現在の日本は、1990年代初頭から続く不況に苦しめられている。政府はIT(情報技術)革命を推進することによって、景気浮揚を図りたいと画策しているようだが、果たして、ITの導入は経済活性化につながるのか、また、アメリカや北欧に比べて大幅出遅れたこの分野で日本の巻き返しは可能かを、考えてみたい。
コンピュータやインターネットの普及によるIT革命は、産業界に大きな構造変動をもたらすと考えられる。ここでは、2つの点を取り上げよう。
ITの導入は、労働生産性を高め流通を効率化することにより、経済を活性化するという見方がある。1980年代に半導体や自動車産業を中心に深刻な不況に陥り、もはや「アメリカ病」に侵された斜陽の大国だと揶揄されたアメリカは、90年代に入ると急速に力を取り戻し、90年代後半は異様な好景気に国民全体が浮かれることになる。こうした復活劇を支えたのが、80年代から進められていたIT分野への積極的な投資であり、実質的な労働生産性を高めることによって「インフレなき経済成長」を実現したと主張する経済学者もいる。日本もアメリカを見習って、遅ればせながらIT投資を推進して経済再建を達成しようという声が政界・財界から聞こえてくるが、果たしてそううまくいくだろうか。
ITがアメリカ経済にプラスしたという主張は、次のようなデータに裏付けられている。
こうしたデータは、経済におけるITの重要性を示唆していると考えることもできる。しかし、アメリカの産業界が、IT導入以外にもさまざまな改善策を積み重ねてきたことを看過してはならない。アメリカ製品の品質は、80年代にやや低下する傾向が見られたが、90年代に入ると、日本のQC運動などを手本にして生産現場の意識改革を進めたことが奏功して、日本製品に比べて見劣りするどころか、機能面でより優れたものを販売するようになった(モトローラが携帯電話の小型化で日本企業に先行したことを思い起こされたい)。また、徹底的なリストラ(といっても、社員の首切りではなく、経営陣の更迭を含む体制の再構築)を断行して、生産性を高めた企業も多い。こうした企業努力とITの導入が相まって好結果を生み出しているのであって、ITを使えば景気が良くなるという単純な図式が成り立つわけではない。
ITそのものは、必ずしも景気にプラスになっていないという説もある。ITによって製造業の生産性が向上したとされるが、統計に寄与しているのは、主に(回路設計などの点でもともとITと相性が良い)コンピュータ製造部門であり、他の製造業はITの普及が進んだ90年代後半に目立って生産性が上がっているとは言えない(下表)。金融分野はITの恩恵を被っているというが、あまり鵜呑みにできない。例えば、株式会社での立ち会いがなくなって端末から操作できるようになり、スピーディな売買が可能になっているものの、単に投機目的での売り買いが増えただけで、実質経済に裨益する部分は小さいとも考えられる。
'52-'72 | '72-'95 | '95-'99 | |
製造業全体 | 2.56 | 2.58 | 4.58 |
コンピュータ製造 | - | 17.83 | 41.70 |
それ以外 | 2.23 | 1.88 | 1.82 |
実際、2000年には、それまで高騰を続けてきたIT関連企業の株価が急落、これに2001年9月の同時多発テロが追い打ちをかけ、アメリカ経済は一転してIT不況の様相を呈するに至った。IT関連企業の株高は、期待が過剰に膨らんで投資家が買いに走った結果にすぎず、冷静に決算内容を調べると、必ずしも投資に見合う利益を上げていなかったことがわかる。例えば、光ファイバへの設備投資は将来におけるブロードバンド化に対応するものとして期待されたが、現時点では、容量の1割も利用されておらず、明らかに設備過剰となっている。90年代のアメリカの好景気は、投機的な金融筋に煽られた単なるマネーゲームにすぎなかったという厳しい見方もある。
ITが生産性向上をもたらすと主張する人も、その効果が現れるまでにかなりのタイムラグがあることは認めている。生産や流通の現場でITが威力を発揮するのは、適切なソフトが使用された場合である。そうしたソフト開発には、現場での作業手順の確認を含め、かなりの期間を見込まなければならない。また、ITを使いこなせるように社員を教育するのにも、相当の時間と費用が掛かる。ITを利用して企業を発展させようともくろむ経営者は、まず社内の現状を的確に把握し、どの部分で効率化が可能かをきちんと理解するところから始めなければならない。
インターネット時代には、企業のあり方が従来とは根底的に変化したものになっていく。これまで、日本型経営の典型とされてきた「系列」(外国でも“ケイレツ”として知られる)は、基本的に解体されていく方向に向かうだろう。原材料や部品の調達に際しても、従来の下請けシステムに頼らず、価格・納期・品質などで最も有利なものを調達できる企業をネットで選別するようになる。こうしたネット調達に先鞭を付けたのは、米ジェネラル・エレクトリック(GE)社である。GEは、インターネット上で条件を提示して条件を満たせる業者が入札するというネット調達を実施し、大きな成果を上げた。また、販売する側も、ネット上で直接取引を行うことによって、販路を拡大することが可能になる。こうして、大企業を頂点として下請け・孫請けを配下とするピラミッドを形成する系列型調達は時代遅れとなり、社会的枠組みや距離の壁を越えて企業が結びつくネット型調達が拡がっていくだろう。うまくいけば、競争原理が作用して価格低下や品質向上が実現される。ただし、過当競争に陥って経済的にマイナスになる危険性もある。
ITは、さまざまな「中抜き」現象を進行させるとも言われる。インターネット・イントラネットなどを介して直接やりとりすることが可能になるため、会社における中間管理職や企業間取引における卸売りなどが不要になる。これも、無駄なプロセスや中間マージンの削減によって効率を高めることにつながるかもしれない。ただし、雇用機会を減少させるという側面もある。
ITが文化的な事業に与える影響は、良かれ悪しかれ甚大である。印刷媒体の多くが消滅し、インターネットによる無料(会費制による有料システムもある)での提供が一般化するだろう。多くの人が簡単に情報を入手できるようになる一方で、事業として成り立たなくなる分野も出てくる。百科事典の名門として知られるブリタニカは出版事業から撤退し、蓄積されていた膨大なデータをネット上で公共財として提供するようになった。イベント情報に関しても、編集者が作品の質まで判定していた情報誌は姿を消し、チケット販売と抱き合わせで大手の興業だけをネット上で紹介する方式に変わりつつある。IT導入を巡るこうしたメリット/デメリットは、ケースバイケースで適切に判断していかなければならない。
ITの導入が生む弊害として、デジタルデバイドという問題が指摘されている。情報機器の操作に長けた個人や通信インフラが整備された地域だけが恩恵を受け、全体としては経済格差が拡大する方向に向かうのではないかという見方である。日本の場合、パソコンや携帯電話がうまく操れない中高年層が、情報化に乗り遅れて経済的な不利益を被る可能性がある。
先進国では、情報リタラシ(ITを利用した情報収集・処理能力)やIT機器所有の度合いに応じて、雇用機会や収入に格差が生じる傾向にある。「2000年版通信白書」では、年齢が若く年収が多いほどインターネット普及率が高くなっている。情報リテラシーと給料格差に関する次のデータが興味深い(電通総研調べ)。
リテラシー度 | 人口比 | ネット利用率 | 平均個人年収 | 1000万円以上比率 |
(全体) | 22.7% | 678万円 | 14.5% | |
HH | 6% | 88.1% | 739万円 | 26.1% |
MH | 16% | 67.8% | 753万円 | 21.5% |
MM | 60% | 10.1% | 654万円 | 11.4% |
L | 18% | 1.6% | 610万円 | 8.3% |
数字だけを見ると、情報リテラシーと収入には明らかな相関がある。ただし、これは高収入の人がITを利用できる環境にあるからで、採用面での格差は小さいという説もある。実際、各企業の人事担当者によると、ITの操作能力によって出世が左右されることはあまりなく、本来の職務の遂行能力が重要だという(2000年8月20日付日経新聞)。ソフトエンジニアなどのようにITの急速な普及で不足している人材に関しては求人が多く就職しやすいという面もあるが、通常業務を行っている社員のデジタルデバイドはさほど大きくならないかもしれない。
先進国におけるデジタルデバイドよりも、世界的な地域格差の方が、より大きな問題かもしれない。国連開発計画(UNDP)によると、世界人口の24%を占める南アジアはインターネット人口の1%以下を占めるにすぎない(1999)。また、収入・教育・性別・年齢・人種・言語による格差も大きく、南米のネットユーザの90%は高所得者が占める。インターネットを積極的に利用する北米・ヨーロッパ・東アジア地域と、その恩恵になかなかあずかれない南米・南アジア・アフリカ・中東地域との間で、デジタルデバイドが深刻化する傾向が見られる。最近では、政財界を上げてIT導入の音頭取りを行っているが、アメリカ・北欧だけでなく東アジア諸国(香港・シンガポール・韓国など)に比べてもインターネットや携帯電話の普及率の低い日本が、果たして巻き返しを図れるだろうか。現状を見る限り、いささか心許ないと言わざるを得ない。
1999年に始まるITブームの以前に、日本はこの分野で何度も失敗を繰り返していることを忘れてはならないだろう。
これまでの経歴を振り返ると、ITは日本が最も苦手とする技術分野と言えるかもしれない。これまで、欧米が開発した基礎技術をもとに生産現場での品質改良を進め、信頼性の高い製品を販売することによって成功を収めてきた日本だが、ITは、基礎技術を開発して他社に先行した企業が勝ち組として市場を独占する傾向が強く、従来の方法論は通用しないだろう。それに加えて、次のような事情が不安に拍車を掛けている。
ただし、悲観的な面ばかりではない。21世紀のITは、日本が対外的な競争力を持っている情報家電・ケータイ・ゲーム機を利用したものになると予想されるので、これらについてのノウハウを生かして日本企業が復活する目もあるかもしれない。
©Nobuo YOSHIDA