(この小論は、読者が量子力学について理工学部2回生程度の知識を持っていることを前提として、執筆されています)
(*)厳密に言えば、確率振幅には、確率のほかに波動的な振舞いの元になる位相情報も伝えているのだが、ここでは詳細は省略する。
| アインシュタイン | ボーア |
| 拡がりを持った波動関数は、電子の運動を完全に記述するものではない。二重スリットによる電子の干渉実験においても、電子がスリットを通過するときの運動量移動を測定すれば、電子がどちらのスリットを通過したかがわかる。 | スリットを通過するときの運動量移動を測定すると、スリットの位置に不確定性が生じて干渉現象は消滅する。干渉縞を観測し、かつ、それぞれの電子が通過したスリットを特定することは不可能である。 |
(*)西尾成子著『現代物理学の父 ニールス・ボーア』(中公新書)p.155
(**)ウォルフガング・パウリ著『物理と認識』(講談社)p.222
| アインシュタイン | ボーア |
| エネルギーと時間の間の相反的な不確定性は、原理的なものではない。時計と連動しているシャッターの附いた光子箱を用意し、ある時刻にシャッターを開けて光子を放出させ、その前後の質量(相対性理論によれば、エネルギー/c2に等しい)の変化を測定すれば、光子が放出された時刻と、その光子が有するエネルギーが同時に判明する。 | 一定の運動量を持つ光子を放出すると光子箱の位置が不確定になる。光子箱が重力場の中に置かれている場合、この位置の不確定性によって、質量を測定するための重量秤と、重力ポテンシャルによって進み方が変化する時計の示す値が共に不確定になり、エネルギーと時間の間の不確定性関係が満たされる。 |
(*)『ニールス・ボーア論文集1 因果性と相補性』(岩波文庫)p.92。引用したのは、「時空の連続性と原子物理学」(1931)という未公開草稿の一部だが、ここには、ボーアの(あまり練られていない)素朴な量子論解釈がいろいろと語られている。
(*)『ニールス・ボーア論文集1 因果性と相補性』(岩波文庫)所収「量子仮説と原子理論の最近の発展」参照。ボーアが量子力学のマニフェストと言われる講演を行ったコモ会議は、1927年9月に開催されているが、アインシュタインは出席していない。また、この講演に基づく原稿が完成するのは1928年3月になってからなので、第5回ソルヴェイ会議の時点(1927年10月)では、アインシュタインは、コモ講演の内容に直接批判を加えられなかった。
後に、時間的な幅Δtの意味を物理的に明確にするために、ボーアは、シャッターのついたスリットを持ち出し、Δtをシャッターの開いている時間と解釈した。粒子が速度vで運動するシャッターの隙間を通り抜けるときに、横方向にΔpの運動量をやり取りするならば、シャッターが得るエネルギーΔEは、
(*)科学史家は必ずしも明確に述べていないものの、このことは多くの物理学者がすでに指摘している。ただし、非定常系の場合には、時間とエネルギーの間に“不確定性関係もどき”が成り立つことも知られている。例えば、共鳴状態の寿命τと共鳴エネルギーの幅δEの間には、τ・δE〜hという関係がある。より一般的に、Rをあるエルミート演算子とし、ΔtをRの期待値がその間にRの不確定さだけ変化する時間(Δt=ΔR/|d<R>/dt|)とすると、Δt・ΔE>h/4πなる関係が成立する(Mandelstam & Tamm;詳しい説明は、M.ヤンマー著『量子力学の哲学』などを参照されたい)。
(*)エネルギーが一定の値になる場合のシュレディンガー方程式の解は、
Cexp(2πiEt/h)
という時間依存性を持っているので、その重ね合わせとなる波動関数にはボーアの議論が適用でき、エネルギーと時間の間に不確定性関係が成り立つように見える。だが、波動関数に現れる時間変数は、系の時間的変化を表すパラメータであって、物理的対象の「時間的拡がり」を記述するものではなく、ここから時間−エネルギーの不確定性関係を導くことはできない。ただし、コヒーレント光などのように、ある場所で観測したときの時間的変動が量子論的な効果に支配されている場合には、その時間的拡がりとエネルギーの間にある種の不確定性関係が成り立つことはある。
用意するのは、時計と連動したシャッターの付いた光子箱である(右図)。ある時刻Tに、短い時間間隔Δtだけシャッターを開いて光子を放出する過程を考えよう。放出前後の光子箱のエネルギーは、質量を測定することによって正確に決定できる(放出の瞬間以外は、光子箱は熱的平衡状態にある定常系なので、エネルギーは確定している)。また、放出時刻は、シャッターを開いたときの時計の読みから決めることができる。この議論が巧妙なのは、時計も光子箱の中に入れられており、時計やシャッターを含むシステムが孤立系になっているので、エネルギーが外部からの擾乱されるという量子論特有の論法が使えない点である。従って、この過程が実現した時刻と移動したエネルギーは、いずれも不確定性なしに測定できることになり、時間−エネルギー不確定性関係が成り立っていないことが結論される。この主張は、シャッターを使った思考実験をもとに時間−エネルギーの不確定性を導き出すボーアの議論を踏まえながら、その論理的な欠陥を指摘するもので、不確定性が粒子・波動の二重性に由来する原理的なものだというボーアの主張の直接的な反例になっている。
時間−エネルギー不確定性関係を否定する思考実験に対して、ボーアが試みた反論は、実に意表を付いたものだった。慣性質量を測定することによって(E=mc2という相対論の関係式から)光子箱のエネルギーを決定するという実験の設定に対して、質量の測定を行うためには、光子箱を重力場内部の秤に吊り下げる必要があるため、一般相対論(重力理論)の影響を考慮しなければならないと切り返したのである。
【追記】EPRの議論については、下記の論文で議論している。
論文「EPR論文を巡って」
©Nobuo YOSHIDA