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第III部.システム・ファクター


 単純化して言えば、技術とは(広い意味での)機械と人間との間隙に存在するものであり、技術に潜む危険性を論じる際には、機械の側に由来する危険と人間の側に由来する危険のそれぞれについて考察すれば充分だと思われるかもしれない。しかし、ここでは、あえて第3の問題として、機械と人間が構成するシステムそれ自体に起因する危険を取り上げてみたい。現代技術の重要な側面は、それが単体で機能する個々の道具に応用されるだけではなく、機械と人間が複雑な相互関係を形成している点にある。そうした中で、巨大システムに特有の容赦のない機構が、ともすれば技術のあり方に歪みをもたらし、当初は利得をもたらすと思われた技術が、いつの間にか社会全体にとって危険なものに変質していく可能性も看過できなくなっている。以下では、特にシステムが巨大事故を引き起こすメカニズムに焦点を絞って論じることにする。

§1.部分と全体


 現代技術においては、自動車のように単なる移動の道具にすぎないものでも、きわめて複雑な内部機構を持っており、見方によっては一つのシステムを構成するとも言える。さらに、金融業務や科学研究のためにオンラインで結ばれたコンピューターのネットワークは、すでに巨大システムと呼ぶにふさわしいものになっている。しかし、議論のポイントを鮮明にするため、ここで取り上げる「システム」としては、その中に人間の労働が内包されている古典的な生産システムに限定したい。

 生産のシステム化
 この種の典型例として何よりも先に思い浮かぶのが、1910年代から自動車の大量生産のために開発されたベルト・コンベアによる流れ作業のシステム−−いわゆる「フォード・システム」である。従来の工場では、未完成車両が据え置かれたまま、作業員が部品を運んで行っては取り付けていたが、これでは移動の際の時間と空間の無駄が大きい。こうした無駄を極力省いて生産性の向上を図ったのが、フォード・システムである。このシステムでは、車両の方が特定のラインに沿って移動していくため、個々の作業員は、部品が取り付けられるべき車両が自分の前に来るのを待っていれば良い。この結果、部品を抱えて工場内を右往左往しなくて済むので、労働者一人当たりの生産性は著しく向上することになる。
 フォード・システムの要諦は、3つのS−−すなわち、単純化(Simplification)/規格化(Standardization) /専門化(Specialization)にあると言われる。古典的な工場では、材料の善し悪しに応じて力加減を調節するなど、製品の完成までに職人芸的な技が必要になることもたびたびある。これに対して、フォード・システムでは、1本のネジの径やピッチに到るまで厳密に規格化されており、個々の作業内容は、「決められた手順で部品を台車に取り付ける」といったきわめて単純なものになっている。しかも、一人の労働者は(ドアの取り付けならそれだけというように)特定の作業を繰り返すだけなので、熟練工でなくとも生産現場で直ちに働くことが可能になる。
 こうした高度な生産システムに対して、当初から批判的な意見も少なくはなかった。特に強調されたのは、生産ラインにあわせて労働を強いられることに対するヒューマニズムの観点からの批判である。例えば、喜劇王チャップリンは『モダン・タイムス』という映画の中で、卓抜なギャグを通じて大量生産システムの非人間性を告発した。チャップリン演じる労働者は、ベルト・コンベアで次々に運ばれてくる部品のネジをスパナで締める作業に従事しているが、コンベアの速度があまりに速いので、目の前のハエを追い払うこともできない。うっかり痒いところを掻こうものなら、途端に流れ作業が滞ってしまう。休憩時間になっても、ネジを締める作業ばかり繰り返してきた手が自由に動かなくなっている……。しかし、多くの批判を受けながらも、労働者一人当たりの生産性という点で圧倒的なメリットを持つため、流れ作業を中心とするフォード・システム的な生産工程は、その後、大量生産を行う多くの工場で採用されるに到る。
 近年は、労働者の意識の高まりもあって、あまりにも単純な作業の反復は避けられるようになるが、フォード・システム自体が破綻したわけではなく、生産性向上のための方法論としてさらに洗練されていく。その最良の成果が、同じく自動車メーカーで採用されたトヨタ・システムであろう。フォード流のやりかたでは、取り付けるべき部品の生産が必ずしも中央のラインと同期していないため、余剰の部品が山積みにされていたり、逆に部品の調達が遅れてラインが生産ストップすることがあった。こうした事態を防ぐため、トヨタ・システムの基本方針として採用されたのが、部品の調達を中央の生産ラインと同期させる「ジャスト・イン・タイム」というアイディアである。この方針は、「かんばん」と呼ばれる独自の注文票を使って頻繁に小口の発注を行うことによって実現され、在庫の余剰や不足の解消を通じて生産性の向上に貢献することになる。
 しかし、こうした生産システムが、あらゆる面で経済にプラスになるかというと、必ずしもそうではない。自動車産業は、車両の組み立てを行う本社工場と部品を納入する下請け企業のピラミッド構造をなしている。この中で「ジャスト・イン・タイム」方式を徹底させようとすると、中央の生産ラインに合わせて小口の注文が出され、(モデル・チェンジなど)本社の方針に応じて発注量が変動したり納期に厳しい制限が課せられたりするため、下請け企業の負担が大きくなることは避けられない。言うなれば、本社の生産性を向上させるために、下請けにしわ寄せが生じているのである。こうした状況は、自動車メーカーに限らない。現在の流通システムでは、コンビニエンス・ストアを中心に在庫を極力減らして、何回かに分けて少しずつ納品させるという一種の「ジャスト・イン・タイム」方式が普及しつつある。この結果、余剰在庫や売れ残りが減少して個々の店舗当たりの販売効率は高まったものの、少量の荷物を積んだトラックが頻繁に出入りするようになるため、道路渋滞を招き経済全体にとってはマイナスに作用するという主張も根強い。このように、(生産性の向上など)特定の目標を実現するために考案されたシステムは、当該目標を追求しようとするあまり、逆に、さまざまの領域に歪みをもたらす危険性があることを認識しなければならないだろう。

 農業における効率
 システムに付随するこうした“近視眼的な”見方が数字の上で最もはっきり現れてくるのが、農業における生産性の変化である。素朴に考えると、前近代的な農法よりも近代農業の方がはるかに生産性が高いと思われるだろう。しかし、それはあくまで一つの側面にすぎないことが指摘できる。
 はじめに、メキシコにおける焼畑農法とアメリカにおける近代農法の生産性を比較してみよう(表参照)。焼畑農法の場合、耕地に投入されるエネルギーの大半は人間の労働であり、1ha当たり約57万kcalに及ぶ。このほかには、斧や鍬などの若干の道具の製作と種子の用意のために、併せて5万kcalを投入するにすぎない。その結果として、1haの耕地からエネルギー換算で 680万kcal近いトウモロコシが収穫される。これに対して、近代農法では、人間はトラクターやコンバインなどの機械を操縦する作業が中心になるため、労働に要するエネルギーは焼畑農法の67分の1の8500kcalでしかない。しかし、各種の耕作機械の製造と運用に多くのエネルギーを消費するほか、肥料や農薬の合成にも膨大なポテンシャル・エネルギーを含んだ石油などを使用するため、肉体労働以外の投入エネルギーは、焼畑農法の 164倍の 870万kcalに及ぶ。これだけの手間を掛ければ当然トウモロコシ収量も増大し、1ha当たり1880万kcalと焼畑農法の 2.8倍になっている。
 さて、この結果を見て、近代農法は焼畑農法よりも効率が高いと言えるだろうか。確かに、投入された労働力当たりの収量で定義される労働効率は著しく向上しており、土地資本当たりの生産性も 2.8倍に高まっている。しかし、その一方で、エネルギー効率(=収量/投入エネルギー)は、焼畑農法の10.8から近代農法の 2.2へと非常に悪化していることを見逃してはならない*1。すなわち、近代の農業システムは、資本主義経済体制の強化と労働者意識の高まりを背景に、資本効率および労働効率を極大化する方向へシフトしていきながら、同時に、そのしわ寄せをエネルギー効率に押しつけていたのである。
 農業の近代化によってエネルギー効率が悪化しているケースは、日本でも指摘できる。例えば、キュウリの場合、露地ものでのエネルギー効率は0.12と決して高くないが、ハウス栽培になると、生育に6倍のエネルギーが必要になって効率は0.02まで低下する。このとき、投入したエネルギーの6割が光熱費であり、さらにハウス建設などの施設費が4分の1を占める。いささか古くさい言い方かもしれないが、「農業」とは太陽と土の恵みの下に食糧を得る産業であり、外から加えるエネルギー以上の収穫が得られないならば、それはもはや「農業」ではない。もちろん、キュウリの商品価値の中には、各種のビタミンや食物線維などの栄養成分、あるいは料理に使用したときの味や香りが重要な役割を果たしており、含有されるエネルギーだけで評価するのが片手落ちなことは充分に承知している。しかし、そのことを認めた上でも、ハウスものでのエネルギー効率0.02は悲しくなるほど小さな値である。評論家の中には、栄養分を溶かした水を流して野菜の水栽培を行う“野菜工場”を未来の農業として推奨する人もいるが、エネルギー効率の面から見ると、まさに最悪の農法である。一般に、エネルギー効率は果実系の作物(トマトやモモなど)でおしなべて低く、イモ類で高くなる。コメの場合は、1.32とかろうじてプラスの収量が得られているが、耕作機械や燃料/化学薬剤だけで投入エネルギーの70%以上を占めており、典型的なエネルギー多消費型農法であることは否定できない。
 もちろん、エネルギー効率の高低をもって農法の是非を云々できるわけではない。焼畑農法の場合、木を燃やしてできた灰を肥料に耕作を行い、地味が低下してくるとと他の地域へ移動していく。森林面積当たりの人口が少ないうちは、最初に燃やした地域が森林として回復した頃に再び戻って焼畑を行うことができるので、長期間にわたって持続的に焼畑農業を続けられた。しかし、近年の人口増加に伴い、森林が回復する以前に新しい耕地が必要になって次々に森を焼き払いながら移動することになるため、結果的に森林が失われ、地球規模の環境問題の原因となっている。こうしたことから、中南米の熱帯雨林地域では、焼畑農法に代わる耕法を採用するように現地の人を指導せざるを得ないのが現状である。ただし、その場合も、いたずらに大量のエネルギーを消費する近代農法をそのまま移植するのではなく、風土に応じた手法を試みる配慮が必要だろう。
 いずれにせよ、生産性や効率の面では著しく改善されたと思われている近代農法が、実は全ての効率を高めているわけではないことは、きちんと押さえておかねばなるまい。

 生産システムのグローバルな地位
 近代の生産システムが労働効率や資本効率の向上を追求するあまり、エネルギー効率の悪化を黙殺しているという事実は、農業に限らず、他の大半の産業で指摘できる。こうした現象が生じる理由として、こんにちのエネルギー政策が、既存資源の収奪を容認していることを指摘したい。現代産業の基盤となっている石油/石炭などの化石燃料は、いずれも地質学的な年代にわたって蓄積された太陽エネルギーの塊であり、その利用価値はきわめて高い。ところが、この貴重な資源を獲得するためのコストとして経済学的に計上されているのは、掘削などに要する実費と原産国の分け前に限られており、資源そのものに関しては、事実上、「タダ取り」がまかり通っている。この結果、エネルギー資源がきわめて安価に供給され、生産システムを構築する場合も、エネルギーに関する費用をそれほど重視する必要はなくなる。こうして、エネルギー効率を無視しても資本や労働効率を極大化しようとするシステムが成立するのである。
 たとえエネルギー効率などの面で欠点があるにしても、このような生産システムが人類に大いなる福祉をもたらすならば、ある程度までは目をつぶって良いかもしれない。しかし、現実には、そうとばかりも言えない。実際、資本効率の極大化を目指すシステムの場合、利用可能な(土地や資材などの)資本は全て利用し尽くすように体制をシフトさせていくため、人々が望むと望まないとにかかわらず、システム内部の資本循環は増大して経済規模が肥大化する傾向にある。このことは、われわれの生活システムと、それを支える生産システムの規模を比較してみると良くわかるだろう。人間が1日の生活で消費するカロリーは約2000kcalだが、自動車の走行や食品製造など生活を維持するために必要となるエネルギーはその 100倍にもなる。しかも、その多くは人間が豊かな生活を送るために本質的なものではない。例えば、パンを例にとっても、過度に漂白して栄養分を失わせた上で各種の添加剤を加えて栄養を強化したり、わざわざ遠方の工場で作っておいて防腐剤の助けを借りながら長距離輸送をするなど、巨大な生産/流通システムの大半が、個人の豊かさとは無関係なところで機能しているのである。このように、特定の目標を掲げたシステムは、これを極限まで追求することによって全体的な利益を破壊しながら肥大化していく宿命にある。その結果、エネルギー危機や環境破壊などのマイナスの面が強く現れているのが、現代社会の実状と言っても良いだろう(図参照)。
 こうしたシステムの機能に対して、何らかの歯止めをかけようとする動きは、さまざまな方面で見られる。アメリカでは、電力消費の適正値を各ビルごとに設定し、これを上回る場合は累進的に高くなる懲罰的な料金を設定しているケースもあり、エネルギーのコストまで評価した経済体制への移行を模索している。また、日本でも1991年から「再生資源の利用の促進に関する法律(リサイクル法)」が施行され、紙/自動車/家電など幅広い業種のメーカーに廃棄物の再利用を促して、ゴミの減量化を進める方針である。しかし、こうした動きはいまだ緒についたばかりであり、生産システムが示すジャガーノート的な振る舞いを押しとどめるのにどこまで力があるのか、いささか覚束ないと言わざるを得ない。

§2.ボパール−−死の都市


 システムが特定の効率の極大化を目指すあまり安全性がないがしろにされる実例は、先進国から開発途上国へ危険な産業を輸出するケースに見いだされる。日本や欧米では、一般に安全性に対する市民の要求水準が高く、こうした要求を満たそうとすると、汚染源となり得るある種の化学工業や産業廃棄物の処理を行うためのコストはどうしても莫大なものになる。このため、国策として海外資本の導入を望んでいる開発途上国に危険性を伴う業務を委託する動きがさまざまな形で進んでおり、特に、日欧米に拠点を持つ巨大な多国籍企業において著しい。以下では、この流れが生んだ悲劇の最たる例として、ボパールで起きた化学工場事故を取り上げてみたい。

 事故の概要
 インドの地方都市ボパールで史上最悪と言われる化学工場事故が起きたのは、1984年12月2日の深夜のことである。当地には、全米屈指の化学薬品会社であるユニオン・カーバイドの殺虫剤工場が建設されていたが、ここから殺虫剤の中間材料である猛毒のメソシアン酸メチル(MIC)が漏出し、周辺の住宅街に流れ込んだ。
 ここで漏出したMICとは、カルバリルやアルディカーブと呼ばれる殺虫剤を製造するための中間材料で、(毒ガス兵器として使われたこともある)猛毒のホスゲンとモノメチルアミンをクロロホルムを含む溶媒中で反応させることによって生成される。こうして得られた粗製MICは、分溜を通じて不純物を取り除いた後、次工程に受け渡されるまでタンクで貯蔵されている。ボパールでの事故は、タンクに貯蔵中のMICが、外部から流入した水との間で発熱反応を起こして排気塔から噴出したものである。
 MICは原料のホスゲンと同様にきわめて毒性が高く、肺胞や眼/皮膚などの上皮細胞を損傷し、最悪の場合は呼吸困難で死に到らしめる。また、たとえ生き残ったとしても、失明や視力低下をはじめ、筋肉痛や脱力感などの後遺症をもたらす。事故が発生したのがスラム街だったこともあって正確な被害者数は掴めていないが、インド医学研究委員会の調べによると、死者2000人以上、手当を受けた患者5万人、何らかの影響を受けた住民は7〜10万人に上るという。

 事故の経過
 これほどの大事故を引き起こした要因として、何よりもボパール工場における安全管理のずさんさを指摘することができる。この工場では、事故を起こす数年前から、原材料の漏出を示唆する刺激臭の報告から死亡事故に到るまで大小のトラブルが頻発しており、1982年には、アメリカ本社から派遣された調査委員によって「大きな事故が発生する危険性が高い」との内容の報告書が提出されている。また、現地のジャーナリストの中にも、この工場の危険性を察知し、新聞を通じて警告を与えた者もあった。にもかかわらず、ユニオン・カーバイド側では、何ら積極的な安全対策をとってはいなかった。それどころか、1977年にMICを材料とする殺虫剤の生産が開始された当初は学位を持つオペレーターを中心に優秀な作業員が集められていたのに対して、その後は、訓練の不十分さもあって作業員の質が低下し、それとともに安全に対する意識も減退していったと言われる。こうした雰囲気の中で、惨事に到る状況が用意されていたのである。
 事故直前の状況は、次のようなものである。MICは反応性に富む物質であるため、これを抑えるために、精製や貯蔵の過程では冷却システムによって 0℃前後の低温に保つことが作業マニュアルで定められている。ところが、ボパール工場では(冷媒となるフロンガスを充分に補給していなかったためともされるが)このシステムがうまく機能しておらず、温度が常時15〜20℃に上昇したままで運転されていた。さらに、温度調節が正確でなかったため、分溜が完全に行われずにクロロホルムなどの不純物が精製MIC中に混入することになった。不純物の一部はパイプやタンクの腐食を助長したが、腐食部分からタンク内に溶出してきた鉄分は、MICの反応を促進する触媒として作用するため、その混入が厳しく禁じられている物質であった。こうしてMICのタンク内に多くの不純物を含んだ状態で、事故当日を迎えたのである。
 事故の直接の引き金になったのは、MICタンクに水が流入したことである。MICは水と激しく反応するため、MICを含む工程に水が入り込まないようにさまざまな配慮がなされており、そのための手順が作業マニュアルにも明記されている。ところが、ボパール工場では、安全意識の低下もあって、こうした配慮が必ずしも徹底されていなかった。この日は、MICのタンクに(バイパスを介して)通じるパイプを洗浄していたが、水を完全に遮断するために途中に挿入するよう定められたスリップ・ブラインドという金属板を利用しておらず、タンクとの間にあるバルブの締め方も不完全だった。この結果、洗浄に使用した水の一部がMICタンクに流入した。水の量は、その後の調査によって 500〜1000kgと推定されており、決して微小なものではないことから、かなりの作業規則違反がなされていたと考えられる。
 すでに述べたように、MICは水と強く反応して熱を出す。最初に起きるのは次の化学式で表される加水分解反応である。
   MIC + H2O → モノメチルアミン + CO2 + 熱
 このとき発生したCO2 がタンク内の圧力を高めるほか、生じる熱がタンク全体を高温にしてさまざまな化学反応を促進する。こうした反応は、タンク内に混入していた不純物がさまざまな形で関与したものになるため、事故後の追跡調査で完全に解明されているとは言えないが、鉄の触媒作用の下での重合によるMICトリマーの生成をはじめとして、その中のいくつかは多量の熱を発生する反応であり、タンクの加熱をさらに押し進める結果となった。こうして、2日の深夜11:00 頃には、タンク内の圧力が急上昇して危険な状態になっていたことが判明している。
 従業員がタンクの異常に気がついたのは、12:00 前後である。その頃には、ごうごうと音を立てるほど激しい化学反応が進行しており、タンクにつながるパイプは手を触れられないほど熱くなっていたという。直ちに緊急時のマニュアルに従ってさまざまな対策が講じられたが、次に述べるように安全装置が正常に作動しないこともあって事態の進展を防ぐことはできず、3日の午前1:00頃には排気塔から気化したMICが噴出しているのが発見されるに到った。
 付近の住民は、何の警告も受けないままいきなりMICのガスに襲われ、ある者は家の中で、またある者は逃げる途上で倒れて息絶えていった。重要なのは、従業員が事故に気づいた1:00の時点では、周辺住民のための緊急避難用のサイレンではなく、工場内の従業員に異常を知らせるための音量を絞ったサイレンしか鳴らされなかった点である。限られた範囲における調査によれば、自動車が利用できたわずかな富裕階層からは死者が一人も出なかったのに対して、徒歩で逃げた大多数のスラム街の住民のうち実に75%が命を落としているが、この点からしても、警報の遅れは惨事を巨大なものにした重大な要因と言って良いだろう。避難用のサイレンは、MICが噴出してから約1時間後に鳴らされているが、その時点では、刺激臭を感じた住民はすでに避難を開始しており、ほとんど役に立たなかった訳である。

 フェイル・セーフ機構の破綻
 ボパールの事故で特に印象的なのは、何重にも用意されていたはずのフェイル・セーフ機構が、いずれも充分に機能しなかった点である。ユニオン・カーバイド社では、安全に対する要求の厳しくないインドだからといって特に手を抜くことなく、欧米並の安全対策を講じていたと主張しているが、実際の事故の経過を見てみると、安全性に対する意識の希薄さが明白である*1。
 安全対策の失敗の中で特に重大なのが、焼却塔の問題である。これは、有毒ガスが発生したときにガスを導いて燃焼熱により分解してしまう装置であり、ホスゲンやMICなどの危険物質を取り扱っている限り、常に起動できるようにしていなければならない。ところが、事故が発生した当時、腐食したパイプの交換修理中で利用できない状態になっており、全く役に立たなかった。安全装置が故障した場合は、生産ラインを止めてでも安全を確保するべきであり、ボパール工場での措置は、安全に対する意識の希薄さを物語っている。
 同様に、冷却システムの不調を放置した点も重要である。精製/貯蔵の段階でMICを低温に保たなかったために多くの不具合が派生していたことはすでに述べた通りだが、事故が発生した折にも、冷却システムが充分に稼働していれば、MICの温度を下げて反応速度を遅らせることが可能だったはずである。日常化していた機械の不調を看過していたことが、事態を短時間で悪化させた要因となった訳である。また、冷却システムの不調の原因が、経費節減のために冷媒のフロンガスの補給を怠ったためだという見方もあり、これが事実とすると、会社側の責任はいっそう大きくなる。
 作業員の動揺が原因で全く利用されなかった安全装置もある。ボパール工場にはMICの貯蔵タンクが3つあり、そのうち1つは予備用として常に空にしておくことが定められている。これは、過激な反応が起きて有毒ガスが発生した場合、空のタンクにガスを誘導して外部に漏れないようにするためである。ところが、事故当時は規則通りタンクの1つが空だったにもかかわらず、半ばパニックに陥った従業員は、誰一人として空のタンクにMICを導くためのバルブを開くことに思い到らなかったという。もっとも、緊急時に人間が正当な判断を下せなくなることは充分に予想される事態であるため、従業員を訓練する課程であらかじめ何らかの対策を講じておく必要はなかったのか。また、欧米ではコンピューターによる制御が進んでおり、万一の場合には自動的に安全装置が起動するようになっているが、こうしたシステムになっていれば、たとえ人間がパニックになっても機械が正しく判断したはずである。
 致命的な設計ミスと言って良いのが、排気塔の構造である。気化したMICは、タンクから排気塔に流れ込んで、33メートルの高さにある排気口から噴出したため、短時間で工場敷地から出て周辺の住宅地域まで広がっていくことになった。しかも、有毒ガスの拡散を抑えるために水を散布する装置が用意されていながら、その到達する高さが15メートル程度だったために、排気口から噴き出すMICに対しては無力だというお粗末さだった。
 多少なりとも機能した安全装置は、排気ガス用スクラッバーただ一つにすぎない。この装置は、漏出したガスに対して苛性ソーダを噴霧し、中和反応によって無毒化するものである。ボパールの事故では、MICの噴出が確認されるとオペレーターが直ちにこの装置を起動しており、一応は役に立ったものと考えられる。ただし、(焼却塔と同じく)常時作動状態にしていなければならないにもかかわらず、事故発生当時はスイッチが切られており、立ち上げに手間取って貴重な時間をロスしている。しかも、スイッチを入れたオペレーターは苛性ソーダの循環を確認しておらず、設計時点での予想よりもかなり少ない分量しか噴霧できなかったはずである。また、この装置を稼働し続けると、中和反応により苛性ソーダが失われて効果が減退するため、これを補給し続ける必要があるが、当直のオペレーターは(自分も逃げなければならないので)実行していない。こうしたことから、スクラッバーによって無毒化されたMICは一部にとどまったと推定される。
 以上のように、ボパール工場では、インドの他の工場と比較してもかなり高度な安全装置を備えているにもかかわらず、現場における安全意識の低下が災いして、これらが生かされなかったことがわかる。

 事故の真の原因は?
 ボパールでの惨事を引き起こした直接の原因は、スリップ・ブラインドを挿入せず、バルブも完全に閉めないままパイプの洗浄を行ったことにあり、当該作業を担当した従業員の怠慢を非難することは容易である。しかし、この事故の背後には、より重大な問題が隠されているように思われる。
 ユニオン・カーバイド社は世界各地に工場を有する典型的な多国籍企業である。だが、殺虫剤の製造のように危険物質を取り扱う工場は、欧米の先進国からは嫌忌されがちである。こうした地域では、周辺住民を説得する費用もばかにならず、場合によっては工場の進出計画が住民からの反対運動にあって潰されることもある。実際に、カナダではユニオン・カーバイド社による殺虫剤工場の建設が白紙撤回させられている。このため、単品当たりの生産コストをミニマムにしようと画策する企業にとってみれば、安全対策のためのコストが高くつく欧米よりも、アジアや中南米などの第三世界に危険物を扱う工場を建設する方が好ましいことになる。
 一方、失業率の高さに悩む第三世界の側にも、雇用機会を与えることになる多国籍企業の進出は歓迎すべきものという事情がある。特に、ユニオン・カーバイドのような大会社の場合は、高賃金で従業員を雇用してくれる−−同じ地域の日雇い労働者に較べて、正社員の給与は3〜6倍になる−−ため、多少の危険性には目をつぶっても誘致したいというのが本音だろう。しかも、大量移送のための公共交通が整備されていない地方都市では、従業員の住む住宅地域の近くに工場を建設するのが効率的である。こうして、殺虫剤工場と住宅が隣接するという欧米では考えられない状況が実現したのである。
 このような事情を勘案すると、やはり、この事故の真の原因は、ユニオン・カーバイドをはじめとする大企業の安全管理のあり方に求められる。ボパール工場での安全対策はインド国内の基準からすると決して低いものでなかったというが、この地域での殺虫剤の製造が、本来は製品を利用する先進諸国が負うべき危険性を肩代わりするものであることを考えると、欧米の水準に近い安全管理を実施するのが当然ではなかったか。特に、現地の労働事情を考慮して、アメリカ本社からの安全面での査察と指導を強化する必要があったと思われる。すでに失われた数千人の命は取り戻す術もないが、第三世界で危険物を取り扱っている工場がいまだ多数存する現状を見るにつけ、ボパールでの惨事の教訓は今なおその重みを失っていないはずである。

§3.地球被曝−−チェルノブイリ原発事故


 1986年に旧ソビエトのチェルノブイリ原子力発電所で発生した爆発炎上事故は、スリーマイル島事故の規模をはるかに上回る文字通りの「史上最悪の原発事故」として、世界中を震撼させた。
 従来、原子力発電所で起こり得る事故として最も懸念されていたのは、いわゆる「チャイナ・シンドローム」である。この名称は、冷却水喪失などの原因によって原子炉が溶融し、漏出した高温の放射性物質が地球の裏側の中国にまで達してしまうというブラック・ジョークに由来するものだが、もちろん現実の事態としては、地中に深く浸透する以前に地下水や冷却水と接触して水蒸気爆発を起こし、発電所の周辺に放射性物質をばらまくと予想される。原子力発電の推進者によれば、こうした最悪のシナリオが現実のものとなるのは、確率的にみて何千年に一回しかないはずだとされてきた。ところが、チェルノブイリの事故では、徐々に溶融する時間的な余裕すらなく、原子炉がいきなり暴走して(水蒸気または水素)爆発に到るという「チャイナ・シンドローム」以上の事態になってしまった訳である。しかも、幸か不幸か、減速材の黒鉛が燃焼して大火災を起こしたため、原子炉内に貯まっていた“死の灰”が上昇気流に乗って世界中に降り注ぐことになった。「幸か」と言ったは、もし火災が発生せずに周辺に放射性物質が飛散していたならば、大量被曝による急性の放射線障害の患者が近隣都市で多発したものと予想されるためであり、また、「不幸か」とは、放射能の恐怖が顕在化しないまま、世界各地で僅かずつガンなどの発生率が増加する心配があるからである。
 チェルノブイリ原発事故の衝撃は、単に原発関係者にとどまらず、専門外の人々にも及び、事故直後からこんにちに到るまで、さまざまな視点から論じられてきている。特に、一般の人にとっては、事故後の影響に関するTV報道などを通じて放射性物質に対する理解が深まるにつれて、国内の原子力発電所への懸念が増大しており、多くの出版物が、そうした観点から論を進めているようである。しかし、ここでは、あくまで原子炉の爆発に到るまでの直接的な原因に遡及し、それが主としてソ連固有の経済事情に由来するものであることを主張したい。なお、この主張の中には、日本の原子力発電所でチェルノブイリと同様のプロセスを辿って炉が暴走する事故が起きる蓋然性がかなり低いことも含意されているが、だからと言って「日本は安全だ」と論じているのではなく、日本で起きるとすれば「チェルノブイリ型」ではなく「スリーマイル島型」の事故になると考えていることを付記しておく。

 事故の背景−−原子炉の安定性
 チェルノブイリ原発で、なぜあれほど深刻な事故が発生したかを説明するためには、まず、原子炉の安定性について理解する必要がある。この点について、ごくかいつまんだ話をしておこう。
 原子力発電とは、簡単に言ってしまえば、原子核が分裂する際に生じる熱を電気に変換する仕掛である。現在の原発で核燃料として用いられているウラン235 の原子核は、熱中性子と呼ばれる運動速度の小さい中性子をぶつけることによって核分裂を起こし、いくつかの分裂片とともに数個の中性子を放出する。したがって、あるウラン原子核が分裂した際に飛び出してくる中性子を他の原子核に衝突させるようにすれば、再び核分裂が生じて中性子が放出される。こうして、次から次へと核分裂と中性子放出の連鎖反応が生じて、膨大な熱エネルギーが生成されることになる。
 ただし、ここに難しい問題がある。原子爆弾のようにやみくもに巨大なエネルギーを取り出せば良い場合とは異なって、発電を行う際には、長時間にわたって核分裂が定常的に続かなければならない。例えば、ある核分裂の際に放出される中性子のうち平均して2個が他のウラン原子核を分裂させるとすると、分裂する原子核の個数が2個が4個に、4個が8個にとネズミ算式に増えていき、瞬く間に膨大な数になってしまう。この過程がきわめて短時間に生じるのが核爆発であり、きわめて危険なことは言うまでもない。通常の原子炉では、核燃料の組成や配置を調節して核爆発には到らないようにしてあるが、それでも、他の原子核を分裂させるに到る「有効中性子」の個数が(ウラン原子核1個当たり)1をわずかでも越えると、原子炉の暴走と呼ばれるきわめて深刻な事態になる。逆に、この値が1をわずかでも下回れば、連鎖反応は集結してしまう。このため、有効中性子数が常に1に保たれるようにすることが、原子炉を設計する上で最重要課題となる。
 有効中性子数を調節する手段として使われるのが、減速材と吸収材である。分裂時に放出される中性子は、核分裂を誘起するにはエネルギーが大きすぎるため、適当な物質の層を通過させて速度を落としてやらなければならない。このために用いられるのが水や黒鉛などの減速材で、減速効果が下がると有効中性子は減少し、連鎖反応は集結する方向に向かう。一方、分裂核から飛び出してくる数個の中性子のうち余分なものを吸収してしまうのが吸収材であり、やはり水や黒鉛などが利用される。こちらの方は、吸収効果が減じると、有効中性子が増大して炉は暴走する側に傾くことになる。また、原子炉の出力が過大になって暴走の危険が生じたときは、中性子の吸収材からなる制御棒を炉心に挿入して連鎖反応を抑制するようにしている。
 チェルノブイリ原発事故の際に指摘されたのは、水を減速材としてではなく吸収材として用いた場合、原子炉が不安定になるという点である。仮に、何らかの理由により有効中性子数が1を越えたとしよう。安定な原子炉とは、負のフィードバックが働いてこの値を1に引き戻すように機能するものであり、未然に炉の暴走が防がれる。これに対して、正のフィードバックによって有効中性子数の増加を促進するような原子炉は、わずかの擾乱がもとになって暴走する不安定性を持っているとされる。この議論に基づいて、水を減速材として用いた場合を考えよう。このとき、有効中性子数が1を越えて炉の出力が増大すると、原子炉が過熱ぎみになり水が沸騰して泡が生じるが、泡の中は中性子が素通りしてしまうので全体としての減速効果は低下することになり、結果として有効中性子を減らす負のフィードバックとして作用する。ところが、水を吸収材として用いると、過熱することによって生じた泡が吸収効果を減殺するため、ますます有効中性子数が増えて核分裂が促進されることになる。このように、水を(減速材ではなく)主たる吸収材として用いている原子炉は、炉の出力が不安定になって暴走しやすいという危険を持っている。チェルノブイリ原発で利用されていた原子炉は、特に、低出力(定格の20%、約70万kW以下)の領域に限って、まさに、この種の不安定さを示すものであった。事故の根本的な要因が、こうした構造上の欠陥に存していたことは、事実を究明する上で明確にしておかなければならないだろう。

 事故の背景−−慣性発電実験
 次に問題となるのが、不安定になることが予想されながら、なぜ原子炉を低出力で運転するに到ったか−−という点である。事故後にソビエト当局から発表された報告書によると、これは、ある実験を遂行しようとする過程で生じた人為的ミスとされている。
 チェルノブイリ4号炉で行われた実験とは、タービンの慣性回転を利用した発電が行えるかどうかを調べるものである。原子力発電では、核分裂に伴う発熱によって蒸気を発生させ、その力を利用してタービンを回転させているが、蒸気の供給を止めても、巨大なタービンは力学的な慣性のためにしばらく回転を続ける。したがって、何らかの理由で原子炉を緊急停止しても、短時間ならばタービンの慣性による発電が続けられる。もちろん、このような暫定的な電力の供給は、通常の場合は必要とされない。しかし、もし不測の事態が次のように何重にも重なったとしたら、どうだろうか。例えば、パイプに穴が開くなどして原子炉に供給する冷却水が失われる事故が生じた場合、原子炉をスクラム停止した後も、炉の余熱を処理するためにECCSを起動して原子炉に水を送り込まなければならない。このポンプを動かすためには、当然、他の発電施設から電力の供給を仰ぐことになるが、ちょうどその時点で停電して電気が得られないという可能性もある。そうした事態に備えて、発電所には自家発電用のディーゼル発電機が設置されているが、この種の装置は一般に立ち上がりに時間がかかるので、分秒を争う事故の際には、手間取っている間に致命的な状況に発展してしまうおそれがある。したがって、ディーゼル発電機が立ち上がるまでの「つなぎ」の手段として、タービンの慣性を利用した電力で冷却水用のポンプが動かせるかどうかが、重要な意義を持ってくるのである。こうした観点から、チェルノブイリ原発での実験が遂行された訳である。
 日本人の目から見ると、こうした発想は、ずいぶんと念の入ったものと映るだろう。冷却水が喪失するという万一の事態が発生したまさにその瞬間に、他の発電施設からの電力供給が途絶えるのではないかと心配することは、停電が滅多にない日本ではほとんど杞憂に等しい。しかし、当時のソビエトは、硬直化した体制の下での経済の停滞が著しく、生活基盤の遅れが目立っており、チェルノブイリ原発があるウクライナ共和国でも、停電はごく日常的に発生していた。一方、技術的な理由による原子力発電所のトラブルも頻発しており、冷却水喪失事故と停電が重なる可能性も、決して無視できない状況にあった。こうしたことから、慣性発電実験の成功が急がれていたのである。
 さらに、重要なポイントとして、この実験が、整備点検のために原子炉を停止する機会にしか実施できないことを注意しておきたい。チェルノブイリ原発では、すでに2年前に3号炉での実験が失敗しており、今回の4号炉で実験に失敗すると、次の機会は1年半後になってしまう。それだけに、実験を担当した技術者は、何とかして成功させなければというプレッシャーを感じていたと推測される。

 事故の経過
 チェルノブイリ4号炉で慣性発電の実験が始まったのは、1986年4月25日未明ことである。この炉の定格熱出力は 320万kWだが、蒸気の供給を止めてもタービンが回転し続けるかどうかをみるためには、出力を 70〜100万kWの範囲で安定させてから実験を行う予定になっていた。この領域では、まだ原子炉は不安定にならず、安全に実験が遂行できるはずだからである。
 25日の午前1時に下げられ始めた出力は、半日経過した午後1時5分には 160万kWに低下していた。この時点で、ECCS(緊急炉心冷却装置)のスイッチが切られたが、これは、実験中に水位が低下してECCSが起動し実験が台無しになるのを防ぐための予定された措置である。その直後、「50%の出力で発電を続行せよ」という予定外の指令が飛び込んできたため、ECCSを切ったまま10時間ほど発電を続けることになった。この明白な規則違反は、それ自体は今回の事故の引き金になるものではないが、オペレーターの安全意識がかなり低下していることを裏付けるものである。また、実験が先延ばしされたことにより、担当者のプレッシャーも増大したことと推察される。
 午後11時10分に実験が再開されたが、自動制御装置をセットしないなどのオペレーターの操作ミスもあって、予定された 70〜100万kWの範囲で出力を安定させられず、ほとんど停止寸前の3万kWまで低下してしまった。すでに述べたように、この原子炉は70万kW以下になると出力が不安定になるため、この領域での運転は禁止されており、この段階で実験を放棄して炉を停止させるのが当然の方策だったはずである。しかし、実験の遂行を焦るオペレーターは、この規則を無視して再び出力を上昇させようと悪戦苦闘を始める。
 原子炉の場合、いったん出力が低下すると、炉の内部に蓄積された核反応生成物のキセノンが中性子を吸収して連鎖反応を妨げるため、出力の再上昇は難しくなる。これに対して、担当のオペレーターは、制御棒を手動で引き抜いて出力の上昇を図り、何とか20万kW前後で安定させることに成功した。制御棒は、原子炉の暴走を食い止める上で重要な役割を果たすものであり、いかなる場合も一定数以上は原子炉内部に残しておかなければならない。しかし、そうした最低限の安全規則も、最終的に無視されることになる。
 26日の午前1時すぎに、実験は次の段階に進められる。それまで冷却水を循環させるのに6台のポンプが稼働していたが、さらに2台の予備ポンプを追加して、計8台で冷却水の供給を始めた。これは、実験中に慣性発電による電気がなくなっても、炉心を確実に冷却するための措置で、あらかじめ予定されていたことである。ところが、20万kWという予定外の低出力で実験が行われていたため、冷却効果が利きすぎて水温が予想以上に下がってしまった。こうなると、水による中性子の吸収効率が高まって連鎖反応が妨げられるため、制御棒をさらに引き抜いて出力の低下を防がなければならない。さらに、冷えた水が収縮して水位が下がり、圧力も低下し始めたが、このままでは安全装置が自動的に働いて原子炉が停止してしまうので、この装置を解除する一方で、気水分離器に補給水を送り込む措置もとられた。
 こうして、きわめて危険な状況におかれながらも、原子炉は小康状態を保っていた。出力は20万kW程度でほぼ安定し、水位も回復してきた。これを見たオペレーターは、気水分離器への水の補給を絞ると、直ちに本実験を開始することにした(午前1時23分4秒)。実験計画に従って、タービンに蒸気を送り込む蒸気管のバルブを閉じ、慣性回転による電力だけで主循環ポンプを回し始めたのである。しかも、最初の実験がうまくいかなかった場合に再実験が試みられるように、タービンが停止したときに自動的に原子炉を止める安全装置も(計画に反して)解除しており、原子炉が暴走する可能性など全く念頭になかったことが窺える。しかし、この摂動が契機となって、もともと不安定な原子炉の小康状態は崩され、事態は一気に破局へと向かう。まず、分離器への水の補給が断たれた上に、慣性だけの回転になったことにより出力が落ちて主循環ポンプの勢いが衰え始めたため、水温が上昇して気泡が発生し始めた。この結果、中性子の吸収効果が下がって核反応が促進され、これがさらなる温度上昇をもたらすという正のフィードバックとなって、出力は爆発的に増大していった。
 1時23分40秒、緊急停止ボタンが押されて制御棒の再挿入が始まったが、数秒かけて下降してくる制御棒は、原子炉の暴走を止めるにはもはや無力だった。ボタンが押されて4秒後、出力は定格の 100倍にも達し、高温の燃料棒が破裂して粉々になった黒鉛が飛散した。この黒鉛の粒子が冷却水に接触して一瞬のうちに水が気化する水蒸気爆発が発生、原子炉上部の1000トンを越える蓋が吹き飛ぶ。続いて、数秒後に被覆材として用いられているジルコニウムとの化学反応で生じた水素が燃焼する水素爆発が起きて*1、炉心にあったウランや黒鉛が外に飛び散った。これが、未曾有の大事故となったチェルノブイリ原発事故の実態である。

 事故の原因
 ソ連原子力利用国家委員会が1986年8月に国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書では、事故の主たる原因は、慣性発電実験を遂行するためにオペレーターが安全操作に関する運転規則を破ったことに帰されている。規則違反の最大のものは、制御棒を許容されている範囲をはるかに越えて引き抜いてしまったことである。規則によれば、原子炉内部の制御棒を(本数に換算して)30本以下で運転することは禁じられている。現場の判断で臨機応変の操作が許されることもあるが、15本以下では「たとえ首相といえども運転できない」(IAEAソ連代表)。ところが、チェルノブイリ4号炉では、わずか6〜8本の状態で運転を続けていたという。さらに、ECCSのスイッチを切るなど、いくつもの安全装置を解除したことが事故の予防を困難にした点が指摘されている。
 ただし、ここで重要なのは、こうした規則違反の大半が、いわゆる「ミス」ではない点である。スリーマイル島原発事故の場合は、オペレーターが原子炉の状態を正しく判断できずにエラーを犯していた。しかし、チェルノブイリの場合は、むしろ“確信犯”的に規則を無視しており、単純なヒューマン・エラーとは質的に異なる行為である。その背後には、何としても実験を遂行しなければならないという(良く言えば「強固な」、悪く言えば「頑迷な」)意識があり、そのためには少々の規則違反もやむを得ないと考えられていたようである。推測するに、このような意識が派生した本質的な原因は、現場に密着していない階層的なシステムに根ざしているのではないか。すでに述べたように、ウクライナ地方では電力の安定供給が完全には実現されておらず、その中で原発の安全性を確保することは急を要する課題であった。慣性発電の実験も、こうした政治的な観点からチェルノブイリ原発に指令されたものであり、現場の技術者が必要とした訳ではない。しかも、実験の指揮をとったのもタービン関係に詳しい電気技師で、原子炉の専門家ではなかった。このような状況の下では、実験担当者の心理として、上層部から与えられた命令を忠実に遂行して役目を無難に終えたいと思うのも無理からぬことである。すなわち、この事故の要因として第一に指摘されなければならないのは、個人のミスではなく、当時のソビエトに見られた硬直化した体制そのものである。
 チェルノブイリ原発事故のもう一つの要因として考えなければならないのが、原子炉の不安定性である。事故を起こした原子炉は、低出力のときに暴走しやすい性質を持っており、これが事故の構造的な要因になっていたわけだが、こうした危険な構造の炉をあえて採用した理由はどこにあるのだろうか。実は、ここにもソビエト経済の脆弱さというシステム上の問題が指摘される。戦後、アメリカとともに軍事大国として覇を競ってきたソビエトは、技術力/経済力を軍事力の強化のために集中させており、その反動で生活財の生産能力に技術的な遅れが見られていた。しかも、ココムに加盟している西側諸国が高度技術製品の対共産圏輸出を禁じていたため、独自技術によって生産施設を確保しなければならない状況にあった。そうした中で原子力発電を実現するに当たって採用されたのが、米ウェスティングハウス社が製造しているような巨大な格納容器を持つ軽水炉ではなく、ジルコニウム合金製のパイプにウランを詰めた燃料棒のチャネル数千を減速材の黒鉛の中に配置したチャネル型原子炉だった。これだと、巨大な格納容器を製作するノウハウを必要とせず、比較的小規模な工場で燃料棒を量産できる上に、チャネルの増設によって規模拡大が図りやすいというメリットがある。しかし、その代償となるのが低出力での不安定性であり、結果的にあまりに高価なものについた訳である。
 以上のように考えると、チェルノブイリ原発の事故は、主としてソビエトの政治的/経済的な体制に根ざすものと結論できる。しかし、だからと言って、この事故を対岸の火事にすぎないと軽視してはならない。上で指摘されたシステム的な要因は、こんにちの日本とは全く無縁ではなく、政治的/社会的なな配慮によって現場の状況から乖離した指令が出されることは、われわれの周囲でもしばしば観察される事実である。この意味で、チェルノブイリの事故は日本の技術者にとっても他山の石となるものである。


(1997.3.14執筆)

©Nobuo YOSHIDA