子が置かれている周囲の状況(情報を伝達する化学物質の濃度など)。これらのヴァリエーションに応じて、細胞はさまざまな機能を実現することになる。
 ここで注意していただきたいのは、遺伝子の発現がきわめて局所的なプロセスであり、生物個体の全体的状態や置かれた環境に直接的に応じる形で遺伝的プログラムが遂行されるわけではないという点である。個々の細胞は、あくまで自分の個別的な状態に基づいて活動しているにすぎない。にもかかわらず、個体の形態形成や環境への応答が、あたかも全体的な視座に立って意図的な制御がなされているかのように実現されていることは、驚異と言わざるを得ない。
 地球上の生物は、もともと、きわめて少数の先祖(おそらくは、浅い海の中で紫外線の作用によって合成された高分子の集まり)から進化してきたものであり、基本的な構造――脂質二重層からなる細胞膜、ミトコンドリアやリボソームなどの細胞内器官など――はだいたいにおいて共通している。比喩的に言えば、生命交響楽を演奏するオーケストラの楽器構成は決まっているが、その楽譜が個々の生命体に応じて異なっていて、独自の個性を持つメロディーが生まれてくる。人間は、科学・技術の力を借りて、その楽譜に手を加えようとしているのだ。

バイオテクノロジーの発展



 バイオテクノロジーは、20世紀後半になって急速に発展した技術である。ここでは、その歴史を簡単に回顧したい。
1953 DNA二重らせん構造を解明(ワトソン/クリック)
1964 塩基配列による遺伝暗号を解明(ニーレンバーグ/コラーナら)
アミノ酸に対応するコード配列(3塩基配列)を決定。
1970 DNAを切断する制限酵素の作用を解明(ハミルトン/スミス)
1973 遺伝子組み換えの基礎技術を開発(コーエン/ボイヤー)
1975 遺伝子組み換えに関するアシロマ会議開催
1978 最初の体外受精児誕生
1978 細胞融合による植物体細胞雑種「ポマト」を作出(メレハース)
1979 ヒト・インスリンを大腸菌で発現させる(ゲッデルら)
1980 米連邦裁判所、オイルを分解するバクテリアに生物特許を認可
それまで技術的な発明・発見に限られていた特許権が生物に対して適用された初めてのケースである。これ以降、生物特許を利用してバイオ・ビジネスを興そうという動きが加速される。
1982 組み換えDNA技術で大腸菌から生産したインスリンの市販をFDAが認可
これ以降、成長ホルモン・血栓溶解因子などを大腸菌で大量生産することが可能になる。
1982 遺伝子操作動物の作出に成功(ブリンスター/パルミター)
ラットの成長ホルモン遺伝子がマウスに導入され、正常の2倍の大きさにまで成長した。その後、動物の遺伝子操作技術は急速に進展し、1999年には、中枢神経系に関与する遺伝子を操作して「頭の良い」ネズミを作るという『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キースが書いたSF小説)を彷彿とする実験が行われた。
1985 DNA断片を大量に複製する手法(PCR法)を開発(米シータス社)
1986 米特許庁、遺伝子に対して特許を発行 米国には、自然界にもともと存在する物質であっても、新たに利用法を開発した場合は、開発者に対してその物質の使用についての独占的権利を与えるという「物質特許」の考えがある。EUや日本では、遺伝子そのものに対する特許は認められていない。
1990 ADA欠損症の患者に世界最初の遺伝子治療が行われる(アンダーソン)
1993 ヒトの抗体を作る遺伝子操作マウスを作出(ロンバーグら)
1994 遺伝子組み換え作物を世界で初めて販売(米カルジン社)
1996 ヒツジで体細胞クローンの作出に成功(ウィルムット)
1998 ヒトの体外受精卵からES細胞を分離することに成功(トムソンら)
2000 ヒト遺伝子をほぼ解読(米セレーラ社)

 1960年代頃までは、まだ、発生・分化に関する研究は緒についたばかりで、遺伝子の構造や機能に関するアカデミックな研究が大学の研究室を中心に進められていた。そうした中で、試行錯誤に基づく生命操作も行われるようになり、発生初期のオタマジャクシの細胞の一部を体の別の部分に移植すると時期や部位によって分化のしかたに変動が見られることや、植物組織をバラバラにしたカルスから個体が再生できることなどが、少しずつ明らかになってきた。
 試行錯誤の段階が終わり、バイオテクノロジーが飛躍的な進歩を遂げるのは、1970年代に入ってからである。この時期にいたって、洋裁師が生地を裁断して洋服を仕立てるように生命を操作する可能性が現実のものとなってきた。特に、コーエンとボイヤーが、プラスミドと呼ばれるDNAのリングを利用して、染色体に遺伝子を挿入する技法(プラスミド法)を開発したことが、大きなきっかけとなっている。プラスミド法は、遺伝子工学の分野で初めて特許の対象となるが、コーエンとボイヤーが特許権を大学に委譲し、きわめて安価に利用できるようになったため、生命操作の基礎技術として広く利用されるようになる。制限酵素を利用してDNAを狙った部分で切断し、プラスミド法によって他の生物の染色体に組み込むことにより、人間の望んだ形質を持つ生命を生み出す可能性が、現実的なものとなってきた。
 バイオテクノロジーによる生命操作の話は、長い間イメージばかりが先行して、技術的に何が実現可能かがなかなか明らかにされなかった。実際、1970年代に、この技術を利用して一大産業が勃興すると予想された当初は、「将来はリンゴの木に豚肉が実るようになる」といったいささか無責任なメッセージが、科学者の口から発せられることもあった。しかし、現実には、異種の生物の遺伝的形質を兼ね備えた生物を作り出すことは、技術的にはきわめて困難である。こうした自然界に存在しない異形の生物は、ギリシャ神話に登場する頭がライオン、胴がヤギ、尾がヘビという怪獣になぞらえてキメラと呼ばれるが、植物の細胞融合(遺伝子の切り貼りは行わずに2つの細胞を電気刺激によって融合する)の技術を使った成功例はあるものの、遺伝子操作によるキメラの作成は困難を極めた。特に、動物同士のキメラを作成する際の技術的障壁は大きく、現実に作られたのは、せいぜい、ニワトリの初期胚にウズラの細胞を移植して生まれたニワトリとウズラのキメラ生物であり、これとても、一部にウズラの羽毛がはえたヒヨコが生まれるものの、神経性疾患のため生後数週間で死亡してしまっていた。
 1980年代までに、科学者たちが産業に応用できる「現実的な」技術として開発してきた生命操作法は、大きく2つに分けられる。第1に、遺伝子の切り貼りは行わず、細胞融合や胚移植(発生の初期段階で組織の一部を移植する)、核移植(内部に遺伝子を含む細胞核を取り出して、核を取り除いた別の細胞に挿入する)によって、農業や畜産業における品種改良を行うという技術があげられる。第2に、遺伝子操作の技術を用いて、特定の生化学物質をコードしている遺伝子をターゲットとなる生物に組み込み、生物の形質転換を図ったり、産生された物質を抽出して利用したりする技術がある。このほかにも、遺伝子情報を利用する技術として、家畜が持つ経済的に重要な形質(肉質や乳蛋白量、成長速度など)に関与する遺伝子を探索し、そのデータに基づいて(人工授精などの)交配を行う技術も開発されている。

遺伝子組み換えによる生化学物質の製造

 遺伝子を切り貼りする技術によって、生物が実現している複雑多彩な機能を、ある生物から別の生物へ移転することは、一般にきわめて難しいが、特定の生化学物質の合成という単機能に絞れば、すでに実用化の段階に達している。1980年代には、バクテリアに当該物質をコードしている遺伝子を組み込んで培養することにより、従来は動植物の組織などから抽出していた生化学物質(さまざまなタンパク質や抗体,ホルモンなど)を工場で合成する技術が確立され、。
 遺伝子操作を利用した生化学物質の合成によって、一般の人が最も恩恵を被っているのは、医学の分野である。こんにち、インスリンや成長ホルモンなど医薬品の主成分となる多くの物質が、大腸菌などのバクテリアによって産生されている。かつては、目的の物質の化学構造が生体内のものとわずかに異なっていたり、望ましくない不純物が混入したりすることもあったが、現在では、高品質の医薬品を作るために不可欠の方法になっている。例えば、低身長症(小人症)の治療薬となる成長ホルモンは、かつては、死体の脳下垂体から採取していたため、量に限りがあったばかりか、外国からの輸入に頼っていた日本が「金で死体を買うのか」と批判の矢面に立たされたこともあったが、大腸菌を利用して大量に産生できるようになってからは、この問題は解消された(代わって、成長ホルモンが入手しやすくなったため、わが子が高身長になることを望む親が、医者に処方を強いるという別の問題が派生している)。
 この技術は、医学の分野だけではなく、食品業界にも有用である。例えば、子牛の胃からしか取れなかったキモシンをバクテリアによって大量生産し、チーズの製造に利用する技術も実用化されている。
 バクテリアによって生化学物質を合成する技術は、安全面でのハードルをクリアしさえすれば、倫理的な問題は少ないと考えられる。しかし、今後は、バクテリアだけでなく、ネズミやヒツジを使って化学合成を行おうという計画(遺伝子操作を行ったヒツジに医薬成分の入った乳を産出させる計画など)も練られており、人間のために生物を利用することがどこまで許されるのかという問題に発展していくことは確実である。

バイオテクノロジーのリスクと便益

 1970年代前半の段階では、具体的な成果は乏しかったものの、さまざまな研究テーマが示されるにつれて、人間の技術が新しい生物を作り出すことへの懸念を指摘する声は、少しずつ大きくなっていく。例えば、人間の腸内に生息する大腸菌にT型白血病のウィルスの遺伝子を組み込んで環境中に放出すると、何が起きるだろうか。おそらく、こうした「不自然な生き物」はサバイバル能力に乏しく生存競争に敗れて消滅していくだろうが、もしかしたら、したたかに生き残って人類を危地に陥れるかもしれない。安易に生命操作を行うことはきわめてリスクが大きいため、たとえ純粋に学問的な研究であっても、安全性の観点から規制が行われるべきである──そうした見解を示す研究者が増えてきた。
 1975年、世界中からバイオテクノロジーの研究者が集まって、生命操作の安全性を検討するアシロマ会議が開催される。この会議は、導入が検討されている技術の危険性を予測する「テクノロジー・アセスメント」の先例となるもので、バクテリアに病原体の遺伝子を組み込むといった危険な実験を行う場合は、外部にバクテリアが漏出しないような厳重な防護を行うことが必要だという考えが示された。アシロマ会議は、研究者自らが安全性のために自主規制の道を選択したケースとして、高く評価される。このとき提案された規制案は、その後、NIHなどによる遺伝子操作実験のガイドラインとして結実する。
 ところが、1980年代になると、バイオテクノロジーが巨大なビジネスチャンスを生み出すことが広く認識され、規制を求める声は次第にかき消されていく。ターニングポイントとなったのが、バイオテクノロジーによって生み出された新生物「オイルを分解するバクテリア」に対して、1980年に生物特許が認められたことである。流出オイルを分解して環境を浄化するのにこれを利用することができれば、独占的使用権を持つ特許権者に莫大な富をもたらすと期待された。このバクテリアそのものは、環境に放出されたときの安全性の問題などからビジネスに活用されなかったが、少なからぬ投資家がバイオ産業の持つ将来性に気づくことになる。この頃から、医薬品・食品・農作物・化学素材などさまざまの分野の企業がバイオテクノロジーの研究・開発に積極的に投資するようになり、その成果は、80年代から90年代にかけて(各種医薬品や遺伝子組み換え作物として)続々と商品化されていく。
 さらに、1990年代の終わりには、人間の遺伝子がビジネスの対象となる。ヒトゲノムの解読は、当初、国際共同研究として研究成果を広く公開する方針で進められていた。ところが、遺伝子が特許の対象となり、医薬品開発などで莫大な利益を上げる宝の山であることがわかると、多くのバイオベンチャーがこの分野に参入してくる。その代表が米セレーラ社であり、多大な先行投資によって最先端の分析機器を導入し、わずか3年で国際共同研究を追い越してゲノム解読を完了させてしまう。セレーラ社は、数千の遺伝子特許を出願するとともに、ゲノムのデータを有料で閲覧させるビジネスを開始した。
 こうしたバイオ・ビジネスの隆盛は、人類にとって多大な便益をもたらすとも考えられるが、その一方で、商品化を急ぎすぎるあまり、自然環境や人間の健康に悪影響を及ぼしかねない行為が行われる懸念もある。アシロマ会議の精神に基づいて、冷静にテクノロジー・アセスメントを行うことが望まれる。


©Nobuo YOSHIDA