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§2.初等的モデルの検討


 ここでは、前節で紹介した「視点の切り替え」に相当する物理的記述の変更がどのようなものかを読者に実感してもらうために、きわめて初等的なモデルを使って具体的に説明することを試みる。ただし、議論の対象として取り上げるのは、現実味の全くないスピン・モデルであり、理論構築のための土台となるものではなく、あくまで、物理的な記述に馴染みのない人がイメージを作る上での補助的な作業である。物理の詳細に興味のない人は、最後の部分だけを読んで次に進んでもかまわない。


スピン・モデルにおける渦


 はじめに、トリヴィアルだが印象的な例として、2次元スピン・モデルにおける渦を取り上げてみたい。

fig04_01.gif  基本的なセットアップとして、2次元の正方格子上の各格子点に平面内で回転できるスピンを置き、互いに相互作用させることを考える。ここで、スピンの向きは、正方格子の置かれた平面内の方位として図示されてはいるが、実際に何かがこの方位を向いていると考える必要はなく、電子のスピンや陽子・中性子のアイソスピン(*)と同様に、「内部空間」における変数の値と見なすことができる。また、スピンの変化だけを考える場合は、正方格子が2次元空間内部に実際に存在していると考える必要はなく、スピン変数同士がある相互作用で結ばれていると仮定するだけで、2次元正方格子上に実在するスピンと全く同じ振舞いをすることが知られている。したがって、トリヴィアルなモデルでありながら、高次元φ空間における量子過程と、多くの共通点を持っている。

(*)陽子と中性子を区別するためにハイゼンベルグによって形式的に導入された内部変数で、後にゲージ理論の内部自由度に由来することがわかる。

 スピンに変化を生じさせる相互作用の選び方には、任意性がある。ここでは、物理的な現実性を考慮せずに、単に「見た目のわかりやすさ」だけを考えて、17×29個のスピンについて、正方格子の外周での状態を「手で(by hand)」適当に指定し、この境界条件の下で系がエネルギー最小の安定平衡状態に達するようなモデルを取り扱うことにする。

 細かなことを言えば、安定平衡状態が実現するためには、熱エネルギーの散逸過程が必要なので、スピン以外の自由度が隠されていると考えなければならず、「隠れた変数」が量子過程との本質的な差異をもたらす可能性をも熟慮しなければならなくなる。こうした問題を避けるためには、スピン相互作用による微分(ないし差分)方程式で系の振舞いが一意的に定まる完全決定系のモデルを使えば良いのだが、こうしたモデルは、計算がきわめて複雑になることに加えて、見た目のわかりやすさが減殺されてしまう。ここでの議論は、あくまで、協同現象の「内側に入る」ことについて読者が明確なイメージを抱けるようにするためのものなので、理論的な厳密性には欠けても直感的にわかりやすいモデルを取り上げる。

 具体的には、ハイゼンベルグ模型のアナロジーを使って、格子点iとjの間に次の式で表される相互作用ポテンシャルがあると仮定する: fig04_02.gif

  Uij = −Aσi・σj

“A”は相互作用の大きさを表す結合定数、“・”はスピン・ベクトルの内積を表す。また、相互作用を行う(i,j)の組は、隣接格子点に限定するとわかりやすい(ただし、実際のシミュレーションでは、少ないステップで収束させるために、隣接格子点だけでなく対角格子点の組も含めて計算した)

 上の相互作用は、2次元空間内に正方格子が存在していると仮定したときには、空間的に見て近くにあるスピンの間にポテンシャル・エネルギーが生じることを意味している。しかし、これとは逆に、スピン自由度を表す内部空間だけがあらかじめ定義されており、相互作用の形式が(現実には存在しない)「正方格子」を生み出していると解釈できる場合もある。簡単な考察を通じて、このことを示してみたい。

 あるスピンの“座標”(=インデックス)を2つの整数の組(x,y)で与え、これと相互作用する相手を決める演算子を次の4つの記号で表す:
  (±1,0), (0,±1)
例えば、(x,y)と(2次元空間ではその右隣に位置することになる)(x,y)+(+1,0)(=(x+1,y))が相互作用するというように。ここで、相互作用ペアを決める演算子が次のような加法法則を満たしているとする:
 ・逆元の存在
   ({(x,y)+(+1,0)}+(-1,0)=(x,y) など)
 ・交換則
   ({(x,y)+(+1,0)}+(0,+1)={(x,y)+(0,+1)}+(+1,0) など)

 これらの関係式を満たす演算子を繰り返し作用させていけば、あるスピンから出発して2次元空間に拡がる格子を構成することができる。例えば、最初に(x,y)が与えられたとすると、

  (x,y)→(x+1,y)→(x+2,y)→…
  (x,y)→(x,y+1)→(x,y+2)→…

という進み方だけでなく、逆元を利用して、

  (x,y)→(x-1,y)→(x-2,y)→…
  (x,y)→(x,y-1)→(x,y-2)→…

と進むこともできるし、交換則から、

  (x,y)→(x+1,y)→(x+1,y+1)
  (x,y)→(x,y+1)→(x+1,y+1)

という2つの道筋を辿って得られた(x+1,y+1)が等しいことも保証される。つまり、本来はスピンという内部空間とスピン同士の相互作用しか定義されていなかったとしても、相互作用を元に2次元の格子を仮想的に作り上げ、そこで現象が生起しているかのように記述することも可能になる。換言すれば、このモデルは、スピンの数だけの次元を持つ「内部空間」における事象が、見方によっては、2次元空間内部の出来事として解釈されることを示している。

 なお、格子がユークリッド的な平面に埋め込まれるためには、さらに大局的な条件を加える必要がある(さもなければ、トーラスを含む複雑なトポロジーが許されてしまう)が、局所的な相互作用を問題にしている限りは、この条件は必須ではない。また、上の条件だけでは、構成される格子の唯一性も保証されていないが、互いに相互作用しないスピン系が複数存在しても、物理的には何の問題もない。

fig04_03.gif  このスピン・モデルを使って、次のような簡単なシミュレーションを行ってみよう(この程度の計算機実験は、BASICでプログラムすれば家庭用パソコンで簡単に遂行できる):はじめに、薄いドメイン・ウォールを境にスピンが反平行になるような始状態を(図の左から1/4の位置に縦方向に)設定し、ここからエネルギー最小の状態へと変化する緩和過程のシミュレーションを実行すると、(格子外周のスピン状態は固定されているという条件の下で)、充分に長い時間が経過した後、ドメイン・ウォールがあった領域に渦状のコンフォーメーション(以下、単に“渦”と呼ぶ)が形成される(右図(a))。次に、外周のスピンの状態を右方向に少しずらし、その度に緩和過程を実現させると、“渦”も外周のスピンに引きずられるように元の位置から右に移動していく(右図(b)〜(d))。

 このシミュレーションによって、格子が埋め込まれている2次元の座標空間において、“渦”は、あたかも空間の内部に存在する物体であるかのように、ある場所から他の場所へと移動していくことがわかる。充分に大きな格子を用意すれば、複数の“渦”が並存し、互いに影響を及ぼし合うような事態も生じる。こうした状況は、《客観的世界》の内部に独立に動き回る事物が「並列的に」存在する様子と類比的に扱うことができる。しかし、この現象は、「拡がった空間内部を物体が移動する」という古典スキームに叶った過程ではなく、スピンの向きという内部自由度が集団的に協調して変化しているにすぎない。ある格子点に位置するスピンの変化をみると、“渦”が近傍を通過する際にスピンの向きがフリップするが、遠くに去ってしまえば定常状態に戻る。相互作用が局所的であるにもかかわらず、この単純な動きがいっせいに歩調を合わせて起きるため、まるで“渦”という物体が移動していくように見えるのである。


fig04_04.gif

 それでは、座標空間で眺めたときには“渦”の移動として捉えられる現象を、「内側から」見るとどうなるだろうか。座標空間での記述と数学的に等価な内部空間の表現に移ってみよう。最もわかりやすい内部空間表現として、“渦”とともに移動する視点を採用する。そのために、(ベクトル場の場合と同様にローテーションを考えることによって)“渦”の中心を特定し、その周囲にある8つのスピンの方位角の変化をグラフで表すことにする。可能ならば、8つのスピンの値を軸にした8次元のグラフで図示する方がはっきりするのだが、2次元の画面を使っている限り現実問題として難しいので、隣り合う2つのスピンの組の関係を表す2次元グラフ4つで代用した(下図)。このグラフからわかるように、中心近傍のスピンは、“渦”が移動する間にある1点の回りでふらついている。この点が、最も対称性の高い“安定渦”の状態を表しており、移動している“渦”の回りのスピンは、この「安定した状態」からはずれることで“独自性”を示している訳である。

fig04_05.gif

fig04_06.gif  上の「内部空間表示」が“渦”の状態とどのように結びついているかを示す印象的な例として、2つの“渦”を衝突させてみよう。格子外周の境界条件を適当に選べば、逆回りの2つの“渦”を並存させることができる。これを互いに接近するように移動させてぶつけてしまうと、逆向きの回転が打ち消しあって、“渦”は消滅してしまう(右図)。このとき、一方の“渦”の中心近傍のスピンは、まだ“渦”が形を持っている間は“安定渦”の回りをふらついているが、衝突によって“渦”が歪むにつれてそこから離れていってしまう(下図)。これが、“渦”の崩壊を「内側から見た」状況である。


fig04_07.gif

 なお、この簡単なモデルでは、“渦”の強度を表すことはできないため、同じ向きの“渦”同士を衝突させてもただ合体するだけで、おもしろい現象は生じない。

 ここまでの議論は、古典論の範囲で行われていたため、スピン変数をグラフで表すと言っても、内部空間としてリアルに捉えていることはできず、(その中の1点だけが現実を指示すような)単なる数学的な表現にすぎないと見なされても仕方がない。しかし、「古典スキームの終焉」の章で論じたように、量子論に移行すれば、物理的自由度の張る空間それ自体が現実的なものとなる。この場合、“渦”を内側から見たときに「安定渦」周辺に生じる状態関数のピークは、内部空間に形成された“構造物”としてのリアリティを持っている。流体系に現れる渦は協同現象の一種であり、より現実的な理論では、渦の位置や強度を表す「集団座標」を使って集団的な振舞いを記述することができるはずである。したがって、この(渦を含む流体系の)理論を量子化すれば、単純なスピン・モデルに現れる「安定渦」の回りのピークに相当する“構造物”が、渦の「集団座標」が張る空間にも形成されると考えて良いだろう。

 スピン・モデルは非現実的でトリヴィアルな「おもちゃ」にすぎないが、それでも、きわめて示唆的な特徴を含んでいる。まず、スピンという内部自由度の相互作用が適当な形で与えられると、あたかも2次元の正方格子が存在しており、場合によっては、“渦”がその中を運動していると解釈できるような振舞いを示すことがある。その一方で、内部自由度が張る空間の内部には、“渦”を「内側から」見たかのような状態が実現されており、“渦”の生成・消滅に対応して一定の構造が現れたり消えたりする。同一の物理現象がこうした二面性を持っているということは、客観と主観の問題に、1つの視座を提供してくれるだろう。


複雑な量子系における協同現象


 ここで取り上げたスピン・モデルは、多くの教訓を与えてくれるものの、それだけではいささかトリヴィアルすぎるので、より複雑な現象に拡張する方法を考えてみたい。

 量子系において協同現象が生じているならば、秩序パラメータによって張られる「部分空間」に量子論的なアトラクタが現れ、これによって系の全体的・集団的な振舞いが集約的に示される。古典論では集団運動の座標を定義するのに元々の自由度を人為的に組み合わせる必要があったが、量子系ではその必要はない。系の振舞いが(古典論で近似した際に)準安定と見なされる場合は、量子論的な状態関数が特定領域でピークを示すような“構造物”が形成されているので、(数学的な厳密性を要求しなければ)当該領域を包摂するような「部分空間」が、そのまま集団座標空間に該当する。また、系が時間とともに安定状態に収束する場合、高次元φ空間においても、状態関数がアトラクタに漸近していく過程が生じる(ただし、「時間とともに」ではなく、時間の変化に相当する座標軸の変更に応じて漸近する)。さらに、カオスが生じるときには、“構造物”は高次元φ空間の中に無定形に拡がった複雑なものになる。

 状態関数の“構造物”は、協同現象の特性を端的に表しており、これを包摂する「部分空間」での記述は、言わば当該現象を内側から見ることに当たる。したがって、状態関数のピークが形成する(高次元φ空間内部の)“構築物”を、協同現象の実体として語ることは正当性を持つ。例えば、あるタイプの“構造物”の存在は、「水中に歪んだ渦が生じている」ことと等価である。また、(遠く離れたいくつかの渦のように)互いに影響を及ぼしあわない独立の協同現象が複数存在している場合は、状態関数は近似的に直積の形をとる。このとき、それぞれの協同現象の実体たる“構造物”は、互いに直交する部分空間の中に形成され、言わば、異なる次元に存在することになる。

 構造物”の特徴を示す重要な指標が、ハウスドルフ次元である。単純化して言えば、これは、“構造物”の幾何学的な次元数に当たる。エネルギー散逸のあるバネの振動が最終的に静止状態に行き着くように、全ての集団座標がある一定の値をとるに到るケースでは、アトラクタは、ハウスドルフ次元が0のシンクとなる。また、各集団座標の値が1つのパラメータで定められる安定な振舞いは、ハウスドルフ次元1のアトラクタに相当し、多くの場合、リミット・サイクルとなる。カオス的に振る舞う系では、ハウスドルフ次元が非整数になることも原理的に起こり得る。ただし、ここでは、あまり難しい問題は考えず、「ハウスドルフ次元が大きい/小さい」という点のみに着目したい。簡単に言えば、人間の目から見た場合、“構造物”のハウスドルフ次元が小さい現象は、機械的で単純な過程であり、次元が大きくなると、複雑かつ精妙な過程と感じられる。

 ホジキンとハックスリーの先駆的な仕事が明らかにしたように、動物の神経興奮の過程は、膜電位やイオン濃度を集団座標とする協同現象である。人間の思考のような複雑なプロセスが実現されるとき、高次元φ空間においては、ハウスドルフ次元が(1桁の自然数に比べて)相対的に大きくなるような“構造物”が形成されていると考える。神経興奮の実体たるこうした“構造物”は、どのような特徴を持っているのだろうか。これが、《意識》の何たるかを議論するときに、解明すべき課題となる。

 いらぬ誤解を避けるために、中枢神経系における協同現象として意識を記述することが、「脳が意識を持つ」という命題と単純に同一視できないことを注意しておこう。この点に関しては、次の項目を参照していただきたい。

参照 「脳が意識を持つ」という発想の誤謬


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©Nobuo YOSHIDA