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II−2 緊張病における<自由感>の喪失




 前節で述べたように,人間が<自由感>を感じるためには,脳においてフィー ドフォワード的な制御を含む階層的な情報処理が行われることが必要条件にな ると推定される。それでは,この仮説を確かめるには,どのような実験/観察 データが見つかれば良いのだろうか。当然のことながら,階層的な情報処理が なされない人間は自由を感じないというデータがあれば,上の仮説を実証する 直接的な証拠となる。しかし,
(i)特定の情報処理の形式のみが阻害されている被験者を見いだすのが難 しい(もちろん,こうした実験素材を意図的に作り出すことは技術的にも 倫理的にも不可能である)。
(ii)被験者が自由を感じていないと外部から判断する手段に乏しい(本人 の自己申告では,自由とは何かについての一般的コンセンサスがないため の誤解,あるいは,実験者に対する不信や自分の世界への惑溺がもとで, 虚偽の報告をなす恐れがある)。

などの理由から,この種のデータを理想的なかたちで収集するのは困難である。 したがって,次善の策として,既存の精神病理学的データから,自由感の喪失 を訴える症例を捜し出して,これが階層的な情報処理の阻害と結びつけられる ことを示してみよう。このような臨床データは,自由感についての如上の仮説 を実証するものではないが,少なくとも傍証として引用することは許されると 思われる。
 以下では,緊張型の精神分裂病を検討の対象とし,その症状の1つに自由感 の喪失が見られること,および,分裂病の成因が脳内情報処理の形式的障害に 帰せられることを,具体的な臨床デ一夕をもとに示していく。ただし,分裂病 の責任部位や病態に関して医学者の見解が一致しておらず,一般的な診断や治 療の手法すら確立されていない現状の下では,精神病理学界から広く認められ る学説を構築することは筆者の手に余るため,しばしば個人的な推測の域を出 ないことを了承されたい。

分裂病における自由盛の裏失
 精神分裂病とは,燥うつ病とともに最も頻繁に見られる精神病であるが,主 として精神症状をもとに分類された疾患で,その身体的な基盤は現在なおも明 らかになっていない。極端に言えば,分裂病と呼ばれ得る単一の精神疾患が存 在するかどうかについても疑いの余地があるが,(関係念慮まで含めた広い意 味での)妄想や戦略的な思考能力の低下など大半の患者に共通する症状が見ら れるほか,ド−パミン受容体に特異的に結合する薬物がかなり普遍的な抗精神 病作用を有することから,精神分裂病が生理的起源をもつ脳内疾患であると結 諭すベきだろう。ただし,その症状がきわめて多岐にわたっているため,責任 病巣が特定の部位に限局されているとは考えにくい。おそらく,異なる働きを しているいくつかの部位に同時に障害が発生して,これらの協同作業として発 現されていた複合的な機能が維持できなくなった結果として,この疾病が発症 するのだと思われる。この意味で,分裂病は,(肝臓病や腎臓病のような)特 定臓器の病変ではなく,(胸腺の老化や遺伝複製の誤謬など異なる原因がもと になって単一の症状が現れる自己免疫病のような)機能的疾患と見なすのが妥 当だろう。
 分裂病の症状を分析するに当たっては,時代や流派に応じてさまざまな手法 が採用されている。例えば,かつては早発性痴呆として分裂病における知能障 害の側面が強調されていたが,現在ではむしろ,現象学的な手法によって患者 の実存の変容に注意を向けた研究が多いようである。ここでは,人間の<自由 感>が阻害きれる実例としての分裂病の特性に注目し,<自由>の起源に関す る前節の仮説の妥当性を検証することが主たる目的であるため,このテーマに 関連した症状の記述とその背後にある情報処理形式の障害の実態解明を主眼と して識述を進めていく。分裂病に見られるその他の特徴――例えば,プラン ケンプルグが主張した「自明性の喪失」など――については,意図的に無視 する。

 分裂病の主要な症状の1つに,「体験の自己帰属性の障害」がある。これは, 思考や感情が外部から操作されているように振舞う状態で,障害の程度によっ て,

(i)患者の行動を規制したり説明したりする幻聴
(ii)思考それ自体が自発的なものでないと感じる作為思考 ほ)本人の意志に基づかない緊張病性行動

などの症状を呈する。
 「自己帰属性の障害」としての幻聴とは,思考の一部が(自分ではない)他 我性を備えたく声>として現れてきたものであり,(性的誘惑や自己傷害など の)特定の主題に傾斜する場合が多い。具体的には,次のような訴えが知られ ている:
悪魔が心の中にいて,車を運転していると「川に飛び込め」とか,勉強を しようとすると「やめろ」とか指図してきます。
私が考えると,すぐそれが声になる。歌を歌おうと思うとすぐ歌が聞こえ る。声の相手は,私の心の中をいつも先取りしてしまう。

こうした幻聴は,生活世界の全ての局面で現れる訳ではない。むしろ通常の状 況下で患者の行動や思考の自発性は保たれており,この自発的な意識に唐突に 干渉する形で幻聴が割り込んでくるのである。したがって,思考や行動を指図 する幻聴にさいなまれる症状の場合,自我意識に含まれる意志の自由(感)は かなりの程度まで維持されているものの,その作用の及ぶ範囲が正常時に比べ て著しく穂小しているという印象を受ける。実際,幻聴を通じて指示される行 動が(治療者に対する性的誘惑のように)患者の無意識的欲求を反映している と推測されるケースでも,こうした思考あるいは行動について当人が倫理的な 意味での責任を自覚することは(一般には)ない。この意味で,幻聴とは,外 来的な知覚を伴わずに意識の中に現れる他者なのである。
 幻聴においては自発性が感じられる自我の範囲は比較的明確であり,その活 動に干渉してくる幻聴は自我とは異質のものとして意識の上で弁別することが 可能だった。しかし,分裂病の病状が自発的活動の衰退する方向へ進むにつれ, 自我の境界はしだいに暖昧なものとなり,ついに思考それ自体がく他者性>を 帯びてくるようになる。これが,作為思考と呼ばれる症状である。作為思考を 体験する患者は,妄想様の非論理的な思考がなされたときに,これが自発的に 遂行されたのではなく,あくまで「自分でない(特定の,または無名の)誰か によって強制された」と主張する傾向にあり,この点で,思考が常軌を逸脱し ているという自覚のない単純な妄想とは質的に異なっている。具体的には,患 者からは次のような訴えがなされる:
(面接での質問にとりっくしまのない態度をとることについて)私が答え ようと思っても,ほんとにどう答えてよいかわからないのです。というの は,いま自分が考えていることが,次の瞬間には誰か他人に考えさせられ たと感じるからです。だから,私には私の意見がどれなのか,これがほん とに私の考えなのかどうかわからないのです。

 こうした「他者性を帯びた思考」にはいくつかのバターンがあることが知ら れており,行動や感情が外部から操作されていると感じる<作為体験>や,他 人の考えがそのまま押し付けられていると訴える<思考侵入>などがあるが, いずれも上に述べたような<作為思考>の変形と見なすことができる。
 精神病理学者の中には,幻聴が<自我の収縮>によってもたらされるのに対 し,作為思考は自我境界の障害に由来するものだとして,異なるカテゴリーに 属する症状だと主張する者もある。なるほど,幻聴は外来の知覚と類似の形式 を備えた・自我とは異質の表象として現れるのに対し,作為思考そのものは自 意識内部で行われる自発的な思考と形式上の差がなく,付随的に他者性を帯び ているという点で幻聴とは異質であるため,両者を全く別個の症例として分類 するのも肯けなくはない。しかし,筆者の見解では,両者は,質的には等しい 障害が異なる拡がりをもって現れた症状として,統一的に理解できるものと見 なされる。
 基本的な病状として,一定の主題に沿った思考を自発的に展開する能力が衰 退しているケースを考えよう。議論を簡単にするために,患者に(性的行為へ の嫌悪感など)特定の強迫観念があり,何らかの刺激が引金になってこのテー マに固着した観念連合が日常的思考を侵襲する体制が整っていたとする。健常 者ならば,このような強迫観念があったとしても,(場合によってはサイコセ ラピストの助けを借りながら)思考回路に適当なバイバスを作ってこのテーマ への接近を回避することが可能である。ところが,思考を戦略的に展開する能 力が衰退している分裂病患者になると,各時点で遂行している思考過程がしば しば停滞するため,意識野に部分的な思考の空白域が生じやすく,ここにいと も簡単に強迫的な観念連合が流れ込んできてしまう。それまでの思考を中断さ せる・こうした強引な割り込みは,知覚的な素材を引金とする通常の“不快な 連想”と異なって「見るからにいやらしい姿」とか「突き刺さるような視線」 といった具体的な表象を伴わないため,純粋な想念に近い形式をとって現れる。 こうした観念連合が,意識の上では<幻聴>として感じられることは,言語化 できるほどまとまった想念が聴覚的な内語として現れることを考えれば,きわ めて当然だと言えよう。
 思考の展開が部分的・断続的に阻害されたときに<幻聴>が現れたのに対し て,<作為思考>は,思考を展開する能力全般が漸進的に機能不全となったと きに発症すると考えられる。具体的には,思考を進めていく上で自我の制御が 不充分なときは,各段階での思考がそれ以前の内容と滑らかに接続せず,あた かも他者から強要されたように感じられるというものである。このような作為 思考の発症機序は,必ずしも臨床的な観察に裏打ちされていないため,あくま で推測の域を出ないが,作為思考が幻聴の場合と異なって特定の主題に限定さ れていないという観察事実は,前者が後者よりも広範な機能の障害に起因する という仮説を支持する。

 上で述べたような思考展開の阻害が行動のレベルで見られる病症が,分裂病 の1つの類型を構成する緊張病性の行動障害である。緊張病とは,自発的な意 志に準拠するとは考えられない行動の異常を包括した概念で,前世紀に「精神 症状と共に痙攣を主とする運動神経系の症候を伴う大脳疾患」として記述した カールバウム以来,患者の外見的な行動を通じて疾病像を形成してきたという 経緯があるため,全ての精神病理学者に受け入れられるような緊張病の内包的 定義は存在しない。こんにち,具体的な緊張病症候群としては,緊張病性興奮 (無目的な行動の過多),緊張病性昏迷(行動の低下),カタレプシー(硬直し て動作を示さない),自動症(他者の指示通りに動く),常同症(同じような動 作を繰り返す),模倣動作,深い拒絶症(他者からの依頼を即応的に拒絶する) などが知られているが,多くの場合,次のような運動性興奮が最も特徴的な症 状として現れる:

【21歳男子の症例】 興奮は言語奔流,言語促迫ともいうべき激しい 言語活動と瞬時も静止しない激しい運動を伴う。刺激性は売進し,易怒的 である。全身エネルギーのかたまりという具合いでしゃべり,動き,興奮 する。(中略)食事の途中,急に大声をだし,お膳を放り投げ,ホールの 流しの下をさがし,「包丁はどこだ!包丁はl」と叫び,右手に箸を5, 6本逆手に握り構える。(中略)廊下を一回りして,ホールで土下座して 皆にあやまる。しかし,そのあとも他患を威嚇したりする。

 こうした緊張病性興奮は,特定の目的を達成しようとするものではなく,妄 想様気分の下での非意志的活動と見なされる。また,興奮を示した後に急激に 活動が低下し,ときには全<自発的な動作を示さない昏迷状態に陥ることがあ るが,これは,緊張病の昂進に伴い意志的活動が甚だしく衰弱している状態に おいて,興奮を促す精神的エネルギーが消耗したときの症状と解釈でき,興奮 の場合と同一のバックグラウンドをもつ疾病として統一的に取り扱うことが可 能である。
 ここに述べたような緊張病の症状をもたらす精神医学的な病態としては,次 の2つの場合が考えられる:
(i)意志的な活動を行う自我は確保されているものの,その領域が極端に 収縮して行動を制御できなくなった状態。言わば,体が自分の考えとは異 なった動きをしてしまうのである。
(ii)自我それ自体の制御能力が全般的に低下して,合目的的に思考を構成 するのが困難になった状態。すなわち,何を考えて行動しているのか自分 でもわからなくなっている。

 この2つの病態を区別することは,外見的な観察に基づく所見だけからでは 明らかに困難である。しかも,緊張病様症状が昂進しているときには,患者の 側から自由感が喪失している状況を具体的に訴える例は,(軽度の自己帰属性 の障害が見られる患者が「電波で体が操られている」といった作為体験を述べ るのと異なって)比較的少ない。また,たとえ病状が好転した後で回顧的に発 症中の心理を申告したとしても,(健常者でも自己の心理については作話の傾 向が顕著である以上)そのことばを文字どおりに信じる訳にはいかない。こう した事情から,症状の背後に隠されている緊張病特有の心理現象を診断する手 がかりに乏しいことは否めないだろう。しかし,上記(i)レ′(ii)のいずれのケー スにせよ,緊張病の諸症状が,既に述べた幻聴ないし作為思考の延長線上にあ ることは,充分に推測できる。すなわち,思考の一部から自発性が脱落して自 我の空白部に幻聴が生成される症例において,自発性の阻害が身体運動を制御 する思考領域に拡大すると,(i)で示した病態になることが予想される。―方, 作為思考が生じるバックグラウンドである自発的思考の全般的衰退が進むと, 自我意識が漸進的に後退して(ii)の病態に到ると考えられる。したがって,興 奮や昏迷を含む緊張病は,自発的制御能力の崩壊の過程として,幻聴/作為思 考と同一カテゴリーに属する疾病と解釈することが可能である。
 幻聴/作為思考/緊張病の諸症状は,精神分裂病の代表型であり,特に前二 者は分裂病患者の過半数で観察される。このことは,<自由(感)>の喪失を 伴う思考の自発的制御の衰退が,分裂病概念を構成する基本的要素の1つだと する見解を支持する。それゆえ,意識野を最上位とする階層的情報処理が自由 感をもたらすという前節の仮説を(直接的な検証ではないものの)傍証するた めには,一般に分裂病患者においてこうした情報処理が阻害されていることを 示せぼ良い。次にこの点を論じよう。

分裂病患者における情報処理
 精神分裂病の大きな特徴は,図形バターンの認知や識別などの1次的能力が ほとんど侵されない点にある。実際,軽度の分裂病の場合は,単純な作業に従 事する限りその遂行に著しい困難をきたさず,しばしば周囲の者も――常識 に束縛されない奇妙な思考様式や他人の意図を悪い方へと邪推する性向に違和 感を覚えながらも――精神病と気づかないまま過ごしてしまう。ところが, 複雑な状況に戦略的に対処しなければならない立場に置かれると,分裂病患者 は健常者のような適切な対応策が講じられないばかりか,往々にして激烈な症 状の悪化をきたす。こうした疾病の様式は,分裂病の成因が,1次機能を分担 する脳の特定部位の(炎症などによる)障害ではなく,より高次の情報操作の 段階で生起する機能不全にあることを示唆する。ここでは,<自由感>の喪失 という症状を手がかりに分裂病の成因にさらに踏み込んでみよう。
 IIー1節で述べたように,<自由感>の起源は,意識野に情報の“タネ”が 提示された後,これに基づいて喚起されたさまざまな事項が識闘下で拡張/整 理され,これが思考の展開の方向を定める「目標値」として意識野に送られる という形式に起因している。したがって,<自由感>の喪失が生じているケー スでは,この過程全体の中でどこかが障害されていると想像される。ただし, 脳の1次機能が保たれるという事実は,記憶の探索やバターン認識など個々の 情報を処理する機能部位には病変がないことを示唆する。また,分裂病におい て侵される知的能力が多岐にわたるため,特定の機能部位を結ぶ伝導路が破壊 された結果として発症する離断症候群とも考えにくい。こうしたことから,<自 由感>の喪失をもたらす障害は,情報の流れの最終段階である「目標値」の提 示の過程に限定されているとして良いだろう。実際,フィードフォワードされ るべき「目標値」が速やかに提示されなかったり歪められたりした場合は,分 裂病の主要症状である思考展開の阻害や滅裂な思考が生じるものと予想される。
 この仮説は,少なくとも,既に述べた幻聴や作為思考の症状と矛盾するもの ではない。例えば,意識野にはじめに提示された思考の大綱が,無意識裡に発 展させられて意識の次の段階たるべき「目標値」にまとめられたとしても,こ れが十全な形で意識野に帰還されなければ,結果的に,意識的な思考の方針が 定まらずに制御能力が失われ,断続的な障害に起因する幻聴や全般的な機能不 全による作為思考が発生する可能性が生じる。しかし,こうした状況が直ちに 分裂病の成因であると結論することはできない。なぜなら,同じ障害が,分裂 病では見られない症状を引き起こす可能性が常に存するからである。例えば, 小脳が筋張力の目標値を随伴的に大脳に示した結果である<身体像>は,運動 制御を滑らかにするために重要な役割を果たしているが,その提示が不全に なったときに併発すると予想される運動性障害は,精神分裂病に付随する症状 としては観察されていない。このため,単に「目標値」の提示が阻害されるだ けではなく,これにいくつかの条件が付加されてはじめて分裂病を引き起こす と考えられる。ここで導きの糸となるのが,小脳を介した身体像の提示が,大 脳の連合野ではなく運動野に対してなされるという事実である。この点を重視 すれば,(運動野ではなく)連合野で遂行される機能を中心にして,分裂病の 成因を探索するのが妥当だろう。ただし,連合野は大脳皮質のかなりの部分を 占めるきわめて巨大な組織であり,また大脳の他の部位と神経繊維を介して連 結されているので,解剖学的に責任病巣を特定するのは不可能に近い。したがっ て,ここでは意識的な思考過程における機能的な側面に注意を向け,フィード フォワード制御を実行する上で連合野と直接に結びつく活動は何かを考えるこ とにしよう。そこで思い起こされるのが,<実働記憶>の概念であり,これと 分裂病との関係を探るのが次の課題になる。
 既に述べたように,実働記憶とは,記憶痕跡として固定された長期記憶 やEPSPの増加によって神経興奮が誘起されやすい状態にある短期記憶とは カテゴリーが異なり,精神活動を継続するために現に運営されている状態の記 憶を意味する概念である。ただし,ここでは,これまでの議論をもとにもう少 し範囲を限定して,高度の精神活動に際し,意識野から要請があれば直ちにそ の内容を送り返す準備が整っている記憶を指すことにしよう。この定義によれ ば,実働記憶は,脳の特定部位に局在しているのではなく,既存の神経回路の 中で励起されている特定の興奮バターンと同一視できる。このような興奮バ ターンの発生は,脳の他の部位からの指令によって惹起された意図的過程だと 考えられるので,これを記憶の「実働化」と呼ぶことにしよう。明確な証拠が あるわけではないが,こうした記憶の実働化を指図しているのは,高次の情報 処理を司る(前頭連合野の一部の)前頭前野である蓋然性が高い。なぜなら, この部位こそが,行動に先だって意識を特定の対象に集中させるときに制御信 号を出す指令中枢だからである。
 実働記憶は,意識野にフィードフォワードされるべき「目標値」をさしあたっ て貯えておくときに使われるため,その機能障害は分裂病の諸症状を引き起こ すと予想される。以下では,この予想がかなりの確実度で検証できることを示 していく。

 実働記憶の障害は,意識野へのフィードフォワードに機能不全をもたらすた め,これが幻聴や作為思考,緊張病性興奮などの症状を招来することは当然予 想される。しかし,さらに進んで,精神分裂病の成因がそもそも実働記憶の障 害にあると主張するためには,他の分裂病性の症状もここから導かれることを 示さなければならない。ここでは,特に分裂病において出現頻度の高い症状と して<妄想>を取り上げよう。妄想を引き起こす原因は大きく次の2種類に分 類できる。1つは妄想を生み出す生産的思考の過活動であり,ここから関係念 慮や強迫観念が通常の思考連鎖から逸脱して産出されると考えられる。他は, 正常な思考内容の伝達が阻害されて思考に空白域が生じた結果,非論理的な思 考が流れ込んでくるケースである。興味深いことに,実働記憶の障害は,この いずれの妄想をも生み出す可能性を持っている。仮に,実働記憶を安定に保つ のが困難になり,常に(配偶者への不信や組織からの監視など)特定の主題へ と記憶内容が変質する傾向が見られるとすれば,これは第1の原因による妄想 を生む。また,実働記憶が全体的な機能不全に陥って意識野に適切な情報を送 れなくなると,皮質下からのランダムな信号が意識に入り込んで(一般に本能 的な欲求を反映した)滅裂な思考を生じることになり,第2の原因による妄想 が派生する。現実の分裂病に見られる妄想は,その内容に強い傾向性があるた め,第1のタイプである可能性が高いが,今のところ確証はない。いずれにせ よ,実働記憶の障害は妄想を生み出す性質を持っており,分裂病の最も典型的 な症状の原因を説明し得るものである。
 このほか,分裂病患者が戦略的な思考を苦手とする傾向にあることも,上の 仮説に好都合である。例えば,類似した図形を識別させる課題を与えると,健 常者が弁別をする上でポンイトとなるいくっかの部分――線が交差している かどうか,突起が同じ側についているかなど――を見いだしてこれを重点的 に探索するのに対して,分裂病患者は全体をほぼ均一に見渡すだけで(ある部 分に注目するというような)特定の戦略を採用しようとしない。ところが,こ うした複雑な作業では,(この図形では2つの線が交差しているが対照図形で はそうではなかったというように)現に与えられている知覚よりも高次の性質 に基づいて比較検討しなければならないが,そのためには,単なるパターンの 記憶ではなく基準図形の特定部分を戦略に応じて想起するという能力が要求さ れる。したがって,短期ないし長期記憶の中から必要なものを実働化する能力 に障害のある患者は,こうした作業を遂行するのが困難になると予想される。
 精神分裂病と実働記憶の障害が密接に関係していることは,薬理学や神経科 学の結果からも示唆される。すなわち,抗精神病作用のあるドーバミン受容体 の遮断剤は,主として前頭前野に作用しているという報告があり《ln,この部 位でのドーバミン・ニューロン系の過活動が(少なくともいくつかの症状を引 き起こす)原因と考えられる。ところが,既に述べたように,この部位はまさ に実働記憶の指令部に相当し,その障害が実働記憶の変性をもたらすことは充 分ありそうなことである。また,分裂病患者の脳波を観察したところ,健常者 では与えられた課題を戦略的に解く場合に振幅が大きくなるような変動電位が 見られないことが判明している。したがって,分裂病患者が複雑な作業の遂行 に困難を感じるのは,単に注意が散漫になっているのではなく,特定の戦略を 実行するために必要な能力が神経活動のレベルで衰退していると結論される。
以上の議論は,次のように総括される:
(i)精神分裂病の患者には,幻聴や作為思考,緊張病性の興奮など,<自由 (感)>の喪失と解釈できる症状を呈する者が多数見られる。
(ii)こうした症状は,意識的な思考活動における制御能力の低下という単 一の障害が表面化したものと考えられる。
(iii)一方,自由感が失われる原因を機能面から追求すると,実働記憶の障 害が浮かび上がってくる。
(iv)しかも,記憶を実働化する能力の障害は,分裂病の諸症状(妄想や戦 略的思考力の減退)を統一的に説明できる可能性がある。

こうした議論は多くの派生的な内容を含んでおり,かなり迂遠な経路を辿っ てはいるが,この節の本来の目的である「フィードフォワード的な情報処理形 式の障害(=実働記憶の機能不全による精神分裂病)が,自由感の喪失(=幻 聴,作為思考,および緊張病性興奮)をもたらす」という命題の検証を(確実 ではないまでも)相当の信頼度で実行したとみて良いだろう。

©Nobuo YOSHIDA