§1.デジタル社会の到来
こんにち、コンピュータは単独で使用するよりも、ネットワークに接続して情報の共有やデータ交換を行うことが一般的になってきている。生産性向上のために、LAN(Local Area Network;構内ネットワーク)を構築してグループウェアを利用したり報告書を電子メールで送る企業が増加したほか、インターネット接続料が安くなったことから、個人で加入してWWWから情報を引き出したり電子メール・サービスを利用している人も多い。しかし、ネットワークを利用することによって利便性が高まった反面、ネットワーク詐欺や個人情報の漏出などのトラブルが企業や個人に及ぶようになりつつある。このセクションでは、主にインターネットを介してコンピュータが外部と接続されるようになった結果、社会にどのような変化が起きているかに着目する。
はじめに、インターネットとはどういうものかを簡単に説明したい。
インターネットの基本的な技術は、軍事的な目的の下にアメリカ国防総省(ペンタゴン)の高等研究計画局(ARPA)で開発が始められた(1966)。それ以前の通信ネットワークは、ツリー構造の回路(内部にループのない回路)をしており、ある端末から出た回線は回線収容局に集められ、回線の束が他の回線収容局まで伸びるという構造になっている(右図;これは通常の電話回線を表している)。このような通信回線では、端末同士を結ぶルートの1箇所でも断線すれば、もはや通信は不可能になってしまう(ただし、NTTの電話線などでは、重要な部分は二重化されているため、直ちに通信が途絶することはない)。戦時においては通信の確保が戦略上きわめて重要な意義を持つため、数箇所断線しても通信が途絶しないような仕組みが求められた。同時に、重要な情報を1箇所に集中させず複数のコンピュータで分散管理することの重要性も認識されるようになる。こうして、軍事を司る米国防総省が、コンピュータをネットワーク状に接続する技術に関心を持ったのである。
はじめに、コンピュータ同士を通信させる技術が考案され、1969年に、開発を委託されていたUCLAとスタンフォード大学のコンピュータの間で接続実験が行われた。送信が試みられたのは"LOGIN"という文字列だったが、"G"のところでシステムがクラッシュし、世界最初のコンピュータ間の通信文は"LO"にとどまったという。
コンピュータがノード(節)となるようなネットワーク状の回線を利用して情報を回送するシステムの基礎技術は、1973年に完成する。これは、「インターネット・プロトコル(IP)」と呼ばれる通信の約束事を定めるもので、簡単に説明すると次のようになる。まず、送り手となるコンピュータは、送信データの先頭部に送り先のコンピュータに割り振られたアドレス(いわゆるインターネット・アドレス)を付して、回線が通じているコンピュータに送信する。このデータを受信したコンピュータは、その先頭部を読みとり、そこに自分のアドレスが書かれている場合には取り込んで一定のアクションを起こし、他のコンピュータのアドレスになっているときには、そのアドレスに近い別のコンピュータに転送する。
この方法を使えば、右図の端末AとBが通信する場合、途中に断線箇所があっても、連絡が取れるコンピュータへとバケツリレー方式でデータを転送していくので、1本でも端末同士を結びつけるルートがあれば、原理的には通信が可能になる。インターネット・プロトコルは、途絶が起きにくい強靱な通信手段を提供してくれることから、1974年にアメリカ国防総省で採用された。
1980年代に入ると、コンピュータ同士をネットワーク化して柔軟にデータを転送する仕組みは、軍事通信網だけではなく、研究所や大学が研究データを交換する際にきわめて便利であることが認識されるようになり、もともと国防総省が実験的に作り上げたネットワーク(ARPAネット)が拡張される形で全米および西ヨーロッパに広がっていった。さらに、1989年には、ブラウザソフトを利用して相互にリンクされたさまざまなテキストを順次閲覧できるWWW(World Wide Web)の仕組みが考案され、専門的な知識を要するコマンド入力なしにインターネットが利用できるようになる。1993年には、当時のクリントン政権下でゴア副大統領が情報スーパーハイウェイ構想を提唱、「膨大な情報を誰もがすぐに利用でき、家庭とオフィスをマルチメディアのネットワークで結ぶ」ことが約束された。これをきっかけとして商用インターネット・サービスが急速に普及、1990年代半ばから利用者数が爆発的に増大し、いまやインターネットはビジネスや研究・教育に欠かすことができないツールとなった。
世界のインターネット人口は、1995年の2600万人から急増し続けており、2002年2月の時点では5億4000万人と報告されている。日本では、1999年に2700万人だった利用者は、2004年には国民の7割に達すると予想されており、インターネットが日常的に利用されるツールになりつつある。ただし、日本は必ずしもインターネット先進国ではない。利用率も、2002年はじめの段階で44%と北欧・北米諸国から大きく遅れをとった世界16位にとどまっており、アジア圏だけで見ても、香港・シンガポール・台湾・韓国の後塵を拝している。ただし、アメリカや韓国に比べて普及が遅れていた高速デジタル回線は、2000年頃から電話線を利用するADSLを中心に急速に広がりを見せ、世帯普及率では、アメリカと並ぶ8%台に達している。
情報技術を活用して行政手続きの合理化を図る「電子政府」実現に向けた動きが加速している。
- 各種の申請・手続きのオンライン化
- 米国では、クリントン前大統領の方針に基づき、連邦政府の行政手続きを100%電子化を進めてきた。貿易関連の手続きなど複数省庁にまたがる作業を、必要データをネットで一度送信するだけで完了できる「シングルウィンドウシステム」が稼働する。こうした方法は、オフィスや自宅から24時間いつでも手続きでき、市民にとっての利便性が増すだけでなく、コンピュータへの入力がユーザが一度行うだけで済むようになり、事務処理の迅速化と低コスト化を促進すると期待される。例えば、アリゾナ州では、車の登録を常時インターネットで受け付けており、それ以前に6ドル以上かかっていたコストは1.6ドルに下がった。
- 日本政府も、アメリカに倣った「e-Japan戦略」を推進しており、「24時間、ワンストップサービス」を目指している。2005年度には、中央省庁の全行政手続き(年金加入状況の照会、不動産登記、税金の申告など)のオンライン化を実現した。新車購入に必要な車庫証明(警察)・登録申請(運輸支局)・納税(地方税事務所)などの手続きが一括して自宅のパソコンでできる。地方自治体の電子化も進行中。防災・防犯情報を市民の携帯電話に送信するサービスを導入した自治体もある。
- ただし、セキュリティ対策が不十分で電子証明書などが偽造される危険性も否定できない。2002年には、総務省など一部で試験的に運用していた申請・届け出のシステムに欠陥があり、政府発行の電子証明書が偽造されたり、個人情報が流出する危険性のあることが判明した。セキュリティ対策は開発業者に任せており、省庁側は状況を把握できていなかったと思われる。個人情報の保護に関しては、2003年に「個人情報保護法」が成立したが、「民に厳しく官に甘い」内容になっており、膨大な情報がインターネットを介して行政側のコンピュータに送られたときに、適正な管理ができるかどうか危惧する向きも多い。
- 地方自治体の電子化は2005年までに実現され、3兆円の関連市場を生むと期待されているが、担当者にITの知識が乏しく、システム構築を業者任せにしているようだ。
- 公共事業の電子入札
- 国土交通省は、国の直轄事業約4万件を全て電子入札に切り替える。直轄事業だけで年間260億円、公共事業全体で2千億円のコスト節減になるほか、業者が1箇所に集まることがないので、談合による不正を防げると期待される。
- 2001年までに入札制度の改革を実現した横須賀市では、指名入札制度を競争入札制度に改め、各企業がインターネットを通じて設計図などを入手したり入札に参加したりできるようになったため、参加業者数は、97年度の9.2社から2002年度には18.0社に増加した。また、予定価格(落札の上限)に対する落札価格の比率が、同じ期間に、95.7%から87.4%に変化し、費用の削減が成し遂げられている(2002年2月18日付日経新聞)。こうした変化は、業者が役所で顔を合わせる機会をなくしたことにより、市の担当者からの情報の流出や業者間の談合がなくなり、公正な競争が行われたためと考えられる。
- 選挙の電子投票
- 電子投票特例法(2002)により、条例を制定すれば地方選挙に限って電子投票ができる。代表的なシステムでは、投票者が投票カードを機械に挿入するとタッチパネル上に候補者名が並び、これに触れるだけで投票ができる。開票の効率化が進むと期待される。
- ただし、現時点では、システムに不安が残る。2003年に岐阜県可児市で行われた市議選では、投票データを記録する機器が過熱して故障、投票を断念したり二重投票する有権者が相次いだ。名古屋高裁は、2005年に「選挙無効」の判決を言い渡した。
- 法人税・所得税・消費税の電子申告・電子納税
電子申告・電子納税を利用すれば、個人・法人の納税者は、税務署に足を運ばず、自宅や会社のパソコンで確定申告を行い、ネット銀行などを通じて納税できる。2005年度に電子申告されたのは約11万件で、申告全体の0.4%にとどまっており、「2010年度に50%」という目標達成は難しい。
- 行政資料のネット上での公開/各種文書のネット送信
行政手続きの電子化は世界的な流れであり、多くの国が積極的な政策課題に掲げている。電子政府進展度での国際ランキングによると、2002年に先進23カ国中17位だった日本は、2004年に22カ国中11位まで順位を上げた(アクセンチュア社調べ)。ただし、「情報やサービスをわかりやすく提供できている」という項目では19位にとどまっている。また、別の調査による2004年度電子政府ランキングでは、日本は198カ国中29位と、前年の23位から後退した(米ブラウン大調べ)。1位は台湾で、シンガポール、米国、カナダと続く。中国が11位から6位に急上昇。日本は、調査した6サイトで、申請・受理・処理・支払い(必要があれば)の全てがオンラインでできるサービスがなかった。
- 企業間商取引(BtoB) : インターネットを利用した電子商取引で最も重要なのは、企業間の取引である。日本における BtoB の市場規模は拡大を続けており、2004年に100兆円を越え、2007年には162兆円になった。
これまでの「系列」に基づく取引を止め、ネットを使って最適な製品を調達するようにすれば、経営効率が改善すると予想される。アメリカでは、GEがインターネットでの入札による部品調達を積極的に行って成功を収めた。
BtoB には、
- 1社が複数の企業から資材を調達する多対1
- 1社が多数の企業に販売する1対多
- 複数の企業が競合する多対多(上図)
などの方法があるが、日本では多対1が主流を占める。
- ネット通販(BtoC) : ウェブページにカタログを掲載し、電子メールやフォーム送信で注文を受け付ける。店まで来られない人が注文したり、陳列できない商品を扱うのに便利である。中間業者を排して商品管理が一元化されている場合は、価格を安く設定することも可能となる。
日本でのネット通販はしばらく伸び悩み、2000年の市場規模は8000億円、売り上げ1億円超の企業も54社しかなかった(日経新聞社調べ)。しかし、消費者の要望にきめ細かく応えたり、物流・在庫管理システムをITで整備することによって躍進する企業もあり、2007年の市場規模は5兆6000億円に達した。現在、航空機チケット売上の3割がネット経由。イベントの発券、ホテルの予約、書籍やパソコンの購入などでネットの割合が増加している。
こうした利点の一方で、直接さわって商品を選ぶことができない、金銭トラブルが心配だ、何を購入したかという個人情報が漏れる心配がある、信頼できる店員から商品説明を受けることができない──などの不満を指摘する声もある。個人情報の保護に関しては、次世代電子商取引推進協議会がプライバシーポリシーを表記するように勧めているが、2007年の時点で、ネット販売業者の19%に表記がない。
インターネットでは、情報交換が、
- 社会の枠組みや距離・国境を越えて
- 直接かつ迅速に
- 高効率・低コストで
- 双方向性を持って
行われるので、新しいビジネスチャンスが生まれてくる。ここでは、そのいくつかを簡単に紹介しておこう。
- バーチャル大学 : ネットワークを利用して、講師の映像を離れた教室(社会人に便利な駅前のサテライト教室など)に送信して授業を行う。電子会議のシステムを使えば、リアルタイムで学生と教官が質疑応答することもできる。また、深夜や早朝に勉強したい人が、時間帯をずらして受講することも可能。日本では、文部科学省の規制がネックになる。
- 遠隔医療 : 送信された診療データを元に、遠方の患者の診断や介護の指示を行う。将来的には、遠隔手術なども可能になるだろう。
- ネットバンキング : 端末から銀行のコンピュータにアクセスして、振り込み・残高照会を行う。夜間や休日にも操作できるので、忙しい人に役立つ。
- ネット配信 : インターネットを使って映画・音楽・ゲーム・市販ソフトのファイルを配信する。MP3(mpeg layer3)形式を利用した音楽配信は、1曲単位で購入できる(200〜300円程度)ので、取りあえず流行の曲だけを聴きたいというユーザーには便利である。ただし、データ量が膨大になるので、一度に多量のデータを送ることができるブロードバンドの回線(光ファイバ・ADSL・CATVなど)が必要である。アプリケーション・ソフトのレンタルも始められている。
- ポータルサイト : インターネット上での検索やお勧め情報の提供を行うページのことで、会員制の有料サイトもあるが、多くは広告収入をもとに無料化している。アメリカでインターネットの普及期に始まったYahoo!が有名。
©Nobuo YOSHIDA