前ページへ 次ページへ 概要へ 表紙へ


第2章.宇宙原理

〜アインシュタインのコペルニクス的転回〜



アインシュタインの重力理論

 特殊相対論の成果の一つに、ローレンツ力の定式化がある。磁場中を荷電粒子が運動するとき、この粒子は、磁場と速度にともに直交する向きに力を受けることが実験的に示されていたが、この力を電磁気学の中でどのように位置づけるかについては、意見が分かれていた。ところが、相対論は、荷電粒子が静止している座標系で電場から受けている力(クーロン力)を相対論に従って粒子が運動している系に変換すると、電場の一部が磁場に置き換わるのに伴って、クーロン力の一部がローレンツ力に変わることを明らかにした。このように、電磁気的な力の本性と運動の間に密接な関係があることは、アインシュタインに新しい発想をもたらすことになる。
 その本性が運動と結びついているらしいのが、特殊相対論の枠組みには収められなかった重力である。1907年頃、アインシュタインは、子供の頃に聞いた話−−屋根から足を滑らせた人が落下中に重さを感じなかったという−−について、思いを巡らせていた。ニュートンの運動方程式によれば、落下している物体に結びつけられた加速度座標系では、下向きの重力mGgの他に、慣性力magが上向きに作用する。ただし、mGは重力の作用を受ける「重力質量」であり、maは運動方程式f=maaに現れる「慣性質量」である。一般に、慣性力とは、加速度aで運動する座標系で-maaという作用を及ぼすもので、列車が急停車したときに乗客を前に引き倒す力(このほか、遠心力やコリオリの力も慣性力である)だが、ニュートン力学では、これは、運動方程式のmaaという項を力の側に移項しただけの「見かけの力」にすぎない。また、重力質量と慣性質量が一致するという論拠もない。もし、「落下中に重さがなくなる」のが常に真であるならば、ニュートン力学を越えた何らかの原理によって、重力質量と慣性質量が等しくなることが要請されているはずである。この原理は、後に「等価原理」と呼ばれた。
 等価原理の一つの(近似的な)定式化は、加速度aで運動する座標系には、重力加速度-aの重力場が生じると見なすことである。特に、外部から重力の作用だけを受けて運動する物体にとっては、外部の重力と運動系が生み出す重力が打ち消しあって無重力状態になる。このことは、宇宙時代を迎えた現代においては、現実的な出来事として理解できる。こんにちでは、スペースシャトルによって地球の周回軌道上で無重力を利用したさまざまな実験が繰り返し行われており、近い将来、無重力空間での合金や化合物の生成が実用化されると期待されている。ところで、スペースシャトルはロケットを噴射させて地球の引力圏を脱し、はるか彼方の宇宙空間に漂流している訳ではなく、地球のすぐそば(高度250〜300km、直径30cmの地球儀の模型で見ると表面から6〜7mmのところ)を回っているのに、なぜ無重力になれるのか。ニュートン力学では、地球からの重力と「見かけの力」である遠心力が(不思議なことに)釣り合っているとして説明されるのだが、等価原理によれば、これは必然的な帰結なのである。もし、スペースシャトルに窓がなく、乗組員が外部をいっさい見ることができないならば、彼らは、自分たちが地球の周りを回っているのか、天体から離れて大宇宙の中を漂流しているのか、はたまた(空気の抵抗が無視できるとして)大地めがけてまっしぐらに落下しているのか、区別する術はないだろう。
 等価原理に思い至ったものの、アインシュタインは、その後しばらく理論的な展開を成し遂げられず、ミクロの現象へ関心を移していった。彼が、重力と運動の関係を再び真剣に考えるようになるのは、1911年になってからである。
 特殊相対論によれば、運動は速度に応じて時間や空間の伸び縮みを引き起こす(ローレンツ短縮や時計の遅れなど)。ところで、加速度運動は、この速度が刻々と変化するような運動である。とすれば、加速度系では、時間や空間もダイナミックに変動することが予想される。加速度系で生じる重力も、この時空のダイナミックな変動に起因するのではないのか。このような発想から、アインシュタインは、加速度系における時間の伸縮(それに伴う光速度の変化)と重力ポテンシャルを結びつける式を考案して発表している。しかし、空間の伸縮については考慮しておらず、理論としての一貫性に欠けていた。
 決定的なブレークスルーは、1914年、旧友の数学者グロスマンに相談したことで訪れる。時空の伸縮を扱う数学的理論がないかと尋ねられたグロスマンは、19世紀の天才数学者リーマンによって完成されていた非ユークリッド幾何学(リーマン幾何学)をアインシュタインに紹介する。これまで、物理学に利用されることのなかった未知の幾何学を勉強し、その重要性を認識したアインシュタインは、グロスマンと共著で1914年に新しい学説を発表する。これが、物理学史上、最も崇高な理論と讃えられる一般相対論である。
 一般相対論は、数学的にきわめて難解で初学者を嘆かせるものだが、ここでは、その要諦だけをごく単純化して紹介したい。
 まず、重力場は、これまでの重力ポテンシャルφから、リーマン幾何学の計量
  gμν(t,x,y,z)
に置き換えられる。ただし、μ,νは0,1,2,3のいずれかを表し、0は時間軸、1,2,3はそれぞれx,y,z軸を意味する。gの各成分は、きわめて単純化して表現すれば次のような物理的意味を持つ。
  g11 :x軸方向の空間の伸縮を表す(伸縮がないときは+1)
  g22, g33 も同様
  g00 :時間の伸縮を表す(伸縮がないときは-1)
  g12(=g21):x、y軸間のゆがみを表す( ゆがみがないときは0)
  g23,g31 も同様
  g01(=g10):時間軸とx軸の間のゆがみを表す
  g02,g03 も同様
 重力場は次のアインシュタイン方程式を満たす:
   Gμν = κTμν
ここで、、アインシュタイン・テンソルGμνはgμνや微分や積などから作られ、時空の曲率を表す。また、エネルギー運動量テンソルTμν は、物質や電磁場によるエネルギー密度等を表す。この方程式は、質量などのエネルギーが存在すると、その周辺で時空が歪むことを意味する。
 一般相対論は、重力の作用について、ニュートン理論とは全く異なる発想に基づいて(ほぼ)同じ結果を導き出す。惑星運動を例に取ろう。ニュートンによれば、太陽から惑星へと遠隔作用である重力が働き、これによって惑星は近似的にケプラーの楕円軌道を描くとされる。これに対して、アインシュタインの理論では、太陽のような巨大な質量を持つ天体が周辺の時空を歪めることが楕円運動の原因となっている。すなわち、空間が平坦ならばまっすぐ進めるはずの物体が、空間が歪んでいるために進行方向が曲げられてしまい、結果的に太陽の周りを回る楕円を描くのである。
fig7
 一般相対論は、第1近似でニュートン力学と等しい重力理論を与えるが、計算の精度を上げると、従来の理論にはなかった新しい予測を行うようになる。そうした現象は、すでにかなりの数が観測によって確認されており、決定的ではないものの、一般相対論はきわめて信憑性の高い理論であることが多くの学者によって認められている。具体的には、次のような検証データがある:
fig8
光の屈曲:天体による巨大な重力場は、空間を歪めることによって光の進路も曲げてしまう。
アインシュタインは、太陽の縁で見える恒星の見かけの位置が、太陽がないときに比べて角度で1.7秒ずれることを予言した。このことは、1919年の日食の際に、エディントンによって確認された。最近では、銀河団によって遠方の天体がリング状に拡がって見えるアインシュタイン・リングも観測されている(下図)。
fig9 fig10
天体軌道の変化:一般相対論は、ニュートン力学からは導けないような天体軌道の変化をもたらす。アインシュタインによって計算されたのは、水星の近日点の移動である。水星は、ほぼ楕円軌道を描くが、さまざまな摂動によってその長軸方向が軌道面内を回転していくことが知られている。ニュートン力学に基づいて1水星年における回転角が計算されたが、観測データとは角度で1.38秒のずれが生じた。アインシュタインの計算は、このずれを一般相対論から導くものであり、彼自身に理論の正しさを確信させるきっかけになったと言われている。最近では、パルサー(強度が変化する光を発する天体)の周期の変化も一般相対論をもとに計算され、理論と実験が高い精度で一致することが確かめられている。
重力波の発生:一般相対論によれば、時空の歪みが波として伝播することができる。これが重力波と呼ばれる現象であり、その観測は、一般相対論の確証となるものだが、多くの学者の努力にもかかわらず、いまだに検出されていない。これは、重力波によって生じる物体の伸縮の振幅がきわめて小さいためだが、現在、差し渡し3kmにも及ぶ巨大な干渉計を使ってこれを観測しようという計画が進められている。

20世紀以前の宇宙像

 一般相対論を数学的に完璧なものに仕上げた1916年からしばらくの間、アインシュタインは、この理論を宇宙全体に適用することに興味を抱く。この研究は、一般相対論を理解できた数少ない天文学者の一人であるド・ジッターとの論争を経て、人類の宇宙観を一変する偉大な発見をもたらすが、同時に、アインシュタインをして「わが生涯で最大のヘマ」と言わしめるミスをも犯すことになる。
 アインシュタインの発想の独自性を理解するために、まず、それまで宇宙について人類がどのようなイメージを抱いていたかを、科学史的な正確さを問わずに簡単に見ていくことにしよう。
 論点を明確にするために、(1)宇宙に中心はあるか;(2)宇宙に果てはあるか;(3)宇宙の物質の総量は有限か−−という基本的な問いを設定したい。
 宇宙についてのイメージは、「中心−周辺」という階層的な構造を認めるか否かによって大きく2つに分けられる。歴史的な宇宙観の多くは、この階層性を認めていた。例えば、古代ギリシャの哲学者アリストテレス(BC384〜BC322)は、地球を中心として、その周りを月や太陽、惑星が回る宇宙像を『天体論』で語っている(古代ギリシャの学者は、緯度による太陽高度の違いなどから、大地が球形をなしていることを知っていた)。さらに、「物体に境界のないものはない」という信念から、この宇宙にも境界があると考え、恒星天(その上に恒星を載せて回転する天球)を宇宙の果てと見なしていた。アリストテレスが宇宙が有界だと主張したもう1つの根拠は、当時は多くの学者が信じていた(ピタゴラス派に一部には例外がある)天動説である。太陽や月と共に恒星も地球の周りを1日に1回転するのだから、宇宙が無限に拡がっているとすると、無限の彼方では無限のスピードで回転しなければならないが、これは不合理である。しがたって、宇宙は有界である−−というのがアリストテレスの結論である。それでは、恒星天の「外側」はどうなっているのか。いわく、「天の外には物体もなく、場所も時間もない」「充実も空虚もない」と。それでは、この宇宙はどこにあるのかと問われれば、「それ自身の内にある」という答えが返ってくる。
 アリストテレスの主張は、一見してそう思えるほど荒唐無稽という訳ではない。天体が宇宙の中心部に集まり、周辺にはブラックホールならぬブラックウォールとでも呼ぶべき特異点の面集合がある有限の宇宙を考えることが、原理的に許されないとは言えないからである。「中心−周辺」の階層性を認め、かつ、宇宙は有界で物質量も有限だとする1つの見解として、心にとどめておいて頂きたい。
 コペルニクス以降の地動説の観点に立つと、回転しているのは地球であって宇宙ではないことから、宇宙の無限性についての新たな思想が生まれてくる。ただし、多くの学者は、無限を論じることの困難性を理由に明確な宇宙像を提出してはいない。コペルニクス(1473〜1543)の階層的な宇宙観によれば、太陽を中心として、その周りを公転する水星から土星までの(地球を含む)6つの惑星があり、さらに、そこからはるかに隔たった地点に、恒星を載せた天球が静止しているとされる。恒星天の外側がどうなっているかについては明言を避けているが、空間そのものの存在を否定する記述がないことから、「何もない」無限の空虚が拡がっていると考えていたと推測される。コペルニクス派に属するディックスは、空間の無限の拡がりを認めた上で、恒星も天球上に束縛されずに宇宙空間内部に「無数に」存在するとしているが、これが単なる修辞ではなく数学的な無限の意味かどうかは定かでない(おそらく違うだろう)。
 コペルニクス以降も、太陽を中心とし周辺部に恒星が位置する階層的な宇宙観を主張した学者は多いが、空間の拡がりは有限か無限かという問題に解答は出せないでいた。例えば、ケプラーは、「恒星の区域は上方では無限ではないのか。これについては、天文学はいかなる判定も下さない。そういう高みには視覚が及ばないからだ。最小の星でも、見られる限りの星に関しては、空間は有限である−−天文学が教えるのはこれだけだ」と述べて、議論を回避している。ガリレオも、恒星の存在するのは2つの天球にはさまれた有限な領域に限られているのではないかと推測しながらも、その外側での空間の拡がりに関しては未解決の問題として自身の考えを示していない。また、デカルトも、「その先は宇宙ではない」ような限界を想定することには批判的だったが、だからと言って空間の拡がりの無限性を認めた訳ではない。
 階層的宇宙観の持ち主が境界はどうなっているかを問うて行き詰まったのとは対照的に、非階層的な均質宇宙のアイデアを提唱した少数の学者は、この問題を原理的に解消してしまう。例えば、(コペルニクス以前の宗教家である)ニコラス・クザーヌスは、「地が世界の中心でないように諸恒星の球は世界の周ではない」と述べて、境界が存在しない無際限の宇宙を提示している。この考えを発展させて、無限の拡がりを持つ宇宙空間に無数の天体と人間が存在するという壮大な宇宙観を展開したのが、異端の天才としてヨーロッパ思想史上に名高いジョルダノ・ブルーノ(1548〜1600)である。「ただ1つの普遍的場所、果てしない空間があり、そこには我々が生まれ育っているこの地球同様の天体が無限に存在している」と主張する彼は、まぎれもなく現代的な宇宙観の先駆者である。しかし、こうした斬新な思想は時代に受け入れられることなく、異端者として焚刑に処せられ悲劇的な最期を遂げた。
 以上に述べてきたような宇宙像を(いささか乱暴なやり方ではあるが)表にまとめると、次のようになる。
アリストテレス コペルニクス(派) ブルーノ
境界 あり(恒星天) なし なし
中心 あり(地球) あり(太陽) なし
物質量 有限 有限(?) 無限
 宇宙の構造について思想家や科学者の考えが不統一になった直接の原因は、観測データが充分に得られていないためだが、これに哲学的な裏付けを与えたのが、18世紀の哲学者イマヌエル・カントである。彼は、主著『純粋理性批判』の中で、空間や時間に関する人間の思考が、先験的な悟性概念をもとに組み立てられていることを指摘し、「世界の量に関する概念は、…(経験的)背進よりも前にいわば全体的直観のようなものにおいて与えられることはない」と述べた。仮に、経験によらずに理性的に宇宙の全体像を思い描こうとしても、どうしても整合的なイメージを作り上げることはできない。「宇宙には果てがある」と考えても「果てがない」と考えても矛盾に陥ってしまう(純粋理性のアンチノミー)。簡単に言ってしまえば、宇宙全体について、人間理性は答えを出すことができないというのが、カントの結論である。アインシュタインの宇宙模型は、カントが哲学的な思索を通じて見いだした理性の限界を、抽象数学のテクニックによって超克するものである。

アインシュタインの宇宙模型

 一般相対論に基づいて宇宙論的な考察を行っていたアインシュタインは、1916年の終わり頃に、ある種のコペルニクス的な転回を遂げ、一挙に現代的な宇宙模型を提出するに到る。この過程は、1917年の有名な論文で印象的に語られているので、ここでは、論文の抄訳を引用しながらコメントを付け加えていくことによって、アインシュタインがどのように思索を深めていったかを明らかにしていきたい。

一般相対性理論についての宇宙論的考察

 ポアッソンの方程式
  Δφ=4πKρ[φ:重力ポテンシャル、ρ:物質密度、K:比例係数]
と質点の運動方程式を一緒にしてもなお、これらがニュートンの遠隔作用論と同等でないことはよく知られている。すなわち、空間的に無限の遠方でポテンシャルφがある1つの決まった極限値に近づくという境界条件を付け加えなければならない。一般相対性理論による重力理論でも、このことは同様である。すなわち、この世界が空間的に無限の遠方にまで広がっていると考えるならば、重力場の微分方程式に対し、さらに空間的な無限遠における境界条件を付け加える必要がある。
 惑星軌道の問題(【注】水星の近日点移動の問題を含む)を扱った際に、私はこの境界条件を次のような仮定の形で与えた。すなわち、重力場gμνのすべての成分が空間的な無限遠で一定値になるように座標系を選ぶことが可能だという仮定である。しかし、もし太陽系よりももっと大きな宇宙の部分を考えに入れるとき、なお同じ境界条件を設けることができるかどうかは、先験的には明らかでない。そこでこれから、この原理的に重要な問題について、私の考えてきたことを述べよう。
§1.ニュートンの理論(略)
【要約】ニュートンの重力理論に基づく宇宙は、統計力学的に見て安定でない。
 【コメント】天体の運動を気体分子運動論的に考えると、宇宙の中心付近に集まっていた天体は、時間が経つにつれて宇宙の周辺へとはじき出されてしまい、銀河系のようなまとまった集団を形成できないという主張。天体同士の合体を考慮していないので、この結論は必ずしも正当ではない。

§2.一般相対性理論による境界条件
 これから私は、自分の歩んできた、いくぶん遠回りで困難な道に読者を案内しよう。…
 【コメント】ここからしばらくの間、アインシュタインは、自分がどのような誤りを犯したかを説明している。こうした議論の進め方は、他の論文ではまず見受けられない。
fig11
 空間的無限遠に関する境界条件について私が最近まで持っていた意見は、次のような考えに基づいている。すなわち、相対性の原理に徹するならば、物体同士の相互的な慣性は存在するが、物体が1個も存在しない空の空間に対する物体の慣性は存在し得ないという考えである。したがって、もし1つの物体を宇宙内にある他のすべての物体から空間的に充分に遠ざけてしまえば、この1個の物体の慣性は0 にならなければならない。そこで、このような条件を数学的に書き表すことを試みよう。
 【コメント】当時は、太陽系が銀河系と呼ばれる天体集団に属していることは知られていたが、われわれの住む銀河系(the Gallaxy;天の川銀河)以外にも銀河系たち(gallaxies)が存在しているかどうかは明らかではなかった(天の川銀河以外に銀河系が存在することは、1910年代には多くの天文学者に信じられていたが、確実な観測データが得られるのは1923年になってからである)。アインシュタインの当初のモデルは、宇宙の中心に天の川銀河を置き、そこから無限に遠ざかると物質の慣性質量が零になるはずだと(かなり無理のある)立論を行った。こうした発想の背後にはマッハの哲学思想があると言われるが、確かではない。
(3段落省略)【要約】空間と時間の伸長を与える量を、それぞれA,Bとする。無限遠でA→0 ,B→∞となるとき、慣性質量は無限遠で0 となり、同時に、宇宙が不安定になることはなくなる。
 【コメント】この辺りは一般相対論に通じていないと理解しづらいが、直観的に言えば、空間が押しつぶされたようになって一種の重力バリアになり、中心から飛び出して来た物体をはじき返してしまうというものである。
 そこで、数学者のグロンマー(J.Grommer)の助けを借りて、球対称(【注】中心からどの方向を見ても同じに見える)、静的(【注】時間とともに変化しない)な重力場で、しかも無限遠点では上に述べたような振る舞いをする重力場を研究した。…その結果、先に述べたような境界条件は、恒星系に対しては起こり得ないことが示された。この結論は、最近、天文学者のド・ジッター(DeSitter)によっても、同様に示された。…
 【コメント】ここで議論されているのは、無限遠でどのように振舞うものを方程式の解と考えるかという問題であり、アインシュタインが採用しようとしたのは、現在では、「無限遠での振舞いが悪い」として捨てられるタイプの解である。
 (1段落省略)
 以上のような失敗を踏まえた上で考えなければならないのは、次の2つの可能性である。
 【コメント】なぜ2つなのかは明らかでない。2つしか思いつかなかったということか。
 a)惑星の運動の場合と同様に、座標系を適当に選べば、空間的な無限遠でgμν は、
-1 0 0 0
0 +1 0 0
0 0 +1 0
0 0 0 +1
という値に近づくものと要求する。
 【コメント】gμνの定義を考えればわかるように、時間・空間の伸び縮みの値が1、すなわち伸縮がなく、また、空間軸同士および時間軸と空間軸の間のゆがみもないことになる(原文では符号が逆だが現代風に変えてある)。この空間部分はユークリッド空間に相当し、銀河系から遠く離れると、何もない無限の空虚が拡がることを意味する。
 b)空間的無限遠において、前述のA→0 ,B→∞のように一般的に成り立つことを要請する条件は設定しない。そのかわりに、問題としている領域の空間的境界において、それぞれのケースに応じた値がgμνに与えられるものとする。このことは、従来、時間的初期条件を問題ごとに特別に与えてきたのと同じ考え方である。
 【コメント】銀河系から遠く隔たった空間がどうなっているかについて一般的な条件はなく、偶然に委ねられているというもの。仮に宇宙が多数存在するならば、宇宙ごとに無限遠の形が異なっていることになる。
 このb)の考え方は、問題の解答になっていない。むしろ解答を求めることを放棄する。この考え方は論破することのできない一つの見解であって、現にド・ジッターはこの立場を採用している。しかし、このような原理的問題において、b)のように徹底的に問題の解答を放棄してしまうことは私にはできない。満足すべき見解を得ようとする努力がすべて無駄であると証明されたときに、はじめて上のような立場に立つことを私は決心するだろう。
 【コメント】この主張はあまり科学的ではない。アインシュタインの信仰告白に近いものがある。
 一方、可能性a)は、いろいろな方面から見て不満足なものである。まず第一に、このような境界条件は、基準となる座標系について、特別な選択法を決めることになる。このようなことは、相対性原理の精神に反するものである。第二に、この見解に従えば、慣性の相対性の要求を放棄することになる。…最後に、ニュートン理論に対して述べられたような統計力学的な不安定さが、このケースに対しても存在する。 fig12
 以上に述べたように、空間的無限遠に対する境界条件を設定することは、私にはなかなかできなかった。ところが、b)のようにこの問題を放棄する必要のないある可能性が残されていたのである。それは、この宇宙を空間的に閉じた1つの連続体と見なすことができるならば、無限遠に対する境界条件は一般に不要になるということである。…
 【コメント】この短い段落が、アインシュタインのコペルニクス的転回について語るものである。「宇宙の中心に存在する銀河系から遠ざかっていくと宇宙はどうなるか」という発想を改め、銀河系から離れるようにして右の方に進んでいくと、いつのまにか左の方から銀河系に戻ってくると考えた。もしかしたら、コロンブス時代における地球についての発想の転換(ヨーロッパから西の方に進んでいくと、世界の果てまで来て地獄に転落してしまう…のではなく、東の方からヨーロッパに戻ってくる)を思い出していたのかもしれない。

§3.物質が一様に分布している閉じた宇宙(略)
 【要約】時空や物質分布の局所的変化が小さいとして、全空間で一定の密度と一定の曲率(【注】空間の曲がり方の程度)を持つ静的な宇宙を仮定し、重力場の形を計算する。こうした空間は、閉じた球面状の空間となる。
 【コメント】「全空間で一定の密度と一定の曲率を持つ」と仮定することで実質的に宇宙原理(後述)を導入している。なお、ここでアインシュタインが採用した計算法は、宇宙は静的な球面状空間だと天下り的に仮定してgμνを求めるというもので、「はじめに方程式ありき」という多くの物理学者が採用する手法とは逆のものである。宇宙が静的だと仮定したのは、宇宙は永遠に存在するはずだという信念からではなく、そうしなければ計算が複雑になりすぎて実行困難になってしまうためだろう。

§4.重力場の方程式に追加されるべき付加項(略)
 【要約】§3で求めた重力場は、以前に提案した重力方程式(【注】アインシュタイン方程式Gμν=κTμν)を満たさないので、これを修正して、−λgμνという項(【注】いわゆる宇宙項で、宇宙全体にわずかな反重力の効果がいきわたることを意味する)を付加する必要がある。
 【コメント】アインシュタインは、静的な球面状宇宙のgμνが重力方程式を満たしていると期待したようだが、これをアインシュタイン・テンソルGμνに代入し、物質密度一定と仮定することで求められるエネルギー運動量テンソルTμνと比較したところ、−λgμνというズレが出てしまった。ここでアインシュタインは、球面状空間のアイデアが間違っているはずがないという信念があったので、重力方程式に宇宙項を付け加えるという修正を行ったのである。アインシュタインは、後にこのことを「わが生涯最大のヘマ」と呼んだが、現在でもなお、宇宙項が存在するかどうかは宇宙論の最大の論点の1つである。

§5.場の方程式の計算およびその結果
(3段落省略)【要約】新しく導入した定数λは、宇宙の平均密度ρや球面状宇宙の“半径”Rと、次の関係式で結ばれる。
  λ=(1/2)κρ=1/R (【注】κ:重力定数)
また、宇宙の全質量Mは有限となる。
 【コメント】等号が2つあるということは、数学で謂うところの「過剰決定」の状態であり、物理定数の間に不可解な微調整が行われていることを意味する。この物理的な意味は後述する。
 現実の世界が上記の考えに合致するものならば、その理論的解釈は次のようになる。すなわち、空間の曲率は物質の分布に応じて時間的にも空間的にも変化し得るが、大局的に見れば、これは近似的に1つの球面状空間と見なすことができる。いずれにしても、このような考え方は、論理的に矛盾を持たず、また、一般相対性理論の立場から見て、最も手近なものである。こんにちの天文学的な知識からして、このような考え方が根拠のあるものかどうかは、ここでは検討しない。…
 【コメント】引用した部分の最後の1文は、アインシュタインの科学者としての姿勢を考える上で、きわめて興味深いものである。

S.B.Preuss.Akad.Wiss.(1917)pp.142〜152


 この論文で述べられている2つの宇宙模型の特徴は、次のようにまとめられる。
アインシュタイン(1) アインシュタイン(2)
境界 実質的にあり なし
中心 あり(銀河系) なし
物質量 有限 有限

 この論文で登場する「球面状宇宙」という概念は、高等数学を勉強していない者にはきわめて難解だろう。球面という概念は、数学的には、1点から一定距離にある点の集合を意味し、空間の次元によらずに定義できる。例えば、(x,y)という2次元平面内の球面を数式で表せば、
  X2+y2=r2
となるが、これは、円周という線状の1次元図形を表している(2次元の球とは円である)。(x,y,z)という3次元空間での球面は、
  X2+y2+z2=r2
という式で表される面であり、緯度と経度という2つのパラメータで位置が完全に指定されることから明らかなように、2次元の図形である。この考えを拡張すれば、(x,y,z,w)という4次元空間での球面:
  x2+y2+z2+w2=r2
が定義できる。2次元空間内の球面が1次元図形、3次元空間内の球面が2次元図形だったのと同じように、この4次元空間内の球面は、3つの座標で位置が指定される3次元図形である。アインシュタインは、こうした4次元球の3次元球面を、縦・横・高さを持つ3次元の宇宙空間に該当すると考えたのである。ただし、その表面が「この宇宙」であるような4次元球というのはあくまで仮想的なものであって、現実に存在する訳ではない。
 球面には中心と呼べる位置がない(地球上には地理的に世界の中心となるような国や都市は存在しない)のだから、銀河系が宇宙の中心に位置するとは考えられない。こうして、アインシュタインは、結果的に、宇宙全体がほぼ均質だという非階層的な宇宙像を構築することになったのである。宇宙は均質だという仮定は「宇宙原理」と呼ばれており、現在では、観測される範囲内(天体に関しては数億光年程度、電磁波に関しては数十億光年程度)でほぼ確認されている。この大宇宙には、銀河系と同じような星の集まりが観測可能な範囲だけで何億もあり、そこには、おそらく多くの知的生命体が存在している。そう考えると、ほとんど眩暈にも似た畏怖の念を禁じ得ない。もちろん、1917年当時はそうした観測データはほとんどなく、純粋な科学的思考によってこうした「宇宙原理」のアイデアに到達し得たアインシュタインの直感力は、驚くべきものである。
fig13
 ただし、アインシュタインがいくつかの誤りを犯したことも、見落とすわけにはいかない。彼は、静的な球面状空間はもともとの重力方程式を満たさないことから、方程式を変更して宇宙項を付け加えたが、これは、宇宙全体がきわめて不自然なバランスをとっていることを意味する。もし宇宙項がないとすると、球面状宇宙は、天体同士の間に作用する重力によって空間全体が収縮し、最終的には1点にまでつぶれてしまうことが知られている。これに対し、宇宙項によって空間に反重力効果が生じると、これが宇宙全体を膨張させるように作用する。アインシュタインの議論では、この重力による収縮と宇宙項による膨張が、なぜか絶妙なバランスをとっていることになっている。これはあたかもピラミッドをひっくり返し尖端を下にして釣り合わせるようなもので、現実には起こり得ないような状況である。
 さらに、アインシュタインは、宇宙全体は有限の大きさと有限の質量を持っていると考えていたが、この前提の妥当性も疑ってかかることができる。
 こうした疑問点に対する理論的な展開は、1920年代に驚くべき形で行われることになる。すなわち、動的宇宙観の復活である。


【参考文献】
アインシュタインの重力理論に関しては、既に書名を挙げておいた相対論の入門書のほか、次のようなものがあります。
  『時間・空間・重力』(ウィーラー著、東京化学同人)
  『重力』(V.ナーリカー著、日経サイエンス)
  『ブラックホールと時空の歪み』(K.S.ソーン著、白揚社)
クザーヌスからニュートンまでのヨーロッパ近代の宇宙観は、
  『コスモスの崩壊』(A.コイレ著、白水社)
に詳しく解説されています。


©Nobuo YOSHIDA