近代技術主義の夢と現実

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概要

 こんにちでは、人々の間に環境についての危機意識が芽生え、新素 材の利用や大規模開発の前にリスク・アセスメント(危険性の評価) を行うべきだという合意が形成されている。しかし、こうした考え方 は、1960年代以降になって漸く登場したものである。前世紀から今世 紀中葉にかけて、経済活動の拡大に促される形で急激に実現された諸 産業の技術化は、長期的な安全性のチェックや環境への影響について の評価を欠いたまま、時代の要請に従って推進されてきたものであ る。このため、当初は科学技術の偉大な勝利と思われながら、後にな って、さまざまな弊害が指摘されるに至ったケースが多々ある。この 講義では、実例に則して、近代技術主義の夢がどのように破れていっ たかを見ていきたい。
  1. 夢の物質を目指して
     腐食しない可塑性素材(プラスチック)や熱分解しにくい有機溶媒(PCB)など、今世紀初頭の化学研究は、理想的と思える新素材の開発に成功した。しかし、技術的な観点から見ると好ましい性質も、自然界においては、分解されないまま蓄積され環境汚染を引き起こす原因となる。こうした物質は、どのようにして開発され、産業の中で利用されたか、また、何がきっかけとなって危険性が認識されるに至ったのかを考える。
    §1.PCBの光と闇(PCBの発明、産業への応用、カネミ油症事件、遺伝毒性)
    §2.無毒なればこそ(プラスチック、アスベスト、フロン、二酸化炭素)
    §3.環境リスクという視点(環境思想の成立、科学的リスク評価、電磁汚染)
  2. 平和利用の名の下に−−核エネルギー
     原子核研究の歴史は、「自然界の謎の解明」を目指す趣味的な学問としての古典科学が、経済的/政治的な課題の解決を目的とする技術主義に蚕食されていく過程と合致する。政府主導で科学者が動員されたマンハッタン計画では、原爆開発という政治目的がすべてに優先され、一部の科学者が懸念していた死の灰による環境汚染については、故意に過小評価されていた。終戦後、アメリカ政府は、核エネルギーの平和利用として原子力発電の実用化を進めるが、そこには、明確な政治的意図が認められる。
    §1.研究室からマーケットへ(偉人・キュリー夫人、ラジウムブーム、科学の変質)
    §2.マンハッタン計画(研究への政治の介入、軍産官学複合体、軍事研究の効率)
    §3.Too Cheap To Meter(原子力発電の戦略的位置づけ、経済性と安全性の評価)
  3. 細菌との闘いの果て
     多くの病気が微生物に起因するという発見は、近代医学の輝かしい成果である。この知見に基づいて、細菌を殺傷する能力を持った抗生物質を発見/合成し、感染症を撲滅することが、ワクチンの開発とともに医学の一つの目標となった。現代に至るまでの間に、この目標は、かなりの程度まで達成され、肺炎や結核などの多くの感染症が劇的に減少している。しかし、こうした成功に浮かれている陰で、人類を取り巻く微生物環境は、大きく変化していった。
    §1.病原体概念の成立(“病原”という発想、微生物と人類)
    §2.細菌は復讐する(抗生物質の開発と耐性菌の発生、微生物環境の変遷)
  4. 豊かな農業とは
     農業の近代化は、化学肥料と農薬を大量使用することによって、金額に換算した投入資本に対する生産高の値を大幅に向上させた。資本主義経済の観点からすれば、技術が生産性を高めた成功例と言えよう。しかし、エネルギー収支を計算すると、しばしば、投入エネルギーが利得エネルギーを上回る“赤字”状態に陥っていることがわかる。さらに、環境資源の増減をバランスシートに記入する環境経済学の立場に立つと、事態はいっそう深刻さを増す。農業の近代化は、人類に何をもたらしたのか。
    §1.資本主義の陥穽(高生産性を示す焼き畑農法、収量逓減の法則)
    §2.技術改良の果てに(農薬使用の功罪、遺伝子資源としての農作物)
    §3.豊かな森林と不毛な農地(森林伐採の経済評価、コスタリカの悲劇)


©Nobuo YOSHIDA