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§6.IT革命の今後


 現在の日本は、1990年代初頭から続く不況に苦しめられている。政府はIT(情報技術)革命を推進することによって、景気浮揚を図りたいと画策しているようだが、果たして、ITの導入は経済活性化につながるのか、また、アメリカや北欧に比べて大幅出遅れたこの分野で日本の巻き返しは可能かを、考えてみたい。


産業界の構造変動


 コンピュータやインターネットの普及によるIT革命は、産業界に大きな構造変動をもたらすと考えられる。ここでは、2つの点を取り上げよう。


ITと経済活性化

 ITの導入は、労働生産性を高め流通を効率化することにより、経済を活性化するという見方がある。1980年代に半導体や自動車産業を中心に深刻な不況に陥り、もはや「アメリカ病」に侵された斜陽の大国だと揶揄されたアメリカは、90年代に入ると急速に力を取り戻し、90年代後半は異様な好景気に国民全体が浮かれることになる。こうした復活劇を支えたのが、80年代から進められていたIT分野への積極的な投資であり、実質的な労働生産性を高めることによって「インフレなき経済成長」を実現したと主張する経済学者もいる。日本もアメリカを見習って、遅ればせながらIT投資を推進して経済再建を達成しようという声が政界・財界から聞こえてくるが、果たしてそううまくいくだろうか。

 ITがアメリカ経済にプラスしたという主張は、次のようなデータに裏付けられている。

1990-97年における設備投資に占めるIT投資の割合(米商務省1999)
米40%  日25%
アメリカにおける労働生産性の年平均上昇率(同上)
ITを利用する産業  +2.4%
あまり利用しない産業 +1.1%
アメリカにおける在庫率の変化(2000年8月29日付日経新聞)
全産業の在庫率は1998-2000年で6%低下、2000年6月には史上最低水準の1.32ヶ月に

 こうしたデータは、経済におけるITの重要性を示唆していると考えることもできる。しかし、アメリカの産業界が、IT導入以外にもさまざまな改善策を積み重ねてきたことを看過してはならない。アメリカ製品の品質は、80年代にやや低下する傾向が見られたが、90年代に入ると、日本のQC運動などを手本にして生産現場の意識改革を進めたことが奏功して、日本製品に比べて見劣りするどころか、機能面でより優れたものを販売するようになった(モトローラが携帯電話の小型化で日本企業に先行したことを思い起こされたい)。また、徹底的なリストラ(といっても、社員の首切りではなく、経営陣の更迭を含む体制の再構築)を断行して、生産性を高めた企業も多い。こうした企業努力とITの導入が相まって好結果を生み出しているのであって、ITを使えば景気が良くなるという単純な図式が成り立つわけではない。

 ITそのものは、必ずしも景気にプラスになっていないという説もある。ITによって製造業の生産性が向上したとされるが、統計に寄与しているのは、主に(回路設計などの点でもともとITと相性が良い)コンピュータ製造部門であり、他の製造業はITの普及が進んだ90年代後半に目立って生産性が上がっているとは言えない(下表)。金融分野はITの恩恵を被っているというが、あまり鵜呑みにできない。例えば、株式会社での立ち会いがなくなって端末から操作できるようになり、スピーディな売買が可能になっているものの、単に投機目的での売り買いが増えただけで、実質経済に裨益する部分は小さいとも考えられる。

【アメリカでの生産性向上率】(%)
  '52-'72 '72-'95 '95-'99
製造業全体  2.56
2.58
4.58
  コンピュータ製造-17.8341.70
  それ以外2.231.881.82

 実際、2000年には、それまで高騰を続けてきたIT関連企業の株価が急落、これに2001年9月の同時多発テロが追い打ちをかけ、アメリカ経済は一転してIT不況の様相を呈するに至った。IT関連企業の株高は、期待が過剰に膨らんで投資家が買いに走った結果にすぎず、冷静に決算内容を調べると、必ずしも投資に見合う利益を上げていなかったことがわかる。例えば、光ファイバへの設備投資は将来におけるブロードバンド化に対応するものとして期待されたが、現時点では、容量の1割も利用されておらず、明らかに設備過剰となっている。90年代のアメリカの好景気は、投機的な金融筋に煽られた単なるマネーゲームにすぎなかったという厳しい見方もある。

 ITが生産性向上をもたらすと主張する人も、その効果が現れるまでにかなりのタイムラグがあることは認めている。生産や流通の現場でITが威力を発揮するのは、適切なソフトが使用された場合である。そうしたソフト開発には、現場での作業手順の確認を含め、かなりの期間を見込まなければならない。また、ITを使いこなせるように社員を教育するのにも、相当の時間と費用が掛かる。ITを利用して企業を発展させようともくろむ経営者は、まず社内の現状を的確に把握し、どの部分で効率化が可能かをきちんと理解するところから始めなければならない。


IT経営

 インターネット時代には、企業のあり方が従来とは根底的に変化したものになっていく。これまで、日本型経営の典型とされてきた「系列」(外国でも“ケイレツ”として知られる)は、基本的に解体されていく方向に向かうだろう。原材料や部品の調達に際しても、従来の下請けシステムに頼らず、価格・納期・品質などで最も有利なものを調達できる企業をネットで選別するようになる。こうしたネット調達に先鞭を付けたのは、米ジェネラル・エレクトリック(GE)社である。GEは、インターネット上で条件を提示して条件を満たせる業者が入札するというネット調達を実施し、大きな成果を上げた。また、販売する側も、ネット上で直接取引を行うことによって、販路を拡大することが可能になる。こうして、大企業を頂点として下請け・孫請けを配下とするピラミッドを形成する系列型調達は時代遅れとなり、社会的枠組みや距離の壁を越えて企業が結びつくネット型調達が拡がっていくだろう。うまくいけば、競争原理が作用して価格低下や品質向上が実現される。ただし、過当競争に陥って経済的にマイナスになる危険性もある。

 ITは、さまざまな「中抜き」現象を進行させるとも言われる。インターネット・イントラネットなどを介して直接やりとりすることが可能になるため、会社における中間管理職や企業間取引における卸売りなどが不要になる。これも、無駄なプロセスや中間マージンの削減によって効率を高めることにつながるかもしれない。ただし、雇用機会を減少させるという側面もある。

 ITが文化的な事業に与える影響は、良かれ悪しかれ甚大である。印刷媒体の多くが消滅し、インターネットによる無料(会費制による有料システムもある)での提供が一般化するだろう。多くの人が簡単に情報を入手できるようになる一方で、事業として成り立たなくなる分野も出てくる。百科事典の名門として知られるブリタニカは出版事業から撤退し、蓄積されていた膨大なデータをネット上で公共財として提供するようになった。イベント情報に関しても、編集者が作品の質まで判定していた情報誌は姿を消し、チケット販売と抱き合わせで大手の興業だけをネット上で紹介する方式に変わりつつある。IT導入を巡るこうしたメリット/デメリットは、ケースバイケースで適切に判断していかなければならない。


デジタルデバイド(情報化が生む経済的格差)


 ITの導入が生む弊害として、デジタルデバイドという問題が指摘されている。情報機器の操作に長けた個人や通信インフラが整備された地域だけが恩恵を受け、全体としては経済格差が拡大する方向に向かうのではないかという見方である。日本の場合、パソコンや携帯電話がうまく操れない中高年層が、情報化に乗り遅れて経済的な不利益を被る可能性がある。

 先進国では、情報リタラシ(ITを利用した情報収集・処理能力)やIT機器所有の度合いに応じて、雇用機会や収入に格差が生じる傾向にある。「2000年版通信白書」では、年齢が若く年収が多いほどインターネット普及率が高くなっている。情報リテラシーと給料格差に関する次のデータが興味深い(電通総研調べ)

リテラシー度 人口比 ネット利用率 平均個人年収 1000万円以上比率
(全体) 22.7%678万円14.5%
HH 6%88.1%739万円26.1%
MH 16%67.8%753万円21.5%
MM 60%10.1%654万円11.4%
18% 1.6%610万円 8.3%

 数字だけを見ると、情報リテラシーと収入には明らかな相関がある。ただし、これは高収入の人がITを利用できる環境にあるからで、採用面での格差は小さいという説もある。実際、各企業の人事担当者によると、ITの操作能力によって出世が左右されることはあまりなく、本来の職務の遂行能力が重要だという(2000年8月20日付日経新聞)。ソフトエンジニアなどのようにITの急速な普及で不足している人材に関しては求人が多く就職しやすいという面もあるが、通常業務を行っている社員のデジタルデバイドはさほど大きくならないかもしれない。

 先進国におけるデジタルデバイドよりも、世界的な地域格差の方が、より大きな問題かもしれない。国連開発計画(UNDP)によると、世界人口の24%を占める南アジアはインターネット人口の1%以下を占めるにすぎない(1999)。また、収入・教育・性別・年齢・人種・言語による格差も大きく、南米のネットユーザの90%は高所得者が占める。インターネットを積極的に利用する北米・ヨーロッパ・東アジア地域と、その恩恵になかなかあずかれない南米・南アジア・アフリカ・中東地域との間で、デジタルデバイドが深刻化する傾向が見られる。

日本はIT先進国になれるか


 最近では、政財界を上げてIT導入の音頭取りを行っているが、アメリカ・北欧だけでなく東アジア諸国(香港・シンガポール・韓国など)に比べてもインターネットや携帯電話の普及率の低い日本が、果たして巻き返しを図れるだろうか。現状を見る限り、いささか心許ないと言わざるを得ない。


失敗の前歴

 1999年に始まるITブームの以前に、日本はこの分野で何度も失敗を繰り返していることを忘れてはならないだろう。

・ニューメディア・ブーム(1985-)
 NTTの民営化に伴い、キャプテン(文字図形情報ネットワーク)サービスなどを手がける第3セクターが各地にできたが、ほとんどが実質的な活動を行わないまま消滅した。通信端末は用意しても肝心のコンテンツが提供されず、利用するメリットがなかったためである。NTTドコモがiモードを始める際、この失敗を踏まえて、あらかじめ充分なコンテンツを準備していたことが成功につながった。
・NTT全国光ファイバー網計画(1990)
 日本で高速情報通信網が計画されていることに刺激されたアメリカは、これに対抗して情報スーパーハイウェイ構想を打ち出し、短期間でインターネット網を拡充させることに成功した。アメリカでは、光ファイバー網の敷設にこだわらず、既存の電話回線を利用したデジタル通信システムの導入や、ケーブルテレビ用光ファイバーの転用など、さまざまな方途で通信網を整備した。これに対して、NTTは全国一律のサービスに固執したために計画の進行が遅く(当初の実現目標は2015年だったが後に前倒しされる)、また、電力会社など独自の光ファイバー網を有する企業との提携も充分に行われなかったため、結果的にアメリカに水を開けられることになった。現在、NTTは、光ファイバーまでのつなぎとしてISDNの普及を目指しているが、通信速度が遅いためにインターネットを利用する際のネックとなる。電話回線を利用してISDNの数十倍の高速通信を実現するデジタル加入者線(DSL)のシステムが開発されているものの、NTTが独占している交換機にDSL装置を接続しなければならず、ISDN事業との競合を避けようとするNTTがDSL事業者の参入を快く受け入れないという事情がある。
・通産省主導での電子商取引の技術開発(1996)
 500億円の予算を計上して開発を進めたが、現場の実態に即したものにならず、デファクトスタンダード(世界標準)の地位を獲得できなかった。インターネット関連技術の多くはネット上で公開され、世界中の技術者が開発に参加することによって急速に発展していくので、スピーディさに欠ける官主導の開発チームが世界的な競争力を持つことは期待できない。

将来への不安と期待

 これまでの経歴を振り返ると、ITは日本が最も苦手とする技術分野と言えるかもしれない。これまで、欧米が開発した基礎技術をもとに生産現場での品質改良を進め、信頼性の高い製品を販売することによって成功を収めてきた日本だが、ITは、基礎技術を開発して他社に先行した企業が勝ち組として市場を独占する傾向が強く、従来の方法論は通用しないだろう。それに加えて、次のような事情が不安に拍車を掛けている。

・政府の対応の悪さ
 IT普及のために必要な規制緩和や重点的投資が進んでいない。郵政省や通産省は、許認可権に伴うメリットをおいそれと手放そうとせず、縦割り行政も改善されていない。故小渕首相がミレニアム・プロジェクト(1999)として電子政府構想を打ち出したものの、政府機関での紙による文書作成業務の撤廃を義務づけたアメリカとは異なって、政府による強力なイニシアティブが取れず、具体的な目標設定もないまま視界不良に陥っている。通信速度の遅さや接続料金の高さをもたらし、インターネットの普及を妨げる最大の要因となっているNTTの地域独占問題に関しても、積極的施策が何ら講じられていなのが現状である。
・IT教育の遅れ
小中高でのインターネット接続率は36%(1999)にすぎず、常時接続のケースも少ない。文部省は2001年までに接続率100%を目指すが、1校1回線程度でアメリカや韓国に比べて著しく遅れている。ITを教育に生かせる教師も少ない。
・専門家の不足
ソフト開発者は大幅に不足しており、膨大なバックログ(積み残し)が生じている。

 ただし、悲観的な面ばかりではない。21世紀のITは、日本が対外的な競争力を持っている情報家電・ケータイ・ゲーム機を利用したものになると予想されるので、これらについてのノウハウを生かして日本企業が復活する目もあるかもしれない。




©Nobuo YOSHIDA