質問  定常宇宙論では宇宙の始まりはどうなっているのですか??
無いのでしょうか???【現代物理】
回答
 現在では、宇宙は百数十億年前に始まったというビッグバン宇宙論が主流になっていますが、1965年にペンジアスとウィルソンによって「ビッグバンの余熱」が観測されるまでは、定常宇宙論もかなりの支持を集めていました。
 定常宇宙論にはいくつかのバージョンがあります。単に、「宇宙には始まりも終わりもない」というだけの主張なら古代ギリシャでも唱えられていましたが、現代的な定常宇宙論は、1946年に、ホイル、ボンディ、コールドという英国在住の3人の科学者が提唱したものです。すでに1929年に、ハッブルによって、近隣の銀河が天の川銀河から遠ざかっていることが観測されており、1931年には、一般相対論に基づいて、「風船のように膨張する宇宙」というアイデアをエディントンが提出していました。しかし、遠ざかっている銀河の速度を逆転して銀河たちが一点に集まる時期を計算すると、わずか20億年ほど前という答えになり、地球の年齢よりも宇宙の年齢の方が若いという決定的な矛盾が生じてしまいます。この矛盾は、後になって、ハッブルらの観測データに大きな誤差があったことがわかって解消されるのですが、1940〜50年代には、膨張宇宙論に対する決定的な反証と見なされていました。ホイルらは、銀河たちが互いに遠ざかっているにもかかわらず、宇宙の姿が昔(数十億年以前)も今も変わらないようなタイプの定常宇宙論を考案したのです。
 ホイルたちが問題にしたのは、宇宙における物質密度でした。銀河たちが互いに遠ざかっているにもかかわらず、物質密度が低下せずに定常的になるためには、銀河がまばらな真空に近い領域で物質が補給されなければなりません。当初の定常宇宙論では、具体的な理論は示されていませんでした(ホイルは、後に重力エネルギーが物質に転化するという理論を作っています)が、ホイルたちは、何らかのメカニズムによって真空から物質が生成されることを仮定して、宇宙は昔も今も同じ姿をしていると主張したのです。「真空から物質が生成される」というのは非常識な主張に見えるかもしれませんが、ガモフが提唱したビッグバン理論では、宇宙が始まった瞬間に、すでに原物質(イーレム=中性子物質)が存在していたと仮定されているので、非常識さの点では大同小異だったとも言えます。
 ホイルらの定常宇宙論は、宇宙の大局的な状態が時間に依存しないことを前提としているので、宇宙の始まりも終わりもありません。したがって、宇宙はどのようにして始まったかという「始まりの謎」は回避されたことになります。しかし、その一方で、果てしない宇宙が永遠の過去から未来にわたって絶えず物質を生成し続けるという「無限の不思議」を受け入れなければなりません。

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質問  「今まで読んだどの本でも、時間について「未来から過去」という表現はなく、「過去から未来」という前提で書かれているように思いますが、私は「未来から過去に」と感じるのです。星空は過去の宇宙と説明されています。目の前に展開されている世界がすべて過去、つまり前が過去なら単純に考えて後ろが未来です。ということは未来(後)から過去(前)への時間の流れに乗って、世界(宇宙)が進んでいることになりませんか?」【現代物理】
回答
 物理学者とそうでない人が時間について議論をすると、往々にして論点がすれ違ってしまうのですが、その原因は、「時間」という言葉で意味するものが異なっている点にあります。物理学者は、「時間」を「時間座標」の意味に解釈します。「時間座標」は、空間座標と同じような「世界の拡がり」の指標であり、「向き」はあっても「流れ」はありません。ある時刻を指定すれば、「それより過去」「それより未来」の範囲を決めることはできますが、「今まさに何事かが生起している」現在を定めるのは不可能です。ところが、物理学以外の文脈で現れる「時間」とは、未だ確定していない「未来」が、厳然として変更不能な「過去」へと不断に更新されていくプロセスを実現するステージであって、このダイナミズムが「流れ」というメタファーで表現されています。こうした「時間の流れ」を巡って、議論がかみ合わなくなるのです。
 物理学的な時間が「流れ」を伴っていないということは、物理学者が考案した時間に関する奇妙なモデルに示されています。例えば、フリードマンやゲーデルは、一般相対論をもとに、時間が円環構造をしている宇宙のモデルを提唱しています。この世界では、未来がそのまま過去につながっており、現在を境とする時間の3分法が成り立ちません。また、ビッグバンで始まりビッグクランチで終わるという宇宙モデルはポピュラーですが、渡辺慧やホーキングは、ビッグバンとビッグクランチに同じ境界条件を課した場合の帰結を考察しており、宇宙の膨張期と収縮期では「時間の矢」が逆向きになる(つまり、その期間に生きている生物にとっては、ビッグバン/ビッグクランチから宇宙の大きさが最大になる向きに時間が流れているように感じられる)という可能性を示唆しています。これらのモデルは、必ずしも現実的なものではありませんが、物理学者が「時間」を流れのない「拡がり」として捉えていることを示唆するものでしょう。
 物理学者が「時間の流れ」に言及していないので、一般の人は、自分が実感している「時間」を、思い思いの方法で表現することが許されます。物質の不可逆的な変化に着目する場合は、時間の流れに乗って、過去(上流)から未来(下流)へと流されていくというイメージがわかりやすいでしょう。また、意識の能動的な面を重んじる立場からすると、さまざまな可能性として遠望されていた未来が自分の前に立ち現れる過程で不動の過去へと変貌していくのですから、時間の流れは未来から過去へと向かうように感じられることになります。しかし、こうしたイメージの科学的な正当性について物理学者に尋ねても、納得のいく回答は得られないでしょう。物理学者は、おそらくこう聞き返すはずです:「流れというからには、流れていないもの(川岸や川底)に対する物理的対象(水)の移動を指しているはずだが、時間は何に対して流れているのか」と。実際、「1秒間に時間は何秒流れるのか」という問いは、ナンセンスに思われます。「時間が流れる」というのは非科学的なメタファーであって、現実の時間は単なる拡がりである−−というのが、現時点での物理学者の見解でしょう。
 ただし、こうした物理的描像が絶対に正しいのかというと、そう断言することはできません。科学とは、あくまで仮説の集積であって、真理を語るためのドグマではないのですから。そもそも、現在の科学では、「意識」とは何かが明らかにされていないのです。「時間の流れ」は意識と結びついたイメージであり、意識の物理学が構築される過程で、時間についての全く新しい知見が得られる可能性もないとは言えません。

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質問  情報社会となった日本、そして世界で、工学的分野から見て、環境問題を解決するための行動や研究とは何でしょうか? 情報社会となった今だからこそ、環境問題を解決するために活用できる要因、あるいは逆に、情報社会になったために環境問題をいっそう悪い方向に持っていってしまった要因などはあるのでしょうか?【環境問題】
回答
 こんにちの深刻な環境問題が、根本的には、無定見に資源を蕩尽し廃棄物を排出する大量消費型の産業構造そのものに根ざしていることは間違いありませんが、これに拍車をかけているのが、社会の至る所に見られる膨大な無駄でしょう。情報工学の応用は、こうした無駄を削減するのに大いに役立つと考えられます。
 最もわかりやすい例が、交通情報システムの整備です。自動車は、窒素酸化物などの大気汚染物質や温室効果ガスである二酸化炭素の排出源となっていますが、交通渋滞による燃焼効率の低下によって、走行距離あたりの汚染物質排出量がさらに増大する結果となります。こうした“無駄”を無くすため、警察庁は、交通情報システムを開発して渋滞の解消に努めています。具体的には、車両感知器などにより交通情報を収集し、その情報に基づいて車両の流れがスムーズになるように交通信号機を制御したり、交通情報板やラジオ放送などを通じてドライバーへ交通情報を提供したりしています。
 情報システムの整備による「流れ」の促通は、こんにち、さまざまな分野で進められています。例えば、電力会社は、過去のデータに基づく地域ごとの需要予測を行った上で、効率的に電力供給を行っていますし、流通業界では、POS(販売時点管理)システムやEDI(電子データ交換)を利用した在庫回転率の向上が実現されています。これらは、直接的に環境問題の解消を目指すものではありませんが、無駄の削減を通じて、間接的に環境改善に寄与すると考えられます。
 一方、生産現場でも、情報システムを利用した効率化が進められています。従来は、部品の1つが故障しただけで製品全体を廃棄処分にすることも少なくなかったのですが、最近では、部品をモジュール化して、損耗したパーツだけを交換したり、製品の廃棄に際して再使用可能なパーツを回収する試みが、多くのメーカーで進められています。その際、部品ごとに寿命や損耗率をデータベース化しておけば、寿命の短い部品の交換や耐久性のある部品のリサイクルが効率的に推進できるはずです。
 ただし、情報システムを活用した効率化が、常に環境にプラスになるとは限りません。例えば、コンビニエンス・ストアにおけるPOSシステムの導入は、広い倉庫がなくても欠品(消費者が望んでいる商品が棚にない状態)を出さないことに重点が置かれているので、少量ずつ頻繁に納品することになって交通状況の悪化をもたらしたり、弁当など常に実需より多めに入荷して期限切れで廃棄処分になる品量を増やす結果になっています。また、目的意識を持たない情報システムの導入も、無駄の削減にはつながらないでしょう。かつて、OA(オフィス・オートメーション)の普及によりペーパーレス社会が実現すると言われたこともありますが、多くの会社では、あまり重要でない事項まできれいに印刷して配布するようになったため、かえって紙(しかも、古いプリンターでは再生紙が使えないのでバージン・パルプ)の消費量が増大したという笑えない話があります。
 しかし、一般的には、状況にきめ細かく対応できるように情報システムを整備することは、資源やエネルギーの無駄な消費を減らし、環境の悪化を防ぐ方向に作用すると言えるでしょう。この意味で、情報・通信分野の技術的発展は、環境問題の観点からも好ましいと考えられます。実際、TV会議システムがもう少し高機能になれば、わざわざエネルギーを消費して遠方に出張しなくても良くなる時代が到来するでしょう(現在の技術レベルでは、“顔色を伺う”ことができないので、どうしても担当者同士の直接交渉が欠かせません)。
 さらに、将来的には、高度情報社会の実現が、大量生産・大量消費の20世紀型文明を構造転換する可能性も指摘されています。高度成長期には、3C(Car, Cooler, Color TV)のようなエネルギー集約型の工業製品を所有することが社会的なステータスになっていましたが、こんにちでは、キャラクター・グッズやTVゲームなどの情報集約型の製品が、多くの人に満足を与えています。この傾向がさらに進めば、資源やエネルギーを消費しないインターネット上のバーチャルな製品で人々の欲望を満たせるようになるかもしれません。

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©Nobuo YOSHIDA