質問 2007年10月15日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」という番組で、9.11のツインタワー崩壊に関する疑惑をいろいろと紹介していました。物理学者から見て、この番組で紹介されていた疑惑は正しい主張といえますか?【その他】
回答
 質問にある番組はごく一部しか見ていませんが、日本テレビのホームページに掲載された文章から、だいたいの見当がつきます。ここで展開されている説は、世界貿易センター(WTC)の3つの超高層ビル(ツインタワー(WTC1/2)と第7ビル(WTC7))が、旅客機の衝突と引き続いて起きた火災で崩落したのではなく、事前に仕掛けられていた高性能爆薬の制御された炸裂によって解体されたというものです。この制御解体説は、スティーブン・ジョーンズ博士(元ブリガムヤング大学物理学教授)の論文 "Why Indeed Did the WTC Buildings Completely Collapse?" (2006) などで提唱されたものです(ちなみにジョーンズは、常温核融合騒動(1989)の中心人物の一人ですが、ユタ大学グループとは異なって研究内容はまともでした)。制御解体説はアメリカではかなり有名で、テレビ番組でもしばしば取り上げられています。「世界まる見え!」で放映されたのも、アメリカで制作された番組のダイジェスト版だそうです。この説に対して、多くの科学者は批判的です(ただし、そこそこ名の知られた物理学者が関与していることから、"Junk Science" というより "Minority Report" という扱いです)。WTC倒壊に関する報告書を発表した米標準技術局(NIST)は、この説への反論を中心とするFAQのページを作成しています。NIST の FAQ をはじめ、いろいろなサイトですでに充分と思われる量の反論がなされているので、ここでは、ジョーンズ説への批判を中心にした簡単な解説にとどめます
  1. 溶融金属の存在
     ジョーンズが最も注目しているのは、倒壊現場から高温で溶融したと思われる金属が見られたという報告です。また、倒壊直前の WTC2 外壁から白熱する溶融金属とおぼしきものが滴っている映像もあります。ジェット燃料の燃焼では、多量の空気が供給されるような好条件の下でもせいぜい1000℃程度にしかならず、鉄の融点である1500℃には到達しません(アメリカ連邦緊急管理庁(FEMA)の報告書では、火災の温度は、いくつかの部分では900〜1100℃、その他では400〜800℃となっています)。ジョーンズは、こうした証拠に基づいて、化学反応によって溶融鉄を生成するテルミット反応が利用されたのではないかと推測しました。
     この見解に対しては、すでに強力な反論が寄せられています。「溶融金属を見た」という報告には主観的なものが多く、画像による記録はほとんどありません。NISTの専門家による調査では、倒壊前から大量の鉄が溶けていたことを示すデータは見つかりませんでした。倒壊後には熱がこもりやすい地下で長時間にわたって火災が継続したので、鉄が溶けても不思議はありません。WTC2 の外壁から滴っていたのは、旅客機の機体に使われたアルミ合金(低温で溶融する)だと考えられています。
  2. 中心コアからの崩壊
     FEMAの報告書にあるとおり、WTC1 の崩壊は屋上の通信アンテナの異常な動きから始まっており、アンテナを支えていた中心コアが最初に破壊されたことを示唆しています。ところが、中心コアは47本もの鋼鉄の支柱から構成されており、これらが一度に破壊されるのは、柱に爆薬を埋め込む制御解体しかないとジョーンズは主張しています。
     この主張に対しては、FEMA報告書にある「崩壊の連鎖」についての記述がそのまま反論として使えます。中心コアの破壊に至る一連の過程は、次のようなものです。まず、火災による温度上昇と上層階からの瓦礫の落下によって床の骨組みが垂れ下がり、そのせいで発生した張力によって、接続部(4〜6本のボルトによる接合)が弱い外壁の支柱が座屈を起こしました。この結果、残された中心部の支柱に過度の荷重が加わり、さらに、温度上昇による剛性の低下と床の垂れ下がりによる張力の発生が重なって、外壁の柱より過荷重に対する余裕の乏しかった中心コアの一部が座屈を起こしたと推定されています。一部が壊れ始めると、そこで支えていた荷重が他の支柱に移転するため、破壊が一気に拡がって全体的な崩落を始めることになります。
  3. ツインタワーの速すぎる倒壊
     映像によると、2つのビルは自由落下している破片とほぼ同じ速度で倒壊しているように見えます。また、地震波の記録によれば、崩壊開始から外壁パネルが地面に激突するまでの時間は、WTC1 で11秒、WTC2 で9秒と見積もられています。ジョーンズは、このあまりにスピーディな崩落を、爆薬によって支柱を破壊し上層部をほぼ自由落下させる制御解体の特徴が現れたものと解釈しています。
     しかし、実際には、ツインタワーは自由落下と同じ速度で崩壊したわけではありません。そう見えるのは、外壁が次々と剥がれて落下しているからであり、NIST がビデオを詳しく解析した結果、中心コアの一部が15〜25秒間は立っていたことが判明しました。倒壊の後半は舞い上がった粉塵に覆い隠されて良く見えないため、あっという間に崩れたように感じられただけです。
  4. 爆発音の証言、水平方向への噴出
     タワーの崩壊の際に爆発音が聞こえたという証言があります。また、崩落が起きている階よりも何十メートルも下の階で水平方向に粉塵が吹き出しており、爆破があった証拠になる−−とジョーンズは見ています。
     この意見に対しても、多くの反論があります。まず、爆発音についての証言は消防士らによる主観的なもので、テレビの中継映像に爆発音は録音されていません。ビルの倒壊に伴う破壊音を聞き間違えたと推測されます。ニューヨーク市警察署やニューヨーク市消防署は、衝突階より下で爆発があったといういかなる証拠も発見していません。水平方向に粉塵が噴出したのは、上層階の落下によって圧縮された空気が下層階の窓を破ったものとして説明できます。この噴出が爆破によるものならば、その階から崩落が起きてもおかしくありませんが、そうした事例は観察されていません。
  5. WTC7 の不思議な倒壊の仕方
     ツインタワーが倒壊してから7時間後に WTC7 が倒壊していますが、旅客機の激突も大規模な火災もなかったにもかかわらず、短時間でほぼ真下に向かって崩れています。ジョーンズは、こうした倒壊は爆薬による制御解体でなければ説明できないと主張しています。
     WTC7 は、耐火の施された鋼鉄を支柱とする超高層ビルでありながら火災を主因として倒壊したほとんど唯一の例であり、倒壊に至る過程についてもわからない点(どこで崩壊が始まったかなど)が残されています。しかし、定性的には、ツインタワーの倒壊によって引き起こされた一連の出来事として説明することが可能です。倒壊の主たる原因ではありませんが、WTC1 の瓦礫が降り注いだために南面を大きく破損したことが、火災に対する抵抗力を弱めたと考えられています(テレビ映像は北面を撮影したものなので無傷に見えますが、そんなことはありません)。さらに、噴煙や瓦礫のせいで映像では良く見えませんが、WTC1 倒壊後にいくつかの階で火災が発生しています。基部にあった変電所に大量のディーゼル燃料が供給されていた上に、消防署が当初から消火を断念したために、低層階を中心に7時間にわたって激しく燃え続けました。破損と火災が重なった結果、低層階のある箇所で始まった構造材の損傷が上層階へと伝わっていき、最終的に、損傷部分に向かってビル全体が内向きに壊れたため、瓦礫が外側に飛び散らなかったと考えられます。ジョーンズは、非対称的に崩壊しなかったことを問題視していますが、WTC7 は47階建ての超高層ビルであり、どこかを支点として横転させようとしても、膨大な重量の掛かる支点が破壊されるため、真下に崩れるしかないのです。
 このように、ジョーンズが挙げた“科学的な証拠に基づく主張”ですら、大部分がきちんと反論できます。ましてや、「ビルの所有者が保険金を入手しようとしていた」とか「米軍が絡んでいたのでは」といった怪しげな陰謀説については、まじめに検討する必要はないと思います。

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質問 人物の写真を撮った場合、その人物がカメラのレンズに視線を向けていると、出来上がった人物写真からどの位置に動こうと、視線をそらすことは出来ません(見つめられています)。また、人物がレンズから視線をはずして写った場合、出来上がった写真の人物と絶対に目を合わすことが出来ません。なぜですか?【その他】
回答
 人間にとって、他人が何に視線を向けているかは、社会生活を営む上できわめて重要な因子となります。このため、人間(および類人猿)は、幼い頃から視線方向を素早く判定する能力を発達させています。ところが、写真や絵の人物を見る場合、この能力が偏った形で使われるために、視線方向に関しておかしな判断が下されるのです。
 人間がごく短時間で他人の視線方向を判定できること、さらに、その結果に基づいて特定の情報処理能力を活性化させることは、多くの認知心理学的実験を通じて確認されています。例えば、人物の顔と標的図形が写った写真を短い時間だけ提示した後、図形について質問すると、人物の視線方向に標的があったときには、そうでない場合に比べて回答が迅速かつ正確になります。視線方向を判定する能力が乳幼児や類人猿にも備わっていることは、いくつもの実験を通じて明らかになっています。
 日常生活で視線方向を判定するとき、顔と目の相対的な位置関係だけでなく、身体の体勢や動き、さらには心理状態についての推測も加えて、総合的な判断を行っています。自分が大きな音を立てた瞬間に誰かが振り返った場合、目が良く見えなくても視線を自分の方に向けていると感じられるはずです。しかし、絵や写真の顔を見る場合は、体の動きや心理まではわからないので、顔と目についての情報だけから視線方向を判定することになります。
 人間の目は、他の類人猿に比べて横幅が異常に広く、かつ、白目に色素がないため黒目との境目がくっきりしています。霊長目88種について調査した結果によると、高度な社会生活を営んでいるものほど目が横長で白目の割合が大きくなる傾向が窺えますが、人間の目は中でも際だっています。これは、視線方向が判定しやすくなるように目の形が進化してきた結果だと推測されます。チンパンジーやゴリラも、相手の目を覗き込むようにしながら挨拶したり性的な誘いを掛けたりすることが知られています。しかし、こうした視線による交渉は、双方がおよそ1m以内に接近したときにしか起きません。これに対して人間は、白目に対する黒目の位置がはっきりしているので、5m以上離れていても相手の視線を読んで行動を選択することが可能なのです。
 相手の動きや心理がわからない場合、人間の脳は、相手の顔を見た瞬間に、白目に対する黒目の位置関係に基づいて無意識のうちに視線方向を計算しているのです。例えば、黒目が眼裂の中央にあるならば、その人は、顔面に対してまっすぐ前方に視線を向けていると判定されます。左または右の白目の部分が大きかったり、黒目が上または下に偏っていたりする場合、その度合いに応じて、左右あるいは上下に視線を寄せていることがわかります。日常生活では、こうして得られる目の向きについての情報と、輪郭や耳・鼻・目の位置関係から割り出される顔面の向きの情報を突き合わせることによって、視線方向はかなりの正確さで判定できます。ところが、絵や写真の場合、画面に対して斜め方向から顔を見ても、白目と黒目、あるいは、耳・鼻・目の相対的な位置関係は変わりません。顔が正対し黒目が中央にある場合、斜めから見ることで顔が横方向に縮んだようになっても、やはり顔は正対し黒目は中央にあるので、こちらを正視しているように見えます(図参照)。顔面がやや右向きで目の向きがやや左寄りといった場合でも、もともとこちらに視線を向けているならば、斜めから見たときでも、やはりこちらを向いているように見えるのです。これが、レンズを見つめている人の写真は、どこから見てもこちらに視線を向けているように感じられる理由です。
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 芸術家は、こうした視線の不思議さにかなり早くから気がついていたようです。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』やクラムスコイの『見知らぬ女』は、絵の前のどこに立っても鑑賞者を見つめ返しているように感じられます(左右の目の視線方向が微妙にずれているところも効果的です)。
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【参考文献】遠藤利彦編『読む目・読まれる目 〜視線理解の進化と発達の心理学〜』(東京大学出版会)

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質問 『不思議がいっぱいの本』という本の中に、円の半分を真っ黒にして残り半円にとある模様を黒く描くと、それを回したときに色が見えるという話があり、CDプレイヤーで試したことがあります。確かにうっすら色が見えて不思議なのですが、どうしてそう感じるのでしょうか。この現象の説明をお願いします【古典物理】
回答
qa_294.gif  白黒模様が描かれた円板を高速で回転させると色がついて見えるという現象は、「ベンハムのコマ」の錯視として知られています。ベンハムのコマにはいくつかの種類がありますが、1つの例が右図のようなもので、これを1秒間に数十回転させると、同心円の色の帯が見えるということです。写真に撮ると色は付いていないので、錯視の一種であることは間違いないのですが、どのような生理的メカニズムによるのかは、完全には解明されていません。しかも、左右の目にそれぞれベンハムのコマの上半分と下半分だけの図形(残りの部分は白地とする)を見せると、片目だけでは錯視は生じないのに、両目で見ると色が現れるということから、網膜での生化学的な反応に起因するものではなく、高次の情報処理によって生じる錯視だと考えられています。
 1つの解釈は、光の3原色ごとに刺激に対する時間的応答性が異なるためだというものです。ある同心円を見ている場合、周期の半分が黒、残りの半分は白の途中で一定のインターバルだけ黒が現れます。白から黒、黒から白に変化するとき、赤・緑・青の3原色に対応する3種類の光受容体は、いずれもオンからオフ、オフからオンの状態へと切り替わります。こうして引き起こされる光受容体の構造変化は、神経信号として符号化され、さまざまな情報処理を受けながら視床を経て一次視覚野に送られますが、このとき、時間的な変化に対する処理のされ方が、各受容体由来の信号ごとに異なっていると、主観的には色の違いとして認知されるはずです。言うなれば、主観的な残像がそれぞれの色で異なるということです。

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質問 真空管の中に小さな風車を置き、外から光を当てると風車が回るという映像を見ました。説明では光の粒子が風車にあたるので回転するということでした。でも光子は質量0で本質は波動だから、物体に当たっても運動エネルギーに変換しないのではないでしょうか。真空管の中の微量な空気の分子が暖められて動いた結果とは考えられないのでしょうか【古典物理】
回答
 質問にあるのは、おそらくクルックスのラジオメータと呼ばれる装置でしょう。これならば、内部の風車(羽根車)が回転するのは、お察しの通り、光の圧力ではなく暖められた空気の分子運動による効果です。
 光が光圧(放射圧)と呼ばれる圧力を及ぼすことは、19世紀にマクスウェルが電磁波の理論を構築して以来、広く知られています。例えば、現在、日米で太陽帆船と呼ばれる宇宙船の実験が行われていますが、これは、宇宙空間に巨大な薄膜を拡げて太陽光線を受け、その圧力で推進力を得るというものです。ただし、光の圧力はきわめて微弱です。理論的には、太陽光線やレーザービームのように一方向から照射される光の場合、光圧はエネルギー密度と等しいことが知られています。地球軌道上で太陽からやってくる光のエネルギーは、1秒間に1m2当たり1370ジュールなので、光圧は、これをエネルギーが含まれる体積(1m2×光速×1秒)で割った値である4.6×10-6N/m2となります(厳密に言えば、反射率などによって値は異なります)。これは、1mの面に0.5mgのおもりを載せたときの力でしかなく、たとえ無重力空間であっても、薄膜が充分に大きくなければ宇宙船を加速することはできません。
 1873年にクルックスが真空管内部の羽根車に光を照射して回転させる実験に成功したとき、彼は、この微弱な光圧を観測できたと考えました。しかし、間もなくその考えが誤っていたことが判明します。一方の面が金属製で他方の面が黒い羽根を用いた場合、羽根車は黒い面が押される向きに回転します。ところが、羽根車を回転させる力が光圧だとすると、金属は光を反射し黒い面は光を吸収するので、金属面の方が大きな圧力を受けることになり、回転する向きが逆になるはずです。
 クルックスのラジオメータで羽根車が回転するのは、黒い面の方が効率的に赤外線を吸収して熱せられ、周囲の気体が暖められるためです。羽根の周囲では、温度勾配に起因する圧力差から気体の流れが生じ、これが羽根を回転させる力を生み出します。したがって、真空管内部は完全に真空ではなく、適度に気体が封入されていなければなりません。
 ごく軽い金属製の羽根を使えば、光圧だけで回転させることも不可能ではありませんが、きわめて高度な技術が必要です。学校の教材などとして利用するのは難しいでしょう。

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質問 ヤフーニュースで以下の記事を読みました。
「若い女性はピンク好き」は本当=英大学実験(8月21日11時1分配信 時事通信)
若い女性がピンクや赤を好むと思われているのは本当であり、文化的要因より生物学的要因による可能性が高いと、英ニューカッスル大の研究チームが21日付の米科学誌カレント・バイオロジーに発表した。人類が霊長類から進化する過程で、男性は狩猟、女性は果実などを採集する生活に適応し、果実が熟していることを示す赤みに敏感になったと考えられるという。
 で、気になったのですが、 「文化的要因より生物学的要因による可能性が高い」というのは何をもってそういっているのでしょうか?
 さらに、「人類が霊長類から進化する過程で、男性は狩猟、女性は果実などを採集する生活に適応し、果実が熟していることを示す赤みに敏感になったと考えられる」という説明はかなり胡散臭いように聞こえるのですが、どの程度本気で言っているのでしょうか? また、仮に本気だとして、科学の目から見て何を根拠にそう考えられるのでしょうか? 私には単なる想像や妄想の域を出ないものに聞こえます。【その他】
回答
 この記事の元になっているのは、
A. Hurlbert and Y. Ling, 'Biological components of sex differences in color preference,' (Current Biology 17 (2007) p.623)
という論文です。論文を読んだ感想を率直に言わせて頂くならば、彼らが行った実験はかなりチャチなものであり、得られた結論はあまり信憑性が高くないということです。
qa_293.gif  実験の概要は次のようなものです。被験者は20〜26歳の男女208人で、イギリス白人(女性92人、男性79人)と大部分が数年前までに中国からイギリスに渡ってきた中国人(女性18人、男性19人)から構成されています。実験では、ディスプレイ上に色相・彩度・明度の異なる2つの矩形が次々に提示され、被験者は、自分が好きな方をマウス・カーソルを使ってできるだけ早く選択するように指示されます。
 この実験の結果、イギリス白人では、色相に関して男女の間に顕著な好みの差が見いだされました。色相に対する好みの度合いを調べると、女性の場合、赤みがかった紫の領域になだらかなピークがあり、緑がかった黄色の領域で急速に減少するのに対して、男性では、女性ほどはっきりしないものの、青から緑の領域を好む傾向が見られます。
 著者たちは、こうした好みの差には神経生理学的な理由があると考えました。人間の網膜には、光の3原色に対応して、吸収波長帯の異なるL錐体(赤)・M錐体(緑)・S錐体(青)が存在しますが、「L錐体とM錐体の入力の差(L-M)に対する応答に男女差がある」と仮定すれば実験結果が説明できる−−というのが著者たちの主張です。男性は、民族によらずに L-M 刺激に対してはっきりとネガティブな反応を示すのに対して、女性はやや好意的な反応を示すというわけです。さらに、こうした男女差が生じた理由として、著者たちは、主に女性が携わっていた食用植物の採取において、熟れた黄色の果実や食用となる赤い葉を緑の群葉の中から探し出す能力が重要だったという説(Regan et al., 'Fruits, foliage and the evolution of primate colour vision,' (Trans. R. Soc. Lond. B356 (2001) p.229-))を紹介しています。
 …というのが論文の内容ですが、直ちに首肯できるものではありません。確かに、イギリス白人では顕著な男女差が見られますが、中国人ではそれほどの差はありません。著者たちは、この違いは S-(L+M) 刺激に対する応答に民族差があるためと考えているようですが、 L-M 刺激に対する応答の男女差が先史時代から保持されているのに対して、 S-(L+M) 刺激への応答に大きな民族差が生じたという主張には無理があります。単純に、イギリスと中国の文化的な差が現れたと考えた方が納得しやすいと思います(中国人は伝統的に赤色を好んでいますから)。そもそも、狩猟と採取の分業を通じて色の好みに差が生じたという説自体、根拠らしい根拠もなしに提示されただけで、説得力は全くありません。実験データの解析においても系統的誤差の評価が甘く、この結果だけでは、色の好みが L-M 刺激と相関するとは言えないでしょう。
 男女の脳に神経生理学的な差があることは、多くのデータによって明らかにされています。皮質領域のサイズで言えば、高次認識機能を司る前頭皮質や大脳辺縁系の情動反応に関連する部分は女性の方が大きく、頭頂葉の空間認知にかかわる部分やアドレナリン放出などを促す扁桃体は男性の方が大きくなっています。こうした差のいくつかは、文化の影響や思春期のホルモン分泌に起因するのではなく、生得的なものであると考えられています。しかし、脳の男女差がどのような原因によって生じたかは、いまだ明らかにされてはいません。例えば、物体を頭の中で回転させるといったある種の空間認知課題に対しては、一般に男性の方が女性を上回っていますが、これが、かつての狩猟生活で獲得された能力と言えるかどうかは、(色の好みよりありそうな話ではあっても)推測の域を出ないのです。

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質問 不老不死は可能だと思いますか? ここでいう不老不死は、「脳の中身をPCに保存」などを除き、見た目が人間の形状を保ったものに限ります。【その他】
回答
 不老不死は古代からの人類の夢ですが、実現はまず不可能でしょう。自然界に不老不死のモデル生物がいれば、そこから何かヒントを得られるはずですが、人間に応用可能な不老不死性を持った多細胞の動物は、地球上には存在しないようです。
 繰り返し若さを取り戻せる生物なら、ベニクラゲがいます。通常のクラゲは雌雄異体で、有性生殖によってできた卵から幼生を経てポリプと呼ばれる固着型の体制を取り、そこから出芽によって浮遊型のクラゲが発生します。ところが、ベニクラゲは、浮遊型のクラゲが弱って海底に沈み触手などが失われた後、体細胞の一部が増殖してポリプに変化し、クラゲとして再生します。卵細胞が受精を経ないで個体に成長する単為生殖なら、いくつかの昆虫をはじめ、トカゲや魚類で観察されていますが、生殖細胞以外の細胞が個体に成長するケースは、きわめて珍しいと言えます。
 もっとも、ベニクラゲは、クラゲ→ポリプ→クラゲ→…という一種の世代交代を繰り返しているので、1つの個体が不老不死であるとは言えないでしょう。アメーバのような単細胞生物(あるいは、多数の核を持つ巨大なアメーバ状生物である変形菌など)は、生存に適した環境が維持されていれば不老不死でいられますが、さまざまに分化した器官を有する多細胞生物にとって、老いと死は不可避の運命のようです。30数億年前に地球上に生命が誕生して以来、生命の連鎖は途切れることなく続いているにもかかわらず、個々の生物体が死ななければならないのは、おそらく、器官を修復して個体の生命を長引かせる生物的コストがあまりに高くつくので、新しい個体を生み出し弱った個体を淘汰していく方が種の生き残りに有利になるからでしょう。
 自然界には、ヒドラやヒトデのように強力な再生能力を持つ生物もいますが、いずれも体組織の分化が進んでおらず、再生が容易な体だと言えます。これに対して、脊椎動物は特定の機能を持つ器官を持っており、これらが老朽化すれば、修復するのはきわめて困難です(再生医療という言葉は既に一人歩きしていますが、皮膚や軟骨以外の器官を再生させるまでには、まだ何十年も掛かりそうです)。中でも血管は、血栓の形成など進行性の障害を生じやすく、個体は血管の老化とともに年老いていくと言っても過言ではありません。さらに、人間の場合は、巨大な中枢神経系が足枷になります。記憶は神経細胞のコネクションにコードされているため、損耗した細胞をアポトーシスによって取り除き、新たに細胞増殖を行うという通常の修復方法が採れません(この方法だと修復するたびに記憶が失われてしまいます)。繰り返し興奮する神経細胞は反応性の強いフリーラジカルによって損耗する機会が多いため、睡眠という形で1日に何時間も活動を休止し、体温を下げて細胞壁などをゆっくりと補修しなければなりませんが、それでも補修しきれず、神経細胞はだんだんと死滅していきます。また、ベータアミロイドのような異常タンパクが蓄積しても、物質輸送が制限されているので簡単には除去できません。こうして一方的に進行する中枢神経系の老化を阻止することは、現在も将来も、できそうにありません。たとえ何らかの方法で首から下の老化を食い止められたとしても、頭脳が衰えてしまえば不老不死とは言えないでしょう。
 体内の器官が損耗しないように、低体温にして生体活動を抑えてしまえば、かなり長期にわたって生存できる可能性があります。しかし、それでは生きる意味がなくなります。老いと死は、人生を生き抜くことの代償だと言っても良いかもしれません。

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質問 亜光速ロケットから外を見ると、星の光が前方に集中して見えると聞きました。真後ろから来る光だけはずっと真後ろからですが、それ以外は光速に近づくにつれ、前方に移動するそうです。後ろ45度程度の位置にある星の光が、真横から来ているように見え、真横にある星の光が斜め前方から来ているように見える…。この現象は、式などを見て理屈としてはなんとなく分かったのですが、どう解釈していいのかイマイチ分かりません。ロケットの周辺の空間が歪んでるということではないですよね? 【現代物理】
回答
qa_292.gif  これは光行差と呼ばれる現象ですが、この説明法には、簡単なものと少し複雑なものの2つがあります。
 まず、簡単な説明をします。雨が降っているときに全速力で走ると、雨粒が自分に向かって来るように見えますが、これは、落下する雨粒に対して自分が近づいている結果です。同じように、光速度に近いロケットに乗ってみると、光が自分に向かってくるように見えるはずです。自分に向かってくる光は、目で見た(あるいは光学機器で処理した)ときに光源が前方にあるような像を結ぶので、静止していたときに比べて、光源が前方に移動したように見えます。速度vで進むロケットの進行方向に対して角度θの方位にある遠方の星を見る場合、1秒間にロケットが進むvメートルの分だけ光が向かってくるように見えるはずなので、光行差による進行方向の変化角αは、図に示されるように、
  α = (v/c) sinθ
となります。18世紀にイギリスの天文学者ブラッドリーは、天体観測から求めたαと地球の公転速度vをこの式に代入して、当時は正確に知られていなかった光速度cを1%以下の精度で求めました。
 上の計算には、相対論は使われていません。実際には、ロケットの速度が光速に近づくと相対論的な効果が顕著になって、ブラッドリーの公式には、少し修正が必要になります。修正された式は、相対論の教科書などに載っています。
 ここまでの「簡単な説明」に間違いはありませんが、光が電磁波という波であることを考えると、雨粒などと同じように扱って良いものか、少し疑問を覚えるかもしれません。実際、ロケットから見たときに波面の形がどうなるのかは、すぐにはわからないはずです。光の実体は光子と呼ばれる粒子だという見方もありますが、必ずしも適切な解釈ではありません。電磁波の光行差をきちんと理解したければ、マクスウェル方程式を解いてみるのがベストですが、話がかなりややこしくなります。光が波であっても上に示した光行差の公式がそのまま使えることを示す最も簡単な方法は、単色平面波を考えたときの波数ベクトルk が座標変換に対してどのように変わるかを求めるというものです。この計算は、角振動数をωとしたとき、位相φ=ωt - x・k が座標変換の不変量になることを使って遂行できます。これが、光行差の「少し複雑な説明」です。

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©Nobuo YOSHIDA