質問 ディラックの海って何ですか。【現代物理】
回答
電子の運動を記述する方程式は、1928年にイギリスの物理学者ディラックによって 導かれましたが、当初は、この方程式にエネルギーが負になる解が無限に存在する ことが問題だとされました。負のエネルギー状態は一種の「穴」であり、電子はエ ネルギーを放出しながらこの「穴」に落ち込んでしまうので、物質が安定に存在で きなくなります。この問題を解決するために、ディラックは、「穴」の中にはすで に電子がいっぱいに詰まっていると考えました。つまり、われわれが「真空」だと 考えているのは、すでに無限個の電子が詰まった状態であり、その上にさらに 余分な電子が存在して初めて電子として観測されるのです。また、「穴」の中であ るべき電子が欠けている「空孔」が、物質たる電子に対する反物質である陽電子に 擬せられます。ここで、電子と陽電子の役割は逆にできるので、もしかしたら、 「真空」とは反物質が稠密に詰まった状態であり、反物質が存在しない「空孔」が物 質として認識されているのかもしれません。このように粒子が稠密に詰まった「真 空」が「ディラックの海」であり、われわれは、海に棲む魚のように、濃密な媒質 の中に存在しているのです。
…というのがディラックの考えですが、残念ながら、この壮大なアイデアは、1929 年にハイゼンベルグとパウリによって提出された場の量子論によって過去のものに なってしまいました。場の量子論では、電子と陽電子という2種類の正エネルギー の状態が存在することになり、無限の粒子を含むディラックの海を考える必要はあ りません。もともと、真空が無限個の粒子を含んでいると、真空と粒子の相互作用 を見直さなければならなくなるほか、一般相対論との整合性も怪しくなるので、物 理学者にはあまり信用されていない理論でした。
ただし、われわれが何もないと考えている「真空」に無限の粒子が詰まっていると いう発想は、この世界とは別の「影の世界」が存在するという考えにつながること から、SF作家に多大な影響を与えてきました。最近評判になったアニメ『新世紀 エヴァンゲリオン』でも、主人公の少年が「ディラックの海」に取り込まれるシー ンが出てきますが、これも、本来の科学的な意味ではなく、この世界とは別の世界 として扱われています。ちなみに、『エヴァンゲリオン』には、このほかにも、「 粒子と波動の二重性」とか「ヘイフリックの限界」など、科学的な用語が(原作者 でもある庵野秀明監督の奔放なイメージの展開に従って)本来の意味から離れて自 由に使われているので、興味がある人は、元の科学的理論についても調べてみてく ださい。

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質問 対消滅を使ってエンジンは作れませんか。【現代物理】
回答
対消滅とは、物質と反物質が接触したとき、双方とも消滅して莫大なエネルギーが放出される現象です。この現象をエネルギー源として使えると考える人がいるかもしれませんが、残念ながら、現実問題としては不可能です。この世界には反物質は安定な状態で存在していないので、莫大なエネルギーを投入して反物質を作らなければなりません。この過程で相当のエネルギーが散逸することを考えれば、エネルギーの無駄遣いでしかないのです。反物質を保存することができれば固形燃料として有用かもしれませんが、物質と接触すると瞬時に大爆発を引き起こすものですから、危険すぎて使用に耐えません。また、物質と反物質を正面衝突させることによって発生するエネルギーは、放射線となって四方に飛散するので、これを集めて利用するのは技術的に困難です。
反物質を扱う技術は、SFの世界では馴染みのものです。対消滅エンジンは、人気アニメ『不思議の海のナディア』でノーチラス号の動力として使われていました。SFで描かれた反物質技術の中で、実用化が可能なものは、スタニスワフ・レムの『砂漠の惑星』に登場する反物質ビーム兵器でしょうか。このビームを照射されると、いかなる物質といえども爆発してしまうはずです。

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質問 TVや雑誌でダイオキシンがよく取り上げられますが、どれほど危険なものですか。【環境問題】
回答
ダイオキシンは「史上最強の毒」と呼ばれる物質で、ベトナム戦争の時に使われた枯葉剤の成分として有名になりましたが、最近では、ゴミ焼却場から出されるダイオキシンによる環境汚染が心配されています。
ダイオキシンが恐ろしいのは、その毒性が長期間にわたってジワジワと現れる点です。摂取した本人に数十年の潜伏期間を経てガンが発生するほか、生まれてくる子供に奇形が発生する確率が高くなり、子孫に禍根を残すことになります。また、ホルモンの内分泌を混乱させる作用があり、ごく微量でも健康に影響を及ぼす可能性が指摘されています。最近多く見られる女性の子宮内膜症や男性の精子減少も、ダイオキシンをはじめとする内分泌撹乱物質の影響だと主張する学者もいます。厚生省は、1996年に体重1kgあたり10pg(ピコグラム;1pgは1gの1兆分の1)以内という安全基準を出していますが、アメリカの環境保護庁が出している0.01pg/kgという指針から見ると、きわめて甘いものです。
こんにちダイオキシンの主たる発生源となっているのは、ゴミ焼却場です。塩化ビニルやポリ塩化ビニリデンのような塩素を含む有機化合物を数百度という低い温度で焼却すると、ダイオキシンが発生します。われわれが日常的に使用している食品のパッケージや卵のパック、ビニール傘なども、ダイオキシンのもとになり得ます。ゴミ焼却場で発生したダイオキシンは、周辺に飛散するだけでなく、大気中をしばらく浮遊してから降下するものもあるため、広域的に土壌や海洋を汚染します。特に危険なのは、海洋に降下したダイオキシンが、食物連鎖を通じてハマチやマグロなどの大型魚に濃縮される現象です。こうした魚を平均的な日本人の4倍ほど食べる人は、きわめて甘いはずの厚生省の基準すら越えるダイオキシンを摂取することになると言われており、今後の影響が心配されています。

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質問 最近、結核が増えてきたと言われますが、日本では結核は撲滅されたのではないのですか。【技術論】
回答
戦前は「死病」と恐れられた結核も、ここ30〜40年はもはや過去の話題になったと思われていました。しかし、近年になって複数の抗生物質が効かない多剤耐性結核菌が現れ、また医療上の大問題になりつつあります。世界的に見ると、毎年約800万人が発症、300万人近くが死亡しています。
戦後、先進国で結核が減った理由は、(1)国民の栄養状態の改善、(2)ワクチン(BCG)の普及、(3)ストレプトマイシンをはじめとする抗生物質の開発−−などがあると言われています。一般の人は、それまで死病だった結核をも治す抗生物質ができたことが、結核患者を減らす上で最大の効果があったと考えがちですが、実は、結核の蔓延を防ぐ上で最も重要なのは栄養状態の改善であり、ついで、ワクチンが大きな意味を持っています。日本の場合は、抵抗力の乏しい小児期にはワクチン接種で免疫を作り、ワクチンの効果が薄れる成人期になると、栄養価の高い食事を摂取して抵抗力をつけることによって、結核の危険を排除してきました。抗生物質は、免疫力が弱く結核を発症した人に対する限定的な治療法として用いられた訳です。こうして結核は日本から姿を消したように見えましたが、天然痘ウィルスが地球上から消滅したように結核菌が完全に駆逐されたのではなく、あくまで、健康な人が結核を発症しないような状況が整えられていただけです。したがって、ジャンク・フードばかり食べて健康を損なっているような人には、結核がいまだ脅威になるはずです。

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質問 相対論を勉強していたふと思ったのですが、運動する時計は遅れるのに運動している物差しは縮む、つまり、時間は伸びるのに空間は縮むのはなぜですか。【古典物理】
回答
アインシュタインの特殊相対論によれば、時間と空間は、4次元の時空として1つに統一されることになり、式の上では、時間も空間も対称的に取り扱われます。座標系K(時間T、x座標xに対して、x軸方向に速さvで運動している座標系をK′(時間T′、x座標x′)とすると、各座標の間には、次のような変換式(ローレンツ変換式)が成り立ちます:
  x′=β(x−Vt) …(1)
  t′=β(t−Vx) …(2)
ただし、式を簡単にするために、光速をcとして、t=cT、t′=cT′、V=v/cと置いています(これは、自然単位系と呼ばれるもので、相対論の記述によく用いられます)。また、βはローレンツ因子と呼ばれる量で、
  β=(1−V2-1/2 (>1)
と定義され、Vが1に近づく(vがcに近づく)につれて無限に大きくなります。(1)(2)式から明らかなように、時間と空間が対称的に扱われているので、運動している物体に結びつけられる時間や空間は、同じように引き伸ばされるはずです。 fig2
 それでは、なぜ運動している物差しは短くなるかと言えば、長さの測定は、観測者に結びついた座標系で対象物体の両端が同時刻になるようにして行われるという暗黙の前提があるからです。静止しているときには1mの長さの物差しが、K系から見て速度vで運動している場合を考えましょう。物差しと一緒に運動している観測者が長さを測定すれば確かに1mありますが、この測定は、K系から見ると両端の位置を異なる時刻で測ったことになっています。逆に、K系で両端が同時刻になるように測定する過程をK′系から見ると、先端の位置を測定して少し時間が経ってから後端の位置を測っているので、後端が前に進んだ分だけ物差しが縮んだようになるのです。K系で測定した物差しの長さは、空間の伸びの因子βに、両端の測定時刻のずれに起因する因子β-2を乗じたβ-1倍(<1)になります。これが、ローレンツ短縮の起源です。
 ところで、実際に光速近くで運動する物体はどう見えるかというと、実は、式で示されたように縮んでは見えないのです。これは、ある時刻に観測者の目に到達するのは、決して物体から同時刻に発射された光ではないためです。実際の運動体がどのような形で見えるかは、NHKで放映された『アインシュタイン・ロマン』の中でCGによって作成された映像が紹介されていたので、参考にすると良いでしょう(ビデオが発売されています)。

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質問 高速で飛行するロケットから見ると、星が前の方に集まって見えると聞きましたが、どうしてですか。【古典物理】
回答
この現象は、ローレンツ変換の式を用いて数学的に示すことができますが、ここでは、直観的にわかりやすい初等的な説明を試みたいと思います。
fig3

ある座標系で見て、ロケットが速度vで運動しているとしましょう。この運動に対して、角度φで光が伝播する場合を考えます。図のようにx、y座標の向きを決めると、光速のx成分はccosφ、y成分はcsinφとなるはずです。
ロケットの中から見て、光がやって来る方位角をφ′と置きます。ニュートン力学における速度合成の方法が使えるならば、光の速度成分は、
  c′cosφ′=ccosφ+v …(1)
  c′sinφ′=csinφ   …(2)
となるはずです。ところが、光速度不変の原理によって、ロケットの中から見ても光速度はcのまま(c′=c)のはずなので、どう考えても上の式は成り立ちません。ここで、相対論的な修正が2つ必要となります。1つは、運動方向の空間が伸びる効果(すぐ前の質問を見てください)で、(1)の右辺全体に
  β=(1−(v/c)2-1/2 (>1)
という因子がかかります。もう1つは、光速度が一定になるために必要な因子γで、(1)と(2)の右辺に共通に乗じられます(γは、実は時間の伸縮に関係する量で、2つの座標系で測定した周波数の比になるのですが、細かい説明は省略します)。こうして、光速度成分の変換則は、次のように書かれます。
  ccosφ′=γβ(ccosφ+v) …(3)
  csinφ′=γcsinφ     …(4)
(3)と(4)の両辺を2乗して足しあわせるとc2になることを使って計算すれば、
  γβ=(1+(v/c)cosφ)-1
となります。したがって、
  cosφ′=(ccosφ+v)/(c+vcosφ)
これが、相対論的な光行差の公式です。ここで、cosφ≠-1の場合、v→cとすると、分母・分子ともccosφ+cになるので、cosφ′は1に、すなわち、φ′が0に近づきます。これは、光速に近いスピードで飛ぶロケットから見ると、すべての光が前方からやってくることを意味します。ただし、例外はcosφ=-1のときで、vの値によらずcosφ′は-1になります。真後ろから来る光は、光速近くで飛んでいるときも真後ろからやってくる−−当たり前ですね。

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©Nobuo YOSHIDA