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第3章.不確定性関係と実在



 量子力学は、現実を完全に記述する理論ではない。物理的《実在》が所有している情報のある部分を縮約することによって、系の状態を直接に表すのではなく、分岐していく世界という(確率付きの)選択肢を提示するにとどまると考えられる。それでは、量子力学という理論形式で見落とされているのは、どのような現象なのだろうか。
 素朴な発想に従えば、いわゆる不確定性関係の中に、縮約された情報の名残が見いだせるように思われる。すなわち、粒子の位置と運動量が同時に決定できないのは、ランダムな揺動力が働いて粒子の軌道が〈揺らいでいる〉結果とする見方である。実際、1粒子系のシュレディンガー方程式は、時間tを虚数時間iτに置き換えるだけで、形式的には一種の拡散方程式になる。ところが、よく知られているように、拡散方程式は、ランダムな力が作用するときの運動を記述するランジュバン方程式を(確率過程として)粗視化することによって導かれる。従って、「量子力学の根底には何らかの《揺らぎ》が存在しており、この《揺らぎ》の性質についての無知が、量子力学における不完全性の起源になっていると」と主張することは、それほど突飛な論法とも思えないかもしれない。
 しかし、既に多くの学者が示しているように、不確定性関係を《揺らぎ》に還元することは、ほとんど不可能である。本章では、その理由を明らかにしながら、《揺らぎ》に代わるべき不確定性関係の起源について考察していきたい。
不確定性関係の表現
 不確定性関係は、量子力学の初期においては、位置と運動量を同時に測定するときの精度に 原理的に加わる制限として解釈されてきた。 … しかし、第2章で述べたように、量子力学が完結した理論であるためには、 その記述から測定という用語を排除できなければならない。 従って、不確定性関係も、測定をする以前の、より根本的な状況を示す表現様式によって定義される必要がある。 実は、…不確定性関係のさまざまなヴァリエーションが、基本的には、位置・運動量に対応する 演算子の正準交換関係:
   [q,p]=ih
から導出されることが知られている。 これより、正準交換関係が不確定性関係の最も基礎的な表現であると想定される。
量子論的分離不能性−−現状
 物理的実在に関する量子力学的記述の不完全性と不確定性関係との関わり合いが 最も如実に示されるのが、有名なアインシュタイン−ポドルスキー−ローゼンによる分離可能な系に おける完全性の議論である。…
ここで実験的に示された量子力学における長距離相関の存在は、量子力学的な不確定性が統計的な 《揺動力》によって生じるという主張を(ほぼ)完全に否定する。…
量子論的分離不能性−−解釈
…なぜ、《分離不能性》が物理的実在の性質を反映していると考えないのか。 その理由として、(相対論との矛盾の他に)次の点を指摘しておきたい。 こんにちでは、超伝導やレーザー発振など、量子効果が巨視的な拡がりを持つ現象が数多く知られている。 ところが、これらはいずれも(電子とフォノンの相互作用やエネルギー準位間のポンピングなど) 局所的な相互作用を媒介として実現されるものであり、物理学者たちの努力は、局所的な性質をもとに いかにして長距離相関を派生されるかに向けられてきたと言っても良い。 それだけに、もし量子力学の法則が空間的に拡がった非局所的相互賞に依拠しているとすれば、なぜ その性質が物性として表に現れないのか、真摯な物理学者は理解に苦しむことだろう。 実際、材料科学やエレクトロニクス、原子核・素粒子理論など、 量子力学が実用のための道具として利用されている領域では、非局所的な長距離相関は全く観察されていない。 これに対して、スピン系に見られた相関は、あくまで「スピンがどの方向を向いているか」という実験者側の 認識の問題であったことを想起されたい。 …
《不確定性関係》と実在の問題
 前節の議論は、量子力学を越えて《実在》の完全な記述を行う理論の可能性を示唆するものであった。 しかし、そうした理論を通じて明らかにされる《実在》は、常識的な世界観とは根本的に相反すると予想される。 …


©Nobuo YOSHIDA