力学系での自律的な秩序形成

 多くの構成要素から成る複雑系での変化が、熱伝導や拡散のような単純な過程ばかりでないことに物理学者たちが注意を向けるようになるのは、20世紀半ば以降のことである。最初に注目されたのは、構成要素間の相互作用が協調的に働いて、系全体が集団的な運動を行う現象――いわゆる協同現象である。

 1928年、ハイゼンベルグは、鉄などの強磁性体で自発的な磁化が生じる簡単なモデルを提唱した。個々の鉄原子は小さな磁石として振舞うが、温度が高いときは、この小磁石がバラバラの向きになるので、全体としては磁化していない。ところが、鉄の温度を徐々に下げていって一定の臨界温度以下にすると、外部から磁場を加えていないにもかかわらず、ある領域内の小磁石が互いに同じ向きになるように協調的に運動するため、その領域全体が一つの磁石となる。こうした物質の状態の突然の変化を、相転移という。強磁性体の場合は、温度という外部パラメータを変化させることによって、小磁石が整列していない無秩序な状態から、小磁石間の協同現象を通じて自発磁化が生じる状態へと相転移した訳である。

 このように、物質の状態には、構成要素がデタラメに運動して混沌へと達するものばかりではなく、協調的な集団運動を通じて自発的にある種の秩序を生み出すものもある。こうした例は、強磁性体の研究以降も、次々と見いだされていった。具体的には、超流動(ランダウ(1941))、超伝導(バーディン/クーパー/シュリーファー(1957))、レーザー発振(ラム(1955))、対流不安定性、自己触媒反応(プリゴジン(1968))などがある(括弧内は代表的な研究例)。こうした現象では、外部パラメータが一定の範囲にあるとき、対象としている系が全体として協調性のある運動を行い、しばしば、時間的・空間的にはっきりしたパターンが形成される。


 こうした自発的な秩序形成は、エントロピーが増大するという一般的な法則に矛盾することはないのだろうか。この問いに対しては、次のような答えが用意されている。

 エントロピーが最大値をとる平衡状態とわずかに異なった状態にある物質は、決して秩序を生み出すことなく、一方的にエントロピーが増大して混沌へと達する。古典的な物質科学では、半導体にせよプラスチックにせよ、一般にこうした状態に置かれている物質だけを理論の対象としているため、どうしても、物質とは一方向的にエントロピーが増大するというイメージを与えやすかった。しかし、平衡状態から遠く隔たった状態にある物質の変化は、それほど単純ではない。水に1滴のインクを落とした場合を思い描いていただきたい。最終的にはインクが水中全体に一様に拡散した平衡状態に到達するものの、インクを落とした直後は、水の中でインクが複雑なパターンを形成しながら少しずつ拡がっていく。このように、遠平衡にあるシステムは、その内部で一時的な秩序形成を行うことが可能になる。システムをいくつかの部分系に分けて見ると、ある部分系で生成されたエントロピーが外部に「捨てられる」ため、その部分系に限って言えば、エントロピーが自然に減少しているように見える訳である。とは言っても、システム全体のエントロピーは間違いなく増大しており、部分系に生まれた秩序は、長い時間を経ると全体の混沌の中に埋没していってしまう。

 エントロピーが減少する部分系として最も特徴的なのが、生物個体である。人間などの多細胞生物は、1個の受精卵から始まって、次第に複雑に組織化されていく。それだけ見ると、あたかもエントロピーが減少しているように見えるのだが、実際には、食物の形で低エントロピーのリソースを吸収し、排泄物や長波長放射の形でエントロピー散逸を行っているので、環境まで含めると全エントロピーは増大していることになる。


 外部へエントロピーを捨てることによって自発的な秩序形成を行っている部分系に着目しよう。こうした部分系は、外部環境と密接に関係しており、温度などの外部パラメータが変化すると、それに応じて内部に形成されていた秩序パターンないし「構造」が変動する。こうした構造変動についての一般論は、1960年代から、プリゴジーン(散逸構造理論)やハーケン(シナジェティクス)、トム(カタストロフィの理論)らによって研究された。その内容は、次のようにまとめられる:

 外部環境の中に埋め込まれている部分系が、ある構造を形成している場合を考える。外部パラメータが一定の範囲内で変化している間は、その構造は維持されている。だが、外部パラメータがある臨界値に近づくにつれて、古い構造の周りで揺らぎが成長し始める。しかも、臨界値から隔たっているときに個々の揺らが互いに無関係でいたのと異なり、臨界状態になると、系のあちこちが協調的に(同じようなパターンで)揺らぐようになり、ついには系全体が不安定になって古い構造が崩壊し、全く別の状態に遷移していく。こうした突然の変化をカタストロフィと呼ぶことがある。系が最終的にどのような状態に到達するかはあらかじめ決まっているとは限らず、形成可能な構造がいくつかあって、さまざまな因子の影響を受けながらそのいずれかに到達すると考えられる。系が最終的に到達する状態は、一般に(系がそこに引きずり込まれていくというイメージから)アトラクタと呼ばれるが、複雑系の場合には、アトラクタの構造がきわめて複雑になる(あまりに複雑なので「奇妙なアトラクタ」と呼称される)ことも稀ではない。

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 このように、ダイナミックに変化する系の一般論が構築されたことにより、科学的な知識に基づいた物質世界のイメージは、従来よりもはるかに豊かなものになった。昔から、自然を語る立場として、還元主義と全体主義が対立的に捉えられてきた。還元主義が、構成要素とそれらが従う基本法則によって世界を語ろうとするのに対し、全体主義は、統一された全体を指示する用語に固執する。ところが、構造変動の一般論は、こうした2つの立場が、必ずしも対立的ではないことを明らかにした。物質的なシステムは、原子(あるいは、その構成要素となる素粒子など)から構成されており、各構成要素は量子力学(ないし、将来に発見されるであろう根本的な理論)のような基本法則に従っている。システムの細部を研究する場合は、構成要素と基本法則を用いた還元主義的な手法が有効である。しかし、同じシステムの構造変動を取り扱うときには、構成要素が協調的な集団運動を行うので、各部分の微細な運動にこだわらず、集団運動の全体的な振舞いを記述し、古い構造がどのようなプロセスを経て新しい構造に変わっていくかに着目する方が、より建設的な議論が可能になる。この方法を採用すると、あたかも系が統一された全体として変動しているかのような記述になる。こうして、還元主義と全体主義は、複雑系の構造変動の理論の中に調和を見いだすのである。

 自発的な秩序形成を伴う構造変動について他に先んじて研究したパイオニアたちは、そこに新しい世界観が含意されていることを、明確に意識していた。それは、次のような言葉の中に窺える:

 「古典物理学は安定性と恒久性を基盤としている。しかし現在、それらの概念はきわめて制限された条件の下でしか適用できないということがわかっている。われわれの目にふれるほとんど総ての事象は、変化し、複雑さを与え、多様性を増していこうとする進化の過程である。これらの物理的世界の進展は、われわれを、進化という新たな展開に興味を向けている物理学と数学の新分野の研究に誘導してくれる」

 (ニコリス/プリゴジン『散逸構造』より)


 「われわれのモデルが、直接に最も興味深い寄与をするのは、疑いもなく哲学的な面においてである。それは、生物の…一元論的なモデルを提供する。それは、精神と身体の二律背反を解消して、両方とも単一な幾何学的本質のものとする」

 (ルネ・トム『構造安定性と形態形成』より)

 ただし、現時点では、こうした理論は、具体的な応用の面で、必ずしもめざましい成果を上げている訳ではないことを注意しておくべきだろう。例えば、1個の受精卵が複雑な多細胞生物へと成長していく過程は、形態形成の白眉と言っても良い華麗なプロセスだが、物理学的に記述可能なのは、せいぜい最初の卵割までである。また、さまざまな想念が浮かび上がる人間の思考過程を、脳という複雑きわまりないシステムの秩序形成として理解することができればすばらしいのだが、現在、可能なのは、1本の神経細胞がいかにして興奮するかを説明することだけである(数学的な神経回路理論なら多少はあるが)。この状況を見れば、プリゴジンやトムの発言は、いささか大言壮語めいて聞こえなくもない。だが、理論そのものがまだ揺籃期にあると考えて、将来の発展に希望を託した方が、公平な見方なのであろう。



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©Nobuo YOSHIDA
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