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「ハイテク大国」の実態

この講義は、『科学技術白書』など各種資料のコピーを参考にしながら行ったもので、ここでは、話の大筋を簡単に紹介するにとどめる。

○研究・開発の流れ

 産業構造のイノベーションをもたらす研究・開発(R&D;Research and Development)は、次のような過程を辿る。
    研究室→
      研究【基礎研究−応用研究】  《科学的》
      開発【技術開発−製品開発】  《技術的》
         →マーケット
きわめて単純化して言えば、アメリカが、研究室での科学的なインハウス・リサーチから出発する「サイエンス・プッシュ型」の研究・開発を得意とするのに対し、 日本は、マーケット・リサーチに基づいて消費者のニーズに応じた製品開発を行う「マーケット・プル型」の研究・開発に長けている。 サイエンス・プッシュ型の研究・開発が、それまでなかった革新的な製品を生み出すという意味で“what”を志向するのに対し、 マーケット・プル型の研究・開発は、従来の技術を漸進的に改良していく点で、“how”を志向するものと言える。
 日米両国に見られる研究・開発の違いは、半導体産業において如実に見て取ることができる。 アメリカでは、少数の天才的技術者によってのみ開発できる高付加価値のマイクロプロセッサ (インテルのペンティアムなど)が、他の追随を許さない主力製品となっている。 これに対して、日本の代表的な輸出品は、実装密度や不良品の発生率を少しずつ改善することによって 欧米を凌駕する高品質を獲得したDRAMなどのメモリー製品である。
 研究・開発の違いは、担当する組織の体制に根ざすものである。 実際、マイクロプロセッサのアイデアを思いついたのは日本人技術者であり、日本人に独創性が欠落しているという訳ではない。 むしろ、新しいアイデアを得ても、それを製品開発に結びつける体制が整っていないのである。
 70年代から80年代にかけて、日本は、主としてアメリカが発明した製品を改良し、高機能・高品質を売り物にして欧米に積極的に輸出した。 こうして世界的に市場を席巻したものには、半導体メモリー、VTR、FAX、液晶パネルなど、いわゆる「ハイテク製品」が多く、 日本はアメリカを越えた「ハイテク大国」になったというおごりも生まれてきた。
 しかし、基礎研究の実力が伴わない日本の産業は、90年代に入ってアメリカを中心に起きた 情報・通信産業における技術革新の波に、完全に取り残されてしまう。 この現象は、単に、バブル崩壊に端を発する不況が長引き設備投資が低迷した結果だとは考えにくい。 日本の科学・技術が持つ弱点を、はっきりと自覚しなければならない段階に来ている。


○日米の技術格差

 製品開発の段階ではアメリカより優位に立っている日本も、技術革新をもたらす基本的な技術の面では、 明らかにアメリカの後塵を拝している。このことは、次のようなデータによって裏付けられる。


○日本における基礎研究の現状

企業
 日本では、80年代に基礎研究所の設立ブームが起きている。 これは、欧米からの「基礎研究タダ乗り」批判の高まり、知的財産権を巡る国際紛争の頻発、 日本が得意としてきた分野でのNIESの追い上げ−−などが背景にある。
 しかし、シェアを重視するあまり過当競争に陥っている日本の企業にとって、その成果が製品に応用できるかどうかも わからない基礎研究は、いかにも重荷となった。
 IBMは、チューリッヒ研究所に在籍していたベドノルツとミュラー(大学教授職と兼務)にペロブスカイト構造を持つ酸化物の 電気的特性の研究を託し、数年間大した成果を挙げられなかったにもかかわらず研究の打ち切らず、遂に 1986年、今世紀最大の発見の1つと言われる高温超伝導体の発見に導いた。 AT&Tのベル研究所でも、研究者に腰の据わった基礎研究を続けさせ、宇宙の背景輻射の発見などノーベル賞の対象となる成果をいくつも上げている (ただし、ベル研は近年改組され、かつての自由な研究環境はなくなったと言われる)。 こうしたアメリカ流の底力のある基礎研究は、少々景気が良くなった程度の日本で、一朝一夕に実現できるものではない。
 日本の基礎研究所が大した成果を上げられないでいるうちに、バブルが崩壊して、基礎研究ブームは一気に冷え込む。 例えば、アスキーは、ソフト開発に役に立つのではないかという期待から、脳に関する研究を行っていたが、94年頃にはうち切っている。 アスキーの西和彦社長は、「研究もバブルの影響を受けていた」と自戒の念を込めて語っている。

政府
 欧米に比べると、日本の政府は基礎研究の発展にあまり熱心でない。
 基礎研究は、多額の資金と優秀な人材を必要とする割に、短期的な利益に結びつきにくい。 このため、欧米では、政府が積極的に研究の資金援助をしている (ただし、軍事研究がかなりの部分を占めることを忘れてはならない)。 このことは、次のデータからも伺える。
政府が負担する研究費
日本(1993) アメリカ(1993) ドイツ(1991)
企業 1,273億円(1.4%) 52,921億円(25.2%) 5,045億円(10.8%)
大学 13,972  (50.6%) 31,229  (64.6%) 9,926  (92.3%)
国立機関 12,468  (97.5%) 31,042  (100%) 9,972  (95.5%)

(出典:科学技術白書)



大学
 必ずしも製品化を念頭に置かない基礎研究は、大学で行うべきだという主張がある。 実際、アメリカにおいては、大学の研究水準がきわめて高く、90年代の技術革新において重要な役割を果たしている。 ところが、日本の大学は、アメリカに比べて、研究レベルが著しく低いというのが現状である。
 大学の研究の質を表す最も客観的な指標とされるのが、論文の「被引用回数」である。 論文の出版数もある程度は研究のレベルを表すが、あまり学術的な意義の高くない「クズ論文」もカウントされるという欠点がある。 それよりも、他の研究者にどれだけ影響を与えたか、その研究をきっかけとする後続研究がどれほどあるか −−を表す被引用回数の方が、研究の質的評価を行う上で、はるかに公正である (もちろん、仲間内で互いに引用しあう可能性もあるが)。
L6_fig2.gif  Science誌は、1981-91年に世界の主要な学術雑誌に掲載された論文の被引用回数のデータを出している (Science,vol.258(1992)561-)。 それによると、生命科学の分野で最も論文が引用されている大学(出版論文数3000以上)は、 アメリカではMIT、日本では大阪大学だが、肝心の被引用回数は、
   MIT 23.29  阪大 10.02
と、大幅な違いがある(ちなみに、論文数1000以上とすると、生命科学の分野で日本最高の大学は 神戸大学になるが、それでも被引用回数は13.80である)。
 物理科学の分野でも同様の差がある。日米で最高の大学を比べると、
   ハーバード大 15.71  東大 8.22
となって、日本で一流大学といっても、アメリカでは二流の評価しか受けないことがわかる。
 日本の大学は、アメリカに比べてどこが劣っているのだろうか。 光エレクトロニクスの分野で世界最高水準の業績を上げた(しかし、日本の学会ではあまり評価されなかった)西沢潤一が、 日経サイエンス誌の求めに応じて、日本の国立大学に優−良−可−不可の成績を附けるとするとどうなるかを 答えている(日経サイエンス、1991.4.)。 西沢によると、優が附けられるのは、「教授人事の公正さ」だけ。「教授の質」「学生の質」は良。 「(卒業認定などの)学生人事」「研究費の額」「研究の質」「教育の質」は可。 設備に到っては「不可」となっている。
 実際、国立大学の設備の劣悪さはほとんど驚異的であり、そのことを示すエピソードは数知れない (一例を挙げれば、東大工学部のある研究室では、実験室の壁の剥落がひどく精密装置に悪影響を与えるので、 毎朝大学院生がほうきを使って、はがれそうな部分をあらかじめ取り除いておくとか)。
 設備が劣悪なのは、資金不足の直接的な結果である。資金が足りなくなる原因は2つある。 1つは、すでに述べたように政府が予算を渋っていること。 そして、もう1つが、企業との共同研究が不十分であることだ。
 アメリカでは、企業と大学の交流が活発で、週に3日は会社に、2日は大学に出向くといった兼任教授が少なくない。 企業は、自社の研究所では人材や施設の不足などから充分に行えない研究を、適当な対価を支払って大学に委託する。 時には、社員の研究者を大学に派遣して、必要な技術を吸収することもある。 大学側からすると、共同研究によって研究資金が得られるだけでなく、 産業界でしのぎを削っている最先端技術に触れることができるので、研究水準を維持する上でも有効である。
 日本では、大学と企業の共同研究はどれほど行われているのだろうか。 文部省の調べによると、国立大学・国立研究機関と企業の共同研究は、1983年から92年の間に、 件数で56件から1241件と約22倍、金額で6.8億円から49.5億円と約7倍に増えている。 これだけ見ると、日本でも共同研究が盛んに行われ始めているように思われるが、よく考えると、 件数の伸びに金額の伸びが追いついていないことがわかる。 すなわち、1983年には1件あたり1214万円だった研究費が、92年には399万円と激減している。 共同研究が増加したといっても、実は、1件100万円程度の少額研究が増えただけなのだ。 測定装置が1台で何百万円もする現在、100万円程度では大した研究はできない。 実は、企業側もそのことは心得ており、研究成果を期待すると言うよりは、大学とコネを作っておいて、 優秀な学生を確保しようという魂胆がありありとしている。 本格的な研究成果を望む企業は、むしろアメリカの大学に研究を委託しており、アメリカで総額100万ドル以上の 大口研究の出資者のかなりの部分が日本企業だという実態もある。
 良い研究をしないから資金が得られないのか、資金がないから良い研究ができないのか、 鶏と卵の関係とはいえ、日本の大学は、悪循環のドツボにはまって、欧米に大きく水をあけられている。


○技術者の職場環境

 基礎研究だけではなく応用研究や開発部門でも、日本は衰退の危機に瀕している。
 日本における研究・開発の環境が、欧米に比べてやや見劣りすることは、いくつかのデータによって示される。
 例えば、研究者1人あたりの研究費は、日本の2,203万円(1993)に対して、アメリカ2,951万円(1989)、 ドイツ3,416万円(1989)となっており(OECD購買力平価換算)、一般に欧米の方が潤沢である。
 また、研究者の数は、戦後一貫して増え続け、GDPあたりの研究者数では、 日本は世界最高の水準にある。だが、研究補助者の人数は伸び悩み、研究者一人あたりの研究補助者数は、 ドイツでは1.42人であるのに対して、日本では0.48人にすぎない。 日本の研究者は研究・開発に没頭できず、装置の点検・整備、消耗品の買い出し、顧客との交渉、 研究発表の準備や特許申請の書類作成など、全部自分でこなさなければならない。
 日本の技術者(ここでは応用研究から開発に携わる研究者と解釈して良い)の職場環境を示す興味深い アンケート結果がある(日経エレクトロニクス1994.9.5/1995.9.25.)。 日米のエレクトロニクス関係の技術者に、同じ質問をした結果を集計したものだが、 日米で環境の相違が際だっているいくつかのデータを紹介しよう。
技術者は不足している 76.5% 21.0%
技術者は十分に活用されている 16.8% 80.2%
日本よりアメリカの方がやりがいがある 76.9% 70.5%
日本よりアメリカの方が給与が良い 76.7% 75.5%
上司は最新技術を理解している 37.1% 63.6%
設計チームの平均的な構成人数 18.0人 7.8人
 この結果を信用するならば、日本の技術者は、大勢のチームメイトとともに、最新技術を知らない上司にこき使われ、 自分の技術があまり活用されないまま忙しく働かされる。給料は安くやりがいも乏しい、どうにも困った環境に おかれているようだ。 もちろん、アンケート結果は、質問の文言に大きく左右されるので、必ずしも真に受けるべきではないのだが、 それでも、日本の技術に対して、警鐘を鳴らすものであることは間違いないだろう。


©Nobuo YOSHIDA