因果律という概念は、哲学と物理学の間で意味を異にしている。ここで問題とするのは、(きわめて素朴な表現を用いれば)「結果」には必ず「原因」が先行するという意味での哲学的な因果律ではなく、「ある時刻の状態を定めれば、別の時刻の状態も決定される」という物理学的な因果律である。
古典力学においては、厳密な因果律が成立している。質点系の場合、適当な時刻で、各質点の位置と運動量のセットを与えれば、その前後での質点の運動は、当該境界条件の下での運動方程式の解として、一意的に定められる。
このことは、ハミルトンの手法を使って、位置と運動量を座標とする位相空間の中で理論を定式化すると、いっそうはっきりとする。位相空間では、質点の特定の運動は、ある1次元的な位相軌道でもって表される。位相空間全体は、可能なあらゆる位相軌道によって稠密に満たされているが、それぞれの軌道は互いに交差することがないため、任意の1点を指定することによって、そこを通る軌道がただ1つ決定する。これが、「境界条件を与えたときの解の一意性」の直観的描像である。
こうした物理学的な因果律は、古典的な物理学理論(ニュートン力学、電磁気学、一般相対論など)では常に成り立っているものの、日常的な思考に馴染まないばかりでなく、現代物理学の知見と照らしあわせても、首肯しがたい。
何よりも奇妙なのは、「時間」が物理的に何ら積極的な役割を果たしていない点だろう。因果律が成り立つ系では、初期状態Ψが与えられれば、それ以外の時刻の状態は、Ψに数学的な変換――グリーン関数を用いた積分変換――を施すだけで得られる。したがって、見方によっては、異なる時刻の状態を、同一状態を形式的に変換したものと解釈することも、あながち不可能ではない。「時間」が物理的に実在していることは、理論の構成からは、まったく要請されないのである。時空を統一する相対論的な世界像を信用するならば、このように「時間」と「空間」を非対称的に取り扱う立場は、いかにも受け入れにくい。
同様に、特定の時刻で境界条件を与えるという操作も、時間と空間の対称性を損なう。たとえ、「特定の時刻」を「特定の空間的超平面」と置き換えて、局所的なローレンツ共変性を回復させたとしても、「時間的超平面」上での境界条件の設定を排除する以上、「時間」と「空間」を同等に扱うことにはならない。
ついでに言えば、量子効果も古典物理学的な因果律の成立を妨げることが知られている。量子論的なシステムでは、不確定性原理に起因する不可避的な揺らぎがあるために、位相軌道は1次元的な曲線ではなく(やや比喩的な表現を用いれば)ぼやけて拡がったものとなる。この結果、境界条件を与えれば特定の位相軌道が決定されるという形式での因果律は成り立たない(因果律が一般に否定されることを示すには、より精密な議論が必要になるが、ここでは触れない)。
現実の世界で厳密な因果律が成り立っていないことは、われわれの住むこの宇宙が、他のあらゆる可能性を排して、現にそうであるような歴史を辿って発展しているという事実を理解する上で、本質的な重要性を持つ。この宇宙の時間的端緒は、エントロピーのきわめて小さいほぼ一様な状態であったと想定される。おそらくは、そのような端緒を実現すべき物理法則が存在するのだろう。かくもありふれた初期状態から始まったにもかかわらず、この宇宙が、ある特別の歴史を閲しているのは、厳密な因果律が満たされておらず、さまざまな可能性の分岐の中からただ1つの現実が、非因果的に選ばれたからである。
以上の議論が示すように、この宇宙において厳密な因果律は成立していないと信じても良いだろう。しかし、だからと言って、《未来》は未定であって人間の自由意志で変更可能だという訳でもない。「非因果的な決定論」があり得るからである。
うっかりすると混同してしまいがちだが、「決定論(determinism)」は、必ずしも「因果律(causality)」を含意しない。もちろん、因果律が成立しており、その上で現実に特定の境界条件が与えられているならば、「物理法則によって系の時間発展は一意的に定まる」という意味での「法則的な決定論」が妥当する。だが、逆は必ずしも真ではない。実際、系の状態が法則によって定まっているのではなく、時間的に拡がったものとして与えられている場合は、因果律とは無関係に「歴史が一個の事実として決定されている」ことを主張する決定論が成り立つ。後者の決定論は、先に述べた「法則的決定論」とは区別して、「事実的決定論」とでも呼ぶべきものである。
この宇宙において「時間」は流れておらず、世界は4次元的な拡がりを持って存在していると考えられる。とすれば、非因果的な「事実的決定論」が成り立っていると考えるのが、正当だろう。われわれにとって、歴史の決定性がどのような哲学的な意味を持つかは、ここでは論じない。しかし、次の点だけは指摘しておいても良いだろう。すなわち、古典力学のような厳密な因果律が成立していないという事実は、複雑な系の時間発展が(初期条件の僅かな差異に敏感に依存する)カオス的な振舞いを示すという点と併せて、限られた時空領域内に閉じこめられている人間から、与えられた未来への展望を奪い去ってしまうことになる。たとえ「決定論」が成り立っているとしても、人間にとって《未来》とは、あくまで「予測のつかない」ものなのである。
なお、誤解のないように、一言つけ加えておきたい。この宇宙において決定論が成り立っていると言ったが、このことは、量子論的な不確定性原理と矛盾しない。物理量が不確定な状態で決定される──すなわち、位相空間内で拡がった状態として定まっている──ような現実的なモデルを作ることが可能だからである。
©Nobuo YOSHIDA
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